生残の秀吉

Dr. CUTE

文字の大きさ
44 / 201
仇討

四十四.屈折の信孝

しおりを挟む
天正十年六月十三日 午の刻

雨の宝積寺ほうしゃくじの講堂に秀吉ひでよしの本陣がかれる。既に円明寺川えんみょうじがわはさんで摂津衆せっつしゅう明智軍あけちぐんにらいは始まっている。天王山てんのうざんには小一郎こいちろうの隊が陣取りを完了し、これからあらかじ居座いすわっていた中川清秀なかがわきよひでの一隊と官兵衛かんべえの隊が入れ替わる手筈てはずである。宝積寺ほうしゃくじの本陣には秀吉ひでよし秀勝ひでかつ床几しょうぎに座っており、そば蜂須賀小六正勝はちすかころくまさかつ秀勝ひでかつの護衛としてひかえている。ここで秀吉ひでよし秀勝ひでかつ総大将そうだいしょう信孝のぶたか一人ということになったことを告げたが、昨日の恒興つねおきの言葉が彼を落ち着かせたのか、それとも予期していたのか、意外と秀勝ひでかつはあっさり承知した。そこへ信孝のぶたかを迎えに行っていた恒興つねおきがやって来る。

「お出ましじゃぁ。」

陣幕が上がり、信孝のぶたか丹羽長秀にわながひで蜂谷頼隆はちやよりたかを引き連れて入ってくる。秀吉ひでよし秀勝ひでかつは立ち上がる。秀吉ひでよしはいつものなまりを抑えながら信孝のぶたかを迎える。

信孝様のぶたかさまっ、よぅお越し頂きましたぁ。ささっ、こちらへ・・・。」

秀吉ひでよし上座かみざみちびこうとするが、信孝のぶたかは突っ立ったままである。しらけた視線で秀吉ひでよし見下みくだすと、次はそば秀勝ひでかつにらむ。視線に気付いた秀勝ひでかつは、

「お待ち申し上げておりましたぁ。」

と一礼しながらつくろうが、信孝のぶたかは何の反応も示さない。秀吉ひでよしが再度、

「ささっ、どうぞどうぞ、こちらへ・・・。」

と両手を伸ばして機嫌きげんを取ると、信孝のぶたかはいかにも『不満』をかもしながらゆっくりと上座かみざへ移り、床几しょうぎに腰掛ける。信孝のぶたかの左手に秀吉ひでよし長秀ながひで、右手に秀勝ひでかつ恒興つねおき頼隆よりたかが座す。

敵方てきがた円明寺川えんみょうじがわまで迫っており、我が方も敵と対峙たいじすべく陣をいておりまする。それゆえ多くは既に出払っておりますが、皆、総大将そうだいしょう信孝様のぶたかさまが参陣されるのを心待ちしておりました。信孝様のぶたかさまげきをいただければ、皆万人ばんにんの力を得たものぞと士気しきを上げ、必ずや大殿おおとの殿との仇討あだうちを果たせましょう。」

秀吉ひでよしに続き一同が頭を下げるが、信孝のぶたかは黙ったままである。場の空気はますます重くなる。一同の中央には四つの床几しょうぎ矢盾やたてが架け置かれ、その上に戦場いくさばの地図がかれている。秀吉ふでよしは地図を差しながら、説明する。


「我が方の兵は三万五千、敵方てきがたは一万五千っ・・・。数では圧倒しておりますが、敵は数の不利を打ち消すごとく、この隘路あいろ戦場いくさばに選んできよりました。日向守ひゅうがのかみ御坊塚ごぼうづかの本陣に五千の兵を置き、残りの一万の隊を川に沿って東西に広げて、我らに川を越えさせんとしております。そこで我らはこの寺を本陣とし、天王山てんのうざん淀川沿よどがわぞいを固めつつ、手前の平地に二段構えの隊を並べ、敵の隊列の突破を図る所存しょぞんであります。」

秀吉ひでよし信孝のぶたかの顔色をうかがうが、信孝のぶたかは視線を動かすだけである。

「敵がこの陣形であれば、一箇所でも隊列を突破できれば、総崩そうくずれになるのは必定ひつじょう・・・、一気に日向守ひゅうがのかみの本陣へ突進できましょう。」

信孝のぶたかはもはや視線を動かすことすらしなくなる。夏なのに講堂の空気はてつき、困った秀吉ひでよしはどうしたものかといた長秀ながひでの方にちらと視線を渡す。長秀ながひでもこちらに振るなと視線を落とす。

「よい策と存ずる。頼隆殿よりたかどの如何いかがか・・・。」

長秀ながひであわてて頼隆よりたかに振ったが、頼隆よりたかは案外と冷静である。

如何いかにも。敵の隊を崩せれば日向守ひゅうがのかみはおそらく勝竜寺城しょうりゅうじじょうこもるでしょうが、あの平城ひらじろならば、坂本さかもと丹波たんばからの援軍が辿たどく前に容易たやすく落とせましょうから、仇討あだうちはこの地での勝ち方にかかっておりますな。」

秀吉ひでよし頼隆よりたかの言葉に満足気まんぞくげうなずいて、そのまま上座かみざの方へ顔を向けるが、信孝のぶたかは相変わらず無表情のままである。秀吉ひでよしは気を取り直そうとする。

れば、総大将そうだいしょう信孝様のぶたかさまには本陣にて指揮を取っていただ・・・、」

といったところで、急に信孝のぶたかさえぎる。

「いやっ、わしは討って出る・・・。」

少し空気が温まったと思いきや、再び場は驚愕きょうがくと共にこおりつく。秀吉ひでよしあわてる。

「なっ、なりませぬ。総大将そうだいしょうたるや、背後でどしと構えて味方の士気しきを高めるっちゅうもんでござりまするぅ・・・。むやみに敵の矢面やおもてっとうはいけませんぞぉっ・・・。」

信孝のぶたかは止められるのが分かっていて、そのとき秀吉ひでよしに云わんと決めていた文句をく。

「わしがげきを飛ばせば、全ての兵が万人ばんにんの力を得ると云うたのは御前おまえじゃぞっ。わし自ら『永楽銭えいらくせん』の旗をかざし、敵陣に突撃することこそ、皆の士気しきふるたらせられる『げき』となるではないかぁ。」

誰が訊いても『屁理屈へりくつ』である信孝のぶたかの言葉に秀吉ひでよし翻弄ほんろうされる。

「そっ、そうは云うても・・・、」

信孝のぶたかすきを与えず攻める。

「それに総大将そうだいしょうは後ろにおるものだと誰が決めたぁ。大殿おおとの桶狭間おけはざまにて先頭に立って今川いまがわに攻め込んだではないかぁ。御前おまえ大殿おおとのがなされたことをおろかだと申すのかぁ。」

「いえっ、左様さようなこつは・・・。」

あまりの信孝のぶたか傲慢ごうまんぶりに耐える秀吉ひでよしの一方で、秀勝ひでかつはらわたは煮えくり返る。両手のにぎこぶしを自分の両膝りょうひざに押し当て、肩を震わす秀勝ひでかつは今にも立ち上がって信孝のぶたか喧嘩けんかを仕掛けようとしている。いや、まさに我慢がまんできずに立ちあがろうとしたそのとき、秀勝ひでかつの右手の甲を恒興つねおきの左手が抑え込む。怒りの表情の秀勝ひでかつ恒興つねおきを見た刹那せつな恒興つねおきがわずかに首を横に振る。秀勝ひでかつの勢いがくじかれたと見極みきわめると、恒興つねおき信孝のぶたかに明るい声で話しかける。

「そいじゃぁ、信孝様のぶたかさまっ。池田いけだの後段に入ってくれませんかのぉ。いやぁ、ちぃとわしらの後ろがようぇぇと思ぉとったんじゃぁ。わしらが敵勢てきぜいの足を止めますんで、そんとき後ろから敵をいてくだされっ。そんまま十兵衛じゅうべえのとこんまで突っ切っていただければ、わしらもそん後を追っていきますしぃ・・・。」

信孝のぶたかはふんっと鼻息を飛ばし、立ち上がる。

「分かった。そうしよう。では、話は終わりじゃ。」

信孝のぶたかはすたと陣所から立ち去る。恒興つねおきは後を追うが、最後に秀吉ひでよしを見つめ一つうなずく。秀吉ひでよしも一つうなずく。信孝のぶたか恒興つねおきがいなくなったことを認めてから、長秀ながひで頼隆よりたか秀吉ひでよしに近づく。

「わしは三七殿さんしちどの御側おそばにつき、無茶せんように見張っておく。頼隆殿よりたかどの筑前ちくぜんの指示に従って兵を動かしてくれ。」

そういって陣所から立ち去る長秀ながひでの背中を見ながら、秀吉ひでよしは心中でつぶやく。

勝三郎かつさぶろうっ、うまくやってくんろぉ・・・。)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

マルチバース豊臣家の人々

かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月 後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。 ーーこんなはずちゃうやろ? それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。 果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?  そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

【アラウコの叫び 】第1巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 また動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

If太平洋戦争        日本が懸命な判断をしていたら

みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら? 国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。 真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…そして終戦工作 分水嶺で下された「if」の決断。 破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。

【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】 3巻からは戦争編になります。 戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。 ※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

処理中です...