16 / 201
退陣
十六.下山の二人
しおりを挟む
「筑前殿はこうおっしゃられました。『わしは宗治殿が腹を召したら、陣を引き払う。そしたら毛利が追ってこんよう謀ってくれ』と・・・。」
隆景はさらに眉を顰める。
「うぅむっ。確かに『奇妙な頼み事』じゃ。約定を結んでからそんなことを云うとはのぉ。」
恵瓊は続ける。
「筑前殿になぜ退陣されるのかを訊ねましたが、『そのうち分かる』とはぐらかされました。その上、さらに奇妙なことをおっしゃるのです。」
もはや隆景の興味は尽きない。恵瓊の混乱ぶりがその声を裏返す。
「筑前殿は『もし云うことを訊いてくだされたら、近いうちに毛利の姫と秀勝殿を結ばせたいので、世話をしてくれ』とおっしゃるのです。」
さすがに隆景は立ち止まる。
「なんと、筑前がそんなことを申したのか。」
隆景は驚くが、少し楽しくなってくる。
「毛利と織田の間に和議が結ばれれば、わしらとしては喜ばしいことじゃが・・・。わしはてっきり右大将殿は毛利を滅ぼさんとしておると思っておった。かつて毛利と織田は同盟の間柄じゃったが、公方様の謀とはいえ、決裂してしまったからのぉ。右大将殿からすれば、わしらは『裏切り者』じゃ。右大将殿は『裏切り者』は決して許さんお方だと訊いておったが、そうではないということか。」
隆景の若干のはしゃぎぶりに恵瓊は困ったように続ける。
「それが、この話はまだ右大将殿の知るところではございませぬ。ですが筑前殿は『わしが何とかする』と申しておりまして・・・。」
「何だ、筑前の一存か・・・。それにしても大それた申し出じゃのぉ。」
「はい。筑前殿は御館様とこれ以上戦を続けたくないと申しておりましたが、それにしても事が事だけに・・・。」
「して、其方は何と応えたのじゃ。」
「何も応えられませんよ・・・。ついには筑前殿はわたくしが困っているのをみかねて、『忘れてくれ』と締められました。もう一体何がどうなっているのやら、お陰でここのところ夜も眠れぬ有様です。」
隆景と恵瓊は再び歩き出す。隆景は何となくにやつく。しばらくして隆景が口を開く。
「恵瓊殿。先ほどの其方が仰った件には興味深い点が二つ隠れておる。」
恵瓊は顔を上げる。
「一つは筑前が退陣する理由を『そのうち分かる』と云った点、もう一つは縁談の話を『何とかする』と云った点じゃ。」
恵瓊はさっぱり分からない。
「この二点はどちらも今の話じゃのうて、先の話じゃ。先の話というのは『絵に描いた餅』となるのはようあることじゃが、嘘というわけではない。おそらく筑前は嘘は云うとらん。全てを明らかにしてないだけじゃ。」
恵瓊が反論する。
「恐れながら、筑前殿は宗治殿が腹を召したら陣を引き払うと仰しゃいました。ところが某は今朝から羽柴の陣をずっと見張っていましたが、一向にそのような様子が窺えませんでした。」
隆景は返す。
「そのような嘘をついて何とする。『陣を引き払う』と云ったのだから、そうなのであろう。何も『旗を下ろす』とは云ってまい。」
恵瓊ははっとする。
「では筑前殿はすでにこの地にはいないと・・・。」
隆景は続ける。
「東ではよくある戦の術なのかもしれん。じゃが筑前の申したことが嘘か誠かに拘っていては、寧ろ筑前の思う壺ぞ。筑前の思惑の一つは恵瓊殿をはじめ、わしらを惑わすことにあるからのぉ。」
恵瓊は返せない。
「重要なのは退陣の理由じゃ。それを見逃してはならん。退陣の理由をわしらが知れば、わしらは筑前を追うということじゃな。」
恵瓊は申し訳なさそうに云う。
「はい。しかし約定を破ってまでわれらが筑前殿を追う理由が思い当たりません。そんなことをすれば右大将殿に毛利壊滅の口実を与えてしまいます。筑前殿ともあろう方がそんな幼稚な罠を仕掛けるとは思いませんが・・・。」
隆景はあっさり返す。
「筑前の人となりに振り回されるな。ここは、筑前が発した一言一句だけを素直に解した方がえぇ。わしらが『約定を守らんでえぇ』と考える状況は何か。」
恵瓊は口に出すのを憚っていたが、思い切って昨日来ずっと思案していた仮説を訊いてもらうことを決する。
「たとえばの話でございます。右大将殿が病か何かで御隠れになったのではないか、と考えてみました。しかし右大将殿はすでに家督を左中将殿にお譲りされております。右大将殿が御隠れになられたとしても、事態は変わらぬと思いますが・・・。」
恵瓊の重苦しい言葉に、隆景は再びあっさり返す。
「では、左中将殿も御隠れになられたのではないか。」
隆景はさらに眉を顰める。
「うぅむっ。確かに『奇妙な頼み事』じゃ。約定を結んでからそんなことを云うとはのぉ。」
恵瓊は続ける。
「筑前殿になぜ退陣されるのかを訊ねましたが、『そのうち分かる』とはぐらかされました。その上、さらに奇妙なことをおっしゃるのです。」
もはや隆景の興味は尽きない。恵瓊の混乱ぶりがその声を裏返す。
「筑前殿は『もし云うことを訊いてくだされたら、近いうちに毛利の姫と秀勝殿を結ばせたいので、世話をしてくれ』とおっしゃるのです。」
さすがに隆景は立ち止まる。
「なんと、筑前がそんなことを申したのか。」
隆景は驚くが、少し楽しくなってくる。
「毛利と織田の間に和議が結ばれれば、わしらとしては喜ばしいことじゃが・・・。わしはてっきり右大将殿は毛利を滅ぼさんとしておると思っておった。かつて毛利と織田は同盟の間柄じゃったが、公方様の謀とはいえ、決裂してしまったからのぉ。右大将殿からすれば、わしらは『裏切り者』じゃ。右大将殿は『裏切り者』は決して許さんお方だと訊いておったが、そうではないということか。」
隆景の若干のはしゃぎぶりに恵瓊は困ったように続ける。
「それが、この話はまだ右大将殿の知るところではございませぬ。ですが筑前殿は『わしが何とかする』と申しておりまして・・・。」
「何だ、筑前の一存か・・・。それにしても大それた申し出じゃのぉ。」
「はい。筑前殿は御館様とこれ以上戦を続けたくないと申しておりましたが、それにしても事が事だけに・・・。」
「して、其方は何と応えたのじゃ。」
「何も応えられませんよ・・・。ついには筑前殿はわたくしが困っているのをみかねて、『忘れてくれ』と締められました。もう一体何がどうなっているのやら、お陰でここのところ夜も眠れぬ有様です。」
隆景と恵瓊は再び歩き出す。隆景は何となくにやつく。しばらくして隆景が口を開く。
「恵瓊殿。先ほどの其方が仰った件には興味深い点が二つ隠れておる。」
恵瓊は顔を上げる。
「一つは筑前が退陣する理由を『そのうち分かる』と云った点、もう一つは縁談の話を『何とかする』と云った点じゃ。」
恵瓊はさっぱり分からない。
「この二点はどちらも今の話じゃのうて、先の話じゃ。先の話というのは『絵に描いた餅』となるのはようあることじゃが、嘘というわけではない。おそらく筑前は嘘は云うとらん。全てを明らかにしてないだけじゃ。」
恵瓊が反論する。
「恐れながら、筑前殿は宗治殿が腹を召したら陣を引き払うと仰しゃいました。ところが某は今朝から羽柴の陣をずっと見張っていましたが、一向にそのような様子が窺えませんでした。」
隆景は返す。
「そのような嘘をついて何とする。『陣を引き払う』と云ったのだから、そうなのであろう。何も『旗を下ろす』とは云ってまい。」
恵瓊ははっとする。
「では筑前殿はすでにこの地にはいないと・・・。」
隆景は続ける。
「東ではよくある戦の術なのかもしれん。じゃが筑前の申したことが嘘か誠かに拘っていては、寧ろ筑前の思う壺ぞ。筑前の思惑の一つは恵瓊殿をはじめ、わしらを惑わすことにあるからのぉ。」
恵瓊は返せない。
「重要なのは退陣の理由じゃ。それを見逃してはならん。退陣の理由をわしらが知れば、わしらは筑前を追うということじゃな。」
恵瓊は申し訳なさそうに云う。
「はい。しかし約定を破ってまでわれらが筑前殿を追う理由が思い当たりません。そんなことをすれば右大将殿に毛利壊滅の口実を与えてしまいます。筑前殿ともあろう方がそんな幼稚な罠を仕掛けるとは思いませんが・・・。」
隆景はあっさり返す。
「筑前の人となりに振り回されるな。ここは、筑前が発した一言一句だけを素直に解した方がえぇ。わしらが『約定を守らんでえぇ』と考える状況は何か。」
恵瓊は口に出すのを憚っていたが、思い切って昨日来ずっと思案していた仮説を訊いてもらうことを決する。
「たとえばの話でございます。右大将殿が病か何かで御隠れになったのではないか、と考えてみました。しかし右大将殿はすでに家督を左中将殿にお譲りされております。右大将殿が御隠れになられたとしても、事態は変わらぬと思いますが・・・。」
恵瓊の重苦しい言葉に、隆景は再びあっさり返す。
「では、左中将殿も御隠れになられたのではないか。」
1
あなたにおすすめの小説
マルチバース豊臣家の人々
かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月
後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。
ーーこんなはずちゃうやろ?
それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。
果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?
そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
【アラウコの叫び 】第1巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
また動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
If太平洋戦争 日本が懸命な判断をしていたら
みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら?
国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。
真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…そして終戦工作 分水嶺で下された「if」の決断。
破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。
【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】
3巻からは戦争編になります。
戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。
※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。
1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる