生残の秀吉

Dr. CUTE

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思惑

六十八.煽動の長益

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手招きして秀吉ひでよしを呼ぶ男は織田長益おだながますといい、信長のぶながの弟である。どちらかといえば仏頂面ぶっちょうづら信長のぶながとは対照的に、長益ながます人懐ひとなつっこい表情で周りを明るくする武人である。秀吉ひでよしよりも十歳若いが、頼りない見た目と違ってなかなかの武芸の達人である。したがって周囲からは頼りにされることが多いのだが、本人は七面倒しちめんどうくさいことが大嫌いで、最後まで面倒見きれず途中で投げ出すことがしばしばである。『わしは上に立つようなもんじゃねぇ。』というのが長益ながます口癖くちぐせだが、武にも文にも才能があるだけに、一目いちもくだけは置かれる存在である。秀吉ひでよし長益ながますの正面に座し、いつものなまりを抑えようとしながら話し始める。

二条にじょう御所ごしょから無事おおせて、岐阜ぎふに戻られていると訊いておりましたが、まさかこのようなところに隠れておられるとは・・・。」

「わしも山のふもとにこんなところがあるのを初めて知ったぁ。なかなか面白い経験をさせてもろぅとるわぃ。」

長益ながますは楽観的というか、常に前向きの発言をする。長益ながます秀吉ひでよしの戸惑いをさっする。

「順を追って話してやるぅっ。その前にのどが乾いてねぇかぁ。冷たい白湯さゆはあるがどうじゃ。わしは身体からだが冷えすぎて遠慮えんりょするがのぉ。」

秀吉ひでよし利家としいえに向かって首を振ると、利家ちしいえ長益ながますの右横にひかえるように座す。

「お主の云う通り、あの日わしは二条にじょう御所ごしょにおった。十兵衛じゅうべえが襲ってくると訊いて、わしは殿とのと共に暴れ回って討死うちじにするつもりじゃった。じゃが殿とのはわしに御所ごしょにおった女・子供を連れて安土あづちへ逃げろとおおせになられた。後髪うしろがみを引かれる思いじゃったが、わしは十数人を引き連れて、十兵衛じゅうべえが襲ってくる前に御所ごしょを出た。夜明けまでに琵琶湖畔びわこはんまで何とか辿たどいたが、明るくなると敵味方の分からん近江衆おうみしゅうが動き回るのが増えてきて、しかも女・子供らは疲れきっとって、そこからの動きははなはにぶくなってしもうたぁ。安土あづちの城の近くまでは何とか行けたが、あそこは日が暮れても近江衆おうみしゅうが激しくてのぉ。ほんに身動きが取れないと思ぉとったら、安土あづちから逃げてきたよしみ商人あきんどの何人かと出会でくわすことができてのぉ。彼らは十兵衛じゅうべえ近江おうみより東にはまだ手をつけておらんと云うんで、女中じょちゅうどもを彼らの家族に化けさせて、其奴そやつらに岐阜ぎふまで送り届けるように頼んだぁ。もちろん後で褒美ほうびを取らすと約束してなっ。わしはそれを見届けると、わしも具足を全部捨てて岐阜ぎふへ向かった。数日かかったが、大雨が幸いして、近江衆おうみしゅうに見つからんまま岐阜ぎふ辿たどけたわぃ。」

「それは大変でございましたなぁ・・・。何より御無事ごぶじでよぉございました。」

「わしが岐阜ぎふに着いた頃には、大殿おおとの殿との身罷みまかられたことはもちろん、筑前ちくぜん姫路ひめじで兵をあげたことも耳に入ってきた。わしも反転して十兵衛じゅうべえ一泡ひとあわ吹かせようと思ぅたが、岐阜ぎふにはさほど兵が残っとらん上に、信濃しなのから一揆いっきが流れ込んでくるうわさもあって、結局ここから出られん羽目はめになってしもうたぁ。街道を見張らせるんが精一杯せいいっぱいじゃったわぃ。」

「やむを得ませんなぁ。三介殿さんすけどのも似た境遇きょうぐうだったようで・・・。」

筑前ちくぜん仇討あだうちを果たしたと訊いたときには、胸をろしたわぃ。ほんに、ようやってくれたぁ。心から礼を申すっ。」

「およしくだされっ。わしは大殿おおとのの御恩にむくいたかっただけでございます・・・。でっ、ですが、それならこないなところに隠れんでも良いではございませんかぁ。」

「まぁっ、訊けぇ。肝心なのはここからじゃ。筑前ちくぜんの話でこの城は持ちきりじゃったが、相変わらず兵の数は少なく、信濃しなのの緊張は変わらんどころか、一部の隊が撤収てっしゅうするっちゅう話も流れてきてのぉ。わしは身動き取れんままだったんじゃが、数日してぇ・・・、あのぉ・・・、権六ごんろくんとこの養子のぉ・・・、何ていう名じゃったかのぉ・・・。」

利家としいえが助ける。

勝政殿かつまさどのでございます。」

「そぅっ、そうっ。勝政かつまさっ、そいつじゃ。そいつが軍勢をひきいて西からやってきよってのぉ。てっきりわしらを助けてくれるんかと思ぉとったら、いきなりわしの屋敷を囲みよってのぉ・・・。何を云い出すかと思えば、『長益殿ながますどのをおまもいたすっ。』とだけかしおったぁ。そんとき、わしは何が起こっとるんかさっぱり分からなんだぁ。じゃがそれからしばらくして、わしのところに五郎左ごろうざの書状が遅れて届いてなっ・・・、中身を読んで何とのぉ三七さんしちが悪さしとるのをったわぃ。」

「ほぉっ、三七殿さんしちどのがぁ・・・。」

「じゃからわしは勝政かつまさを呼びつけて、『お主はわしを誰からまもろうとしとるんじゃ。』と尋ねたんじゃ。そしたら彼奴あやつは抜け抜けと『筑前殿ちくぜんどのでございます。筑前殿ちくぜんどの此度こたび仇討あだうち契機けいき織田おだ家を乗っ取ろうとしております。』とかしおった。わしは其方そなたを昔からよぉ知っとるから、其方そなたがそんなだいそれたことはせんと承知しとるが、勝政かつまさはまるで一向宗いっこうしゅうのように、そぉ信じ込んどったわぃ・・・。そのうち勝政かつまさは『三法師様さんぽうしさま後見こうけん信孝様のぶたかさま御推挙ごすいきょくだされ。』と云いだしよった。本音ほんねが出よったんじゃ。それで確信したわぃ。勝政かつまさは、いやっ、三七さんしちはわしを筑前ちくぜんからまもろうとしとるんじゃなくて、わしを閉じ込めて三七さんしちの云う通りにさせようという魂胆こんたんじゃとなぁ。あんじょう、翌日になって今度は『もうじき親父殿おやじどの信孝様のぶたかさま岐阜ぎふに着陣いたします。それまでに御返事おへんじを・・・。』とわしをおどす始末よぉ。わしはややこしいのが嫌いじゃから、最初は『わしは知らん。皆に任せるっ』とっとったが、権六ごんろくのあの鬱陶うっとうしい髭面ひげづらが頭に浮かぶと余計に面倒臭めんどうくさくなって、しまいには『分かった、分かった』とだけ云って受け流しておった。じゃが彼奴あやつらがわしの目の前に現れたら、強引にわしに念書ねんしょでも書かせるかもしれんと思ぉてのぉ・・・、さらには下手へたすりゃぁ、ここにると身があやういとも感じたんじゃぁ。そしたら偶然に表を又左またざが通り過ぎるのを眼にしてのぉ。又左またざ其方そなたが親しいのを知っとったから、人知れず又左またざうて、何とかならんかと相談したらこの洞穴どうくつのことを訊いてのっ・・・、わしは『先に清洲きよすに参る』と置き手紙をしてからこっそり屋敷を抜け出して、其方そなたが来るまでここに隠れて待つことにしたんじゃあ。」

長益様ながますさまが身をひそめたのは正しかったのやも知れません。権六ごんろく三七殿さんしちどのが陰でこそこそしちょるこつはわしも知っちょりましたが、まさか本当にみずか三法師様さんぽうしさま後見こうけんになろうとしちょるとは・・・。」

腕を組んで考え込む秀吉ひでよしを見て、先程までの丸くつやのある長益ながますまなこが、鋭く闇をまとったまなこへと急変する。

「でっ、どうするっ、筑前ちくぜんっ。」

三法師様さんぽうしさま後見こうけんになられるのは三介殿さんすけどのが筋でございます。皆も納得いたします。そんでそれを宿老しゅくろうらが支えるっちゅうんが理想なんじゃが、こんままじゃと権六ごんろく三七殿さんしちどのが皆の足並みを乱すこつになります。わしだけでのぉ、三介殿さんすけどのもお命があやうくなるやも知れません。御二人おふたりはかりごとを何としてでも阻止せねばぁ・・・。」

「間違いなく織田おだは割れるのぉっ。こうなることは予想しとったわぃ。じゃから筑前ちくぜんに一つだけ云っておきたい・・・。遠慮えんりょはせんでえぇ。三七さんしち邪魔じゃまなら三七さんしちを討てぇっ。」

「なっ、長益様ながますさまぁっ・・・。」

「わしは何も云わん。皆がやりやすいようにやったらえぇ。三法師さんぽうし後見こうけん三介さんすけかくにして皆で支えるんが一番えぇというなら、そぉすりゃえぇ。じゃがそれを邪魔じゃまするようなやからがおるというのなら、たとい身内でも始末しまつした方がえぇ。かつて大殿おおとのもそうした。皆は知らんじゃろうが、大殿おおとのは本当は信行のぶゆきあにぃを始末しまつしとうなかったんじゃ。一度は許した。じゃが流石さすがに二度目となるとそうはいかん。そのとき大殿おおとのじょうを捨てたんじゃ。其方そなた大殿おおとのを、殿とのを、織田おだ家を大いにいてくれとるのは分かっとるが、じょうを捨てなあかんところまできとるのなら、三七さんしちを消せぇっ・・・。わしには其方そなた後押あとおししかできんがなっ。」

信孝のぶたかを改心させるのに長益ながますを頼ろうとした秀吉ひでよしは、それを切り出せず、くちびるめる。

(おねぇっ、やはり三七殿さんしちどのいくさをせなあかんみたいじゃぁ・・・。)
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