生残の秀吉

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策謀

九十三.冷然の信吉

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天正十年八月三日 未の刻

みやこの執務に一段落つけることができた秀吉ひでよしは、ようやく河内かわち若江わかえの城に入る。おねや小一郎こいちろうの話からして、気落ちしているであろうと予期していた秀吉ひでよしは、とにかく開口一番に信吉のぶよしねぎらいの言葉をかけようと思っていた。しかし城に入ると、座間ざまには思わぬ人物が信吉のぶよしかたわらに座していたので、その驚きの言葉が最初となってしまう。

「なっ、なんでここに勝三郎かつさぶろうがおるんじゃぁ。」

「よぉっ、筑前ちくぜんっ、随分遅かったのぉ。そないにみやこでやることが多かったんかぇ。」

「だぁからぁっ、なんでここに勝三郎かつさぶろうすわっとるんじゃと訊いちょるぅっ・・・。」

「なんでって、困っとる婿殿むこどのをお助けしに駆けつけるんは当然じゃろぉ。」

「むっ、『婿殿むこどの』って、おめぇ、あん話を孫七郎まごしちろうにしたんかぇっ。」

「おぅっ、おぬしも約束したでねぇけぇ・・・。」

孫七郎まごしちろうを『羽柴はしば』に戻してからっちゅうこつじゃったろうがぁ。まだそないな段取りはでけとらんぞぃ・・・。」

信吉のぶよしの若々しい声が二人のやりとりをさえぎる。

「とりあえずおかけになりませぬかぁ。」

信吉のぶよし上座かみざ秀吉ひでよしに譲り、自身は秀吉ひでよしの右側に座す。

叔父上おじうえっ、お久しゅうございまする。」

「んあぁっ、そっ、そぉじゃったのぉ・・・。元気にしちょったかぁ。なかなかこん地に来れなんで済まなんだのぉ。」

叔父上おじうえがお忙しい身の上であることは承知しております。然様さよう最中さなかにこの城を訪れていただき、孫七郎まごしちろううれしゅうございまする。」

秀吉ひでよし信吉のぶよしの成長ぶりと気品に不思議な雰囲気を覚える。久しぶりに対面した信吉のぶよし背丈せたけは自分を越すくらいに伸び、ほどよく日に焼け、表情も凛々りりしく・・・、秀吉ひでよしが知っている内気うちきなあどけない少年とは全く見違えるさまである。

孫七郎まごしちろうっ、おめぇ、随分しゃべり方が上品になったのぉ。」

三好みよしの家におりますと、自然とそうなってしまいまする。」

照れるわけでもなく、淡々と返す信吉のぶよしの口ぶりは秀吉ひでよしにとって少し寂しい。秀吉ひでよしは眼を丸くして何でも尋ねてくる秀勝ひでかつとつい比べてしまう。秀吉ひでよしの左側に座す恒興つねおきが口をはさむ。

わけぇのに立派じゃぁ・・・。筑前ちくぜんもこの城の周りを見たじゃろぉ。随分と綺麗きれぇに片付けられとるぅ。根来衆ねごろしゅう大和やまとの盗賊どもに手ひどく荒らされたと訊いとったがぁ、街の活気が少しずつ戻っとるようで安心したわぃ。思いも寄らずこんなこつになって、今まで大変じゃったろうにぃ・・・。」

叔父上おじうえ勝入様しょうにゅうさまには多くの支援を頂戴ちょうだいいただきました。筒井殿つついどのにも国境くにざかいを平らげるのに随分と助けていただきました。ここまでやってこれたのは皆様のお陰です。河内かわちを治める者として皆様に厚く御礼申し上げたい次第でありまする。」

「訊いたかぁ、筑前ちくぜんっ・・・、なんとも頼もしい婿殿むこどのじゃぁ。わしでよけりゃぁ、いくらでも力を貸すぞぃっ。」

この城で自分が信吉のぶよしを優しくねぎらおうとしていたのに、自分の眼前で過剰に信吉のぶよしめちぎる恒興つねおき秀吉ひでよし鬱陶うっとうしがる。

勝三郎かつさぶろうっ、じゃから孫七郎まごしちろう縁組えんぐみはまだ決めておらんと云うとるじゃろぉ。」

「おいおいっ、筑前ちくぜんっ。もはや三好みよしのことを気にかけてもしょうがねぇじゃろぉ。御子息ごしそく康俊殿やすとしどのは亡くなられたよぉじゃしぃ、康長殿やすながどの行方ゆくえは分からんままじゃぁ。信吉殿のぶよしどの三好みよしことわりなどねぇじゃろがぁ。」

康長殿やすながどの安否あんぴが分かるまではこんままじゃぁ。孫七郎まごしちろうっ、とりあえず家督かとくのこつは先延ばしにして、河内かわちをおめぇに任せるんで、三好みよしもんらを束ねてくんろっ。」

「承知つかまつりました。叔父上おじうえっ。」

「おいおいっ、少しは信吉殿のぶよしどのを休ませた方がえぇんじゃねぇのかぁ。」

恒興つねおきは『厳しい秀吉ひでよし、優しい恒興つねおき』という構図を創りたがるが、ここは信吉のぶよしさえぎる。

「いえっ、勝入様しょうにゅうさま。近々順慶殿じゅんけいどのと共に根来ねごろを攻めることになっております。早いうちに、われらが力を取り戻したことを根来衆ねごろしゅうに見せつけた方が良いと順慶殿じゅんけいどのが申されまして、わたくしも賛同いたしました。」

「っかぁぁ・・・、ますます婿殿むこどのれてまうわぃ。」

確かに頼もしい信吉のぶよしの言葉であるが、秀吉ひでよし信吉のぶよしが無理をしているように見て取る。

「『婿殿むこどの』はやめろっちゅうんじゃぁ、勝三郎かつさぶろうっ・・・。孫七郎まごしちろうっ、おめぇの云うこつは分かった。じゃったらもう少し踏ん張ってみりゃぁえぇ。じゃが休むことも大事じゃ。冬になる前にはいくさを終わらしとけよぉっ。」

かしこまりました。」

ここへ来て以来、ずっと淡々と言葉を返す信吉のぶよし秀吉ひでよしはもどかしさを覚える。秀吉ひでよし信吉のぶよしかも堅苦かたくるしさを払拭ふっしょくしようと、家族のことに触れる。

「ところで、あねさぁと弥助やすけさぁは達者たっしゃかぇ。」

「はいっ。母上ははうえしょうに合わぬと申して城の外で暮らしておりますが、父上ちちうえは毎日わたくしの元へ通っていただき、わたくしを支えていただいております。今は収穫に向けて蔵の中を整えておられると思いますがぁ・・・。」

「そうかっ、後で声をかけるとするわぃ。おねとおかぁも心配しちょったがぁ、おめぇの顔色を見たら喜ぶじゃろぉ。根来ねごろを黙らせたら、一度みやこへ参れ。皆に会わせちゃるわぃ。」

「お心遣こころづかい感謝いたしまする。ですが、その前に摂津せっつに寄ろうと思っておりまする。」

摂津せっつぅ・・・、何でじゃぁ。」

勝入様しょうにゅうさま三田さんだの城を譲って下さるとおっしゃってくださいまして、一度訪れてみたいと思っておりました。」

「かっ、勝三郎かつさぶろうっ、何を勝手なことを・・・。」

「はははぁっ。婿殿むこどのはほんに正直じゃのぉ。何も今云わんでえぇのにぃ・・・。」


しかし、結局この日の秀吉ひでよし信吉のぶよしの『笑顔』を見ることはできなかった。
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