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千鶴と獅勇
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しおりを挟むこの国では、取引先と挨拶で握手を交わすなどということは滅多にない。だから他人にさわられるのはかなり久々で服の下で肌が一気に粟立った。もちろん不快にだ。はっきりと振りほどこうとしてみても拘束は解けるどころか却って増す。ぎゅっと握りしめられて、明確に恐怖が千鶴の中で輪郭を帯びだした。
どうする。声をあげる? しかし福山の206号室は角部屋なので効果的とは言えない。それにもし悪気がなかった場合彼を傷つける。なんとか平和的に解放してもらうには、必死に頭をまわす千鶴に福山は隙を突いて接近すると左手を引き寄せ、もうひとつの手を千鶴の背にあててラグの上に押し倒した。ドサッと物音が静かな部屋を鳴らして消える。
「ちょっと何、どけって」
「財とはもう別れてんでしょ? オレ、こないだアンタの声きいちゃって、もうたまんなくて、そんな気なんてマジ全然無かったのにヤバくて、オレ……っ」
「……あー」
まさかのソロプレイを盗み聞きされていたとは。こちらが悪いと思ってしまいそうになる。誘ったつもりもなければヒートが止まっているのにフェロモンが出る筈もない。それなのに引き寄せてしまうのはオメガだからなのか、千鶴自身の魅力だとでも言うのか、とにかくこれがピンチだとはわかったので遠慮なく抵抗を始めた。
筋肉が好きで鍛えていたわけでもなくただ単にずっとダンスを続けていたいわば副産物に過ぎないのだけれど、体幹はしっかりしているしまるっきりの非力でもない。逆にメンバー間腕相撲大会では上位ふたりに残るほど腕力には自信があった。オメガだからとこんなふうに理不尽な状況に持ち込まれても簡単に好きにはされないように、教えてくれたのは獅勇だった。
おなじ男として非常に申し訳ない。あとでもう一回謝罪には来よう。そんな思いつきを免罪符に、千鶴は長い脚を折り曲げるとすこし潜り込むようにして、覆いかぶさる福山の股間に思いっきり膝を叩き込んだ。
「~~~~っっ……!!!」
「ごめんな、鍋うまかったよ。ご馳走さま」
恐らくもう二度とご相伴にあずかることはないだろうが、楽しかった。途中までは確実に。声にならない苦悶を撒き散らしながらのたうち回る男を置いて千鶴はするりと這い出し、忘れ物がないか確認して、そそくさと部屋をあとにする。
自分の中でも特に終盤は掻き消したい過去ではあったけれど、他人から見てもろくでもないものだったとわかるといよいよ悲しかった。終わり方をしくじるとすべてが台無しになってしまうのだ。ドーム球場での大規模ライブツアー。ヒットチャートを賑わせた楽曲の数々。これまでの輝かしいアイドル人生が、男オメガだったという衝撃に斯くもあっさり敗けるのを目の当たりにして、改めて落ち込んだ千鶴の視界にぼやぁと白い影が横切る。
「えっ」
季節外れの怪談かと本気で一瞬心臓が止まりかけた。
「ヒッ……おば」
「オイ。」
影の正体は白いマウンテンパーカーのフードをかぶった長身の男だった。間違いなく千鶴の部屋のドアのまえに立ち、何故か隣室から駆け出てきた千鶴を不審げに睨めつけている。
マスクはしていても目許があらわな所為で美麗な面差しはちっとも隠せてなかった。
「……しゅ……う?」
「ハハッ、すげえ間抜け面」
「え、なんでここ」
「ンなのいいからとりあえず中あげてくんね」
たしかに廊下は半分外から見えるので、夜とはいえ気づく者はいるかもしれない。言い種は気に入らなかったがここは従うのが最も穏便に事を運べると判断し、千鶴は仕方なくデニムのポケットから出した鍵でドアを開けた。家主より先に入った客人の第一声ときたら「狭っ」だったため、蹴り出そうかと真面目に思う。余計な世話だ。お前が入れないほどではないわ。
まだ良いとも駄目とも言ってないのにもう靴を脱いで部屋に入り込み、素顔をさらしてキッチンのシンクで雑に手を洗うとベッドにどっかりと腰を下ろす。偉そうすぎて言葉も出なかった。メンバーだった頃もこんなだったか?と記憶をたぐって、わりとこうだったという残念な結果が得られた。
「この部屋は禁煙だ」
「……チッ」
アイドルなので絶対に人前では吸わないが、獅勇は解禁するや否や手を出していたように思う。いつスクープされるか恐ろしいしイメージダウンが甚だしいうえ、匂いなどから何らかの関係性を疑われる証拠にもなりかねないため千鶴はいつも控えるよう説いていたのだけれど。顔にけむりを吐きかけられるのがとりわけ嫌で、わかっていて獅勇によくやられていた。
それにしても気持ちが悪い。潔く都心を離れ、地元からも程よく距離のあるここへわざわざ移住してきたというのに何故住所を知られているのだろう。否それ自体はたとえば興信所などを利用すれば判明するのだろうが、どういうつもりで今になって姿を現したかが不可解すぎる。しかも引退したほうがやってくるならまだしもだ。未だバリバリの現役アイドル様が、何の用があってしがない営業社員のまえに。
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