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仇討
二十五.報恩の右近
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天正十年六月八日 辰の刻
曇り空の山麓にある南蛮寺から出てくる一人の武将がいる。南蛮寺といっても二十人程度がやっと入れる掘建小屋である。朝の礼拝を済ませた高山右近は、神父と言葉を交わし、馬の繋ぎ場まで兜を抱えながら階段を下る。
高槻の地に右近が入ってからは、こうした小さな南蛮寺が領内に増えた。いつしか信心深い切支丹たちは偉ぶる僧侶に堂々と歯向かうようになっていき、片や僧侶たちにとってこの地は居心地の悪い住処となっていった。そして肩身の狭い僧侶たちが次々とこの地を離れていくと、領内の寺は悉く廃れていき、最近ではこうした廃寺の木材や石を持ち出して、新たに立派な南蛮寺を城下に建てようと、ますます切支丹の職人たちが集まっているらしい。
凛々しく優しげな眼差しの右近の前に、大柄で無精髭の『猛者』が従者一人を連れて、ぎこちなく階段を上ってくる。右近が気付き、声を掛ける。
「これは瀬兵衛殿ではないか。こんなところで何をなされておる。」
右近に近づく男の名を、中川瀬兵衛清秀という。
「右近殿っ、こちらにおられたか。」
瀬兵衛は息を整えながら尋ねる。
「訊きましたか。姫路にて筑前殿が兵を揃えたとの評判ですぞぉ。」
右近はにやとして返す。
「あぁ、さすがは筑前殿じゃ。つい先だってまで毛利と対峙していたというのに、いつの間にか姫路まで戻ってこられるとは・・・。」
「感心しとる場合じゃございませんぞ。先ほど勝三郎殿から参陣の催促が届いた。いよいよわれらも意を決せねばなりませんなぁ。」
右近は見下すように瀬兵衛に云う。
「今頃何を申しておる。わしはとっくに筑前殿にお味方すると心に決めておる。瀬兵衛殿はまだ迷うとるのか。」
瀬兵衛は驚く。
「えっ、それでは右近殿はもう筑前殿にお伝えされてござるのか。」
右近はまたにやとする。
「あぁ。と云っても、参陣を申し出たのは昨晩じゃがな。」
「いつの間に・・・。わしも誘ってくれればよかろうに・・・。」
右近は呆れたかのように返す。
「わざわざ告げんでもお分かりであろう。此度日向守がなされたことは明らかに大義のない『謀反』じゃ。大殿と殿を討った後で下手な言い訳を散々云ってきおったが、事前にわしら『与力衆』に断りを入れんかったんが致命じゃ。今だにまともとは思えん。」
「そりゃそうじゃが、日向守は朝廷と繋がっておる。一歩間違えれば、わしらこそが『逆賊』になってしまいますぞ。」
「朝廷の思惑などどうでも良い。わしにとって此度の戦は大殿と殿への恩返しじゃ。」
意外な言葉に瀬兵衛は首を傾げる。
「恩返しと・・・。」
右近は階段を下り始め、瀬兵衛もそれに続く。二人の会話は続く。
「大殿は『裏切り者』のわしを許してくださった。わしは本来なら死んでもおかしゅうなかったが、大殿はお救いくださった。それだけではない。大殿は天主の教えを拡めることをお許しくださった。殿に至ってはそのための金子を大層いただいた。わしはその御恩に報いたいのじゃ。」
瀬兵衛には右近よりも『裏切り』の後ろめたさがあるはずだが、それには触れない。
「伴天連の右近殿が『仇討』に加担するとは意外じゃのぉ。」
右近は三度にやとする。
「確かに皮肉じゃのぉ。じゃが正直云うと、筑前殿と秀勝殿から『仇討』の誘いがあったとき、わしは嬉しかったんじゃ。今のわしはこういう形でしか大殿の御恩にお応えするしかできんからのぉ。」
瀬兵衛に疑問が一つ生じる。
「じゃったら、それだけ思いが強うござるのなら、何故、さっさとご返事なされなんだ。わしはてっきり右近殿も迷うておられるのかと思うておった。」
右近のにやつきは止まらない。
「できるだけ長く日向守を惑わせたかったんじゃ。わしらは日向守の間者に常に見張られとるからのぉ。早々に筑前殿に書状を出して本心がばれてしまっては、筑前殿と合流する前にこの地が攻められるからのぉ。筑前殿の御出陣を見計らって書状を出すつもりじゃったが、こうも早く支度されるとは・・・。いずれにせよ、もはや隠すことはない。」
瀬兵衛は感心する。
「そんなこと考えとったんかい。」
右近が得意げに云う。
「あぁ、瀬兵衛殿が騙されとったというのだから、日向守にも効き目はあったであろう。今から近江衆や山城衆を味方に付けて戦に備えようとも、さほど集まらんじゃろう。」
瀬兵衛は鈍感なのか、皮肉を云われているのに気付かない。
「筑前殿の兵二万にわしら摂津衆一万が加われば、日向守を圧倒できる。算盤を弾ける者なら、もはや日向守に味方しまい。」
馬の繋ぎ場まで下りてきた右近が呆れる。
「そんなことより、瀬兵衛殿。こんなところで油を売っててよろしいのでござるか。筑前殿と勝三郎殿に返事を出すなり、戦の支度をするなり、やることは多かろう。なんなら、わしの馬を貸そうか。」
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高槻の地に右近が入ってからは、こうした小さな南蛮寺が領内に増えた。いつしか信心深い切支丹たちは偉ぶる僧侶に堂々と歯向かうようになっていき、片や僧侶たちにとってこの地は居心地の悪い住処となっていった。そして肩身の狭い僧侶たちが次々とこの地を離れていくと、領内の寺は悉く廃れていき、最近ではこうした廃寺の木材や石を持ち出して、新たに立派な南蛮寺を城下に建てようと、ますます切支丹の職人たちが集まっているらしい。
凛々しく優しげな眼差しの右近の前に、大柄で無精髭の『猛者』が従者一人を連れて、ぎこちなく階段を上ってくる。右近が気付き、声を掛ける。
「これは瀬兵衛殿ではないか。こんなところで何をなされておる。」
右近に近づく男の名を、中川瀬兵衛清秀という。
「右近殿っ、こちらにおられたか。」
瀬兵衛は息を整えながら尋ねる。
「訊きましたか。姫路にて筑前殿が兵を揃えたとの評判ですぞぉ。」
右近はにやとして返す。
「あぁ、さすがは筑前殿じゃ。つい先だってまで毛利と対峙していたというのに、いつの間にか姫路まで戻ってこられるとは・・・。」
「感心しとる場合じゃございませんぞ。先ほど勝三郎殿から参陣の催促が届いた。いよいよわれらも意を決せねばなりませんなぁ。」
右近は見下すように瀬兵衛に云う。
「今頃何を申しておる。わしはとっくに筑前殿にお味方すると心に決めておる。瀬兵衛殿はまだ迷うとるのか。」
瀬兵衛は驚く。
「えっ、それでは右近殿はもう筑前殿にお伝えされてござるのか。」
右近はまたにやとする。
「あぁ。と云っても、参陣を申し出たのは昨晩じゃがな。」
「いつの間に・・・。わしも誘ってくれればよかろうに・・・。」
右近は呆れたかのように返す。
「わざわざ告げんでもお分かりであろう。此度日向守がなされたことは明らかに大義のない『謀反』じゃ。大殿と殿を討った後で下手な言い訳を散々云ってきおったが、事前にわしら『与力衆』に断りを入れんかったんが致命じゃ。今だにまともとは思えん。」
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「朝廷の思惑などどうでも良い。わしにとって此度の戦は大殿と殿への恩返しじゃ。」
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「恩返しと・・・。」
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