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仇討
三十一.憶測の幽斎
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たまは幽斎の眼をぎぃと見ながら、一つ頷く。それを確かめて幽斎も一つ頷く。幽斎は側にあった栗色の文箱を開け、一つの書状を取り出す。書状を両手で持ちながら幽斎は話を始める。
「四年前、十兵衛殿とわしは再度の丹波攻めを大殿から申しつかった。それまで長らく丹波衆には煮湯を飲まされておったが、ようやく一年以上かけて首謀の波多野秀治らを八上の城で捕らえた。『裏切り者』を許さん大殿は波多野を磔にされた。わしらはその勢いでもってさらに奥の黒井の城を攻めた。以前は強固な城であったが、わしらが攻める頃は波多野もおらんし、毛利の援軍も期待できなかったので、もう一人の首謀の赤井忠家をはじめとする『赤井党』はすでに散り散りになっておった。わしらは容易く黒井の城を抑えたが、それでも大殿は『赤井党』の一掃を命じられ、それからしばらくわしらは死に物狂いで残党狩りに励んだ。こうしてわしらは丹波とこの地の全ての城を落とし、大殿にその報せを申し上げた。大殿は大層お喜びになり、翌年には丹波を十兵衛殿に、丹後をわしに拝領してくださった。その刻のわしらの悦び様は、たま殿も鮮明に覚えておろう。」
たまは頷く。そして丹波攻めの武勇伝を何日も訊かされた二年前を思い出す。その頃の父と義父が明るい表情で酒を酌み交わす光景が忘れられない。幽斎が続ける。
「それから一年もしないうちに、安土である噂が流れた。『赤井の残党が丹波国内で匿われている』という噂であった。あの頃のわしらは少し有頂天になってたのかもしれんが、大方、わしらの武勲を妬む輩の妄言だろうと放っておいた。するとこれが大殿の耳に入った。これが真であれば『裏切り者』を許さん大殿はわしらも許すことはない。わしらは大殿に呼ばれ、奉行が同席する中で事の真否を問われた。もちろん、十兵衛殿もわしも身に覚えのないことなので、きちと否定した。大殿はわしらの言い分を汲んでくだされ、それ以降、この話が持ち上がることはなかった。しかし奇妙に思ったのは、それからしばらくした頃から大殿が公然と人前で十兵衛殿をひどく罵るようになってきたことだ。わしは『何かあったのか』と問うたが、十兵衛殿は『別段・・・』と応えるだけだった。にもかかわらず、大殿の暴言・暴力はますます大きくなる一方でな、それが何故か、わしも、わしの周りの近習たちも不思議でならなんだ。」
父が信長公にそんな扱いをされていたことをたまは初めて訊いた。幽斎はほんの少しにやとして、さらに続ける。
「あるとき、わしだけが大殿に呼ばれたことがあってのぉ。そのとき大殿は中国・四国攻めが落ち着いたらわしを丹波に配置換えするから、心得ておくようにと申された。わしは『日向守殿は何処へ』と恐る恐る訊ねると、大殿はただ『遠国じゃ』とだけお応えになって、それ以上は何も申さなんだ。わしも畏れ多くてその場で追求するなどせず、理解せんまま今日まできた。」
ここで幽斎は手元の書状の中身をゆっくり取り出し、忠興に手渡す。
「ところがつい先ほど送られてきた筑前殿からの書状で、このとき何が起こっていたかを知る羽目になった。」
忠興が書状に眼を通す傍らで、幽斎はたまの眼をじっと見つめ、太い声で告げる。
「実は十兵衛殿とわしが大殿に弁明した後も大殿はわしらを疑っていたらしい。そこで大殿は筑前殿にわしらには内密に真相を調べよと命じたそうだ。」
たまは『まさかっ』とはっとする。
「筑前殿は御家来の脇坂安治殿を使って、丹波と丹後の領内を入念に探らせた。脇坂殿はこの地によく通じておるからのぉ。そして脇坂殿は『赤井忠家が丹波のしがない村で匿われている』ことを突き止め、筑前殿は大殿にこれを報せた。大殿は『十兵衛には秘して、忠家を誅せよ』と筑前殿に命じたそうだ。筑前殿から伝えられた脇坂殿は村を囲み、忠家の首を刎ねんと匿われていた棲家に押し入ったが、もはやそこはもぬけの殻だった。」
たまは唾を飲み込む。
「忠家の行方は今となっても分からんままだが、脇坂殿は忠家を襲う数日前から明智の御家来衆が棲家に出入りしていたことを村の百姓から訊き及んだ。つまり十兵衛殿こそが赤井忠家を匿っておったということだ。」
忠興もたまも瞬きすらできない。
「なぜ忠家を匿ったのかは存ぜぬが、筑前殿は前関白様が背後で動いていたと疑っておられる。かつて黒井に住んでおられたというだけだがな・・・。しかしそれはどうでもえぇ。問題なのは、あの生真面目の十兵衛殿が大殿に隠し事をしていたということだ。」
たまはゆっくり俯く。
「其方が申すように、十兵衛殿は真面目一辺倒に大殿に尽くしてきた御方だ。だからこそそんな御人が大殿の前で抜け抜けと嘘を申したことに、大殿は十兵衛殿への一層の疑いと苛立ちを覚えたらしい。すでに大殿は十兵衛殿を見限っており、これからはわしをお側に置こうとしておったと筑前殿は申しておる。筑前殿がわしを謀っておるのか、真の大殿の意であったのかどうかは今となっては窺い知れんが、少なくともわしのこれまでの疑念に対しては全て筋が通る。」
忠興が訊ねる。
「何故、筑前殿はこのような書状を・・・。」
幽斎が返す。
「わしが迷っておると思ったのであろう。そして十兵衛殿を討つ大義名分をわしの中で膨らませたいのであろう。筑前殿は十兵衛殿のように叶わぬ褒美をちらつかせるようなことはせん、・・・戦略からして既に筑前殿の方が一枚も二枚も上手だ。」
顔を上げられないたまに幽斎は優しく声を掛ける。
「たま殿、大殿と十兵衛殿との間で赤井の件のやりとりがあったのかどうか、そしてそれが此度の動機なのかどうかは、わしには知る由もない。今申したのは、あくまでわしの『心当たり』である。他の動機があったのかもしれん。しかしいずれ大殿は十兵衛殿を切るつもりであったろう。譜代の林殿や佐久間殿を簡単に切り捨てる御方であったからのぉ。」
俯くたまの眼から大粒の涙が落ちる。
「四年前、十兵衛殿とわしは再度の丹波攻めを大殿から申しつかった。それまで長らく丹波衆には煮湯を飲まされておったが、ようやく一年以上かけて首謀の波多野秀治らを八上の城で捕らえた。『裏切り者』を許さん大殿は波多野を磔にされた。わしらはその勢いでもってさらに奥の黒井の城を攻めた。以前は強固な城であったが、わしらが攻める頃は波多野もおらんし、毛利の援軍も期待できなかったので、もう一人の首謀の赤井忠家をはじめとする『赤井党』はすでに散り散りになっておった。わしらは容易く黒井の城を抑えたが、それでも大殿は『赤井党』の一掃を命じられ、それからしばらくわしらは死に物狂いで残党狩りに励んだ。こうしてわしらは丹波とこの地の全ての城を落とし、大殿にその報せを申し上げた。大殿は大層お喜びになり、翌年には丹波を十兵衛殿に、丹後をわしに拝領してくださった。その刻のわしらの悦び様は、たま殿も鮮明に覚えておろう。」
たまは頷く。そして丹波攻めの武勇伝を何日も訊かされた二年前を思い出す。その頃の父と義父が明るい表情で酒を酌み交わす光景が忘れられない。幽斎が続ける。
「それから一年もしないうちに、安土である噂が流れた。『赤井の残党が丹波国内で匿われている』という噂であった。あの頃のわしらは少し有頂天になってたのかもしれんが、大方、わしらの武勲を妬む輩の妄言だろうと放っておいた。するとこれが大殿の耳に入った。これが真であれば『裏切り者』を許さん大殿はわしらも許すことはない。わしらは大殿に呼ばれ、奉行が同席する中で事の真否を問われた。もちろん、十兵衛殿もわしも身に覚えのないことなので、きちと否定した。大殿はわしらの言い分を汲んでくだされ、それ以降、この話が持ち上がることはなかった。しかし奇妙に思ったのは、それからしばらくした頃から大殿が公然と人前で十兵衛殿をひどく罵るようになってきたことだ。わしは『何かあったのか』と問うたが、十兵衛殿は『別段・・・』と応えるだけだった。にもかかわらず、大殿の暴言・暴力はますます大きくなる一方でな、それが何故か、わしも、わしの周りの近習たちも不思議でならなんだ。」
父が信長公にそんな扱いをされていたことをたまは初めて訊いた。幽斎はほんの少しにやとして、さらに続ける。
「あるとき、わしだけが大殿に呼ばれたことがあってのぉ。そのとき大殿は中国・四国攻めが落ち着いたらわしを丹波に配置換えするから、心得ておくようにと申された。わしは『日向守殿は何処へ』と恐る恐る訊ねると、大殿はただ『遠国じゃ』とだけお応えになって、それ以上は何も申さなんだ。わしも畏れ多くてその場で追求するなどせず、理解せんまま今日まできた。」
ここで幽斎は手元の書状の中身をゆっくり取り出し、忠興に手渡す。
「ところがつい先ほど送られてきた筑前殿からの書状で、このとき何が起こっていたかを知る羽目になった。」
忠興が書状に眼を通す傍らで、幽斎はたまの眼をじっと見つめ、太い声で告げる。
「実は十兵衛殿とわしが大殿に弁明した後も大殿はわしらを疑っていたらしい。そこで大殿は筑前殿にわしらには内密に真相を調べよと命じたそうだ。」
たまは『まさかっ』とはっとする。
「筑前殿は御家来の脇坂安治殿を使って、丹波と丹後の領内を入念に探らせた。脇坂殿はこの地によく通じておるからのぉ。そして脇坂殿は『赤井忠家が丹波のしがない村で匿われている』ことを突き止め、筑前殿は大殿にこれを報せた。大殿は『十兵衛には秘して、忠家を誅せよ』と筑前殿に命じたそうだ。筑前殿から伝えられた脇坂殿は村を囲み、忠家の首を刎ねんと匿われていた棲家に押し入ったが、もはやそこはもぬけの殻だった。」
たまは唾を飲み込む。
「忠家の行方は今となっても分からんままだが、脇坂殿は忠家を襲う数日前から明智の御家来衆が棲家に出入りしていたことを村の百姓から訊き及んだ。つまり十兵衛殿こそが赤井忠家を匿っておったということだ。」
忠興もたまも瞬きすらできない。
「なぜ忠家を匿ったのかは存ぜぬが、筑前殿は前関白様が背後で動いていたと疑っておられる。かつて黒井に住んでおられたというだけだがな・・・。しかしそれはどうでもえぇ。問題なのは、あの生真面目の十兵衛殿が大殿に隠し事をしていたということだ。」
たまはゆっくり俯く。
「其方が申すように、十兵衛殿は真面目一辺倒に大殿に尽くしてきた御方だ。だからこそそんな御人が大殿の前で抜け抜けと嘘を申したことに、大殿は十兵衛殿への一層の疑いと苛立ちを覚えたらしい。すでに大殿は十兵衛殿を見限っており、これからはわしをお側に置こうとしておったと筑前殿は申しておる。筑前殿がわしを謀っておるのか、真の大殿の意であったのかどうかは今となっては窺い知れんが、少なくともわしのこれまでの疑念に対しては全て筋が通る。」
忠興が訊ねる。
「何故、筑前殿はこのような書状を・・・。」
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「たま殿、大殿と十兵衛殿との間で赤井の件のやりとりがあったのかどうか、そしてそれが此度の動機なのかどうかは、わしには知る由もない。今申したのは、あくまでわしの『心当たり』である。他の動機があったのかもしれん。しかしいずれ大殿は十兵衛殿を切るつもりであったろう。譜代の林殿や佐久間殿を簡単に切り捨てる御方であったからのぉ。」
俯くたまの眼から大粒の涙が落ちる。
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