生残の秀吉

Dr. CUTE

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策謀

百十.決別の一益

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雄利かつとしは自分のさかずきを床に置き、かしこまって固唾かたずむ。

「わしはこれより、三七殿さんしちどの御味方おみかたし、筑前ちくぜんを討つっ・・・。」

意外な告白に雄利かつとしは眼を丸くする。

「なっ、何とおおせになられましたぁ・・・。信孝様のぶたかさまに加勢し、筑前様ちくぜんさまを討つということは、信雄様のぶかつさまそむくことになりませんかぁ。わたくしはてっきり義父上ちちうえ信雄様のぶかつさま御味方おみかたをなされると思っておりましたがぁ・・・。」

「そぉしたいところじゃが、わしは筑前ちくぜんを認めるわけにはいかんのじゃぁ。」

「なっ、何故なにゆえでございますかぁ・・・。」

一益かずますは手に残ったするめを口に頬張ほおばろうとしたが、躊躇ためらってめる。

「わしは大殿おおとのに期待されて武田たけだ亡き後の信濃しなの甲斐かいを託された。北条ほうじょう織田おだの力を見せつけ、上杉うえすぎ徳川とくがわには手を出させんようにと牽制けんせいしながら、必死になっていくさを続けた。それだけでなく、土着の国衆くにしゅうらとよしみを深め、大殿おおとの御威光ごいこうに浸透させることにも力を注いだ。わずか半年ほどであったが、多くの国衆くにしゅうらを味方につけることができた。もちろん織田おだなびかんやからも多かったがのぉ、それでも着実に織田おだの旗が東へ広がっていくのをわしは肌で感じ取っておったわぃ・・・。」

一益かずますなつかしむように語る。

「もう少し、せめてあと半年あれば、などと意気込んどったが、それがあのような形でかなわぬ願いになるとは思いもせなんだわぃ・・・。大殿おおとの訃報ふほうが届くとたちまちに北条ほうじょうの勢いが強ぉなって、彼奴あやつらを抑えきれなんだのは無念であったぁ・・・。それでもにはわしをしたってくれた将たちもぎょおさんってのぉ・・・、わしは彼等かれらに『いつぞや戻ってくるぞぃ。』と約束して退いたんじゃ。泣いてくれる若い衆なんぞもってのぉ・・・、本当にくやしかったわぃ。」

一益かずますの視線の先は囲炉裏いろりの炎のはるか先にある。そして少しずつ内にある感情が込み上げ、自分で抑えられなくなっていく。

「じゃが戻ってきてしらされたのは、筑前ちくぜん徳川とくがわ真田さなだへ攻めるのを許したっちゅうことじゃぁ。しかも領は次第しだいじゃと・・・。さらにそれを御上おかみも認めとると・・・。これではもう領を取り返すこともできんようになってしもぉたぁ・・・。それはわしらの甲斐がいを奪われたのも同然じゃぁ。わしはっ・・・、わしはわしについてきてくれた家来衆だけでのぉて・・・、信濃しなの甲斐かいでわしに味方してくれた国衆くにしゅうらにも申し訳のぉてぇ・・・。じゃからっ・・・、じゃからわしはっ、・・・わしだけはぁっ、筑前ちくぜんがしたことを認めるわけにはいかんのじゃぁ・・・。」

一益かずますするめを持った右腕で涙と鼻水をる。雄利かつとし何故なぜか『おもとどまっていただかねば・・・』という心が動く。

御家来衆ごけらいしゅうの思いを大切になさる義父上ちちうえおっしゃることは御立派ごりっぱでございまする。ですがぁ、訊くところによると、筑前様ちくぜんさま織田おだが外から攻められんようにするために決断されたのですし、再び織田おだが力を取り戻すまで徳川とくがわ真田さなだに盾になってもらうための策略だとはかる者もおりまする。あのとき筑前様ちくぜんさまがなされたことは致し方なかったと考えられるのではありませぬかぁ。」

雄利かつとしの眼もうるおはじめる。

「それにっ、それに信雄様のぶかつさまはぁっ・・・、大殿おおとの以来の徳川とくがわとのよしみおろそかにしてはなるまいと自ら大殿おおとのに代わる者として立ち振る舞わられぇ・・・、徳川とくがわ甲斐かいの拝領を認めるものの、織田おだ家のために北条ほうじょうの勢いをごうと必死になっておられます。義父上ちちうえのなされることは、それに水を差すような話ではございませんかぁ・・・。」

一益かずますさとすように優しい声を創る。

信雄様のぶかつさまがされようとしていることは間違ってはおらん。そんな信雄様のぶかつさま御支おささえする婿殿むこどのも間違ってはおらん・・・。いやっ、筑前ちょくぜんがしたことも間違っておらんのじゃろう。」

ればぁっ・・・、御考おかんがなおしをぉっ・・・。」

首を横に振って、一益かずますが続ける。

「わしが若い頃、大殿おおとのに教えていただいたことがあるっ。わしは先のいくさまでそれを忠実に果たしてきたと自負じふしておる。婿殿むこどのにもぜひいでいってほしいことじゃ。」

涙を抑えるのが難しい雄利かつとしの眼を直視しながら、一益かずますはきりとした面持おももちになる。

「領を頂いた主人あるじというものは、命をしても民をまもらねばならんっ・・・、まもりきれず領を奪われたのなら命を投げ打ってでも取り返さんとならんっ・・・とな。じゃが今のわしは、そのどちらもできん『ぞこない』に成り果ててしもうたんじゃぁ。今までつらぬいてきた大殿おおとのの教えを、初めて果たせなくなってしもうたんじゃぁ。筑前ちくぜんがしたことは正しい道であったのやもしれんが・・・、それが本意ではなかったのかもしれんが・・・、わしから将としてのざまを奪ったのも確かじゃ。大殿おおとのの教えを果たせんようになった『ぞこない』は、それをはばんだ筑前ちくぜんを最期まで許すわけにはいかんのじゃぁ。」

雄利かつとしあきらめきれない。

「そっ、そんなぁ・・・、信雄様のぶかつさまはあれだけ義父上ちちうえのことをお慕い申し上げておられるというのにぃ・・・。今日もお分かりになられましたでしょう。」

三介殿さんすけどのいくさをするつもりはない。あくまでわしがあらがうのは筑前ちくぜんじゃぁ。連れてく兵も東から逃げ延びた同じ胸中の連中だけじゃぁ。なぁにっ、大した数じゃねぇ。じゃが、もしわしと三介殿さんすけどのが刀をまじえなければならんようになったとき・・・、わしと婿殿むこどのはそこで縁を断つっ。」

「なっ、ならば義父上ちちうえっ、わたくしも共にぃ・・・。」

一益かずますは大声で一喝いっかつする。

「ならぁんっ・・・、それ以上は絶対に口にしてはならんっ。これはわしの勝手で決めたことぉっ・・・。婿殿むこどのは関わってはならぁんっ。わしが大殿おおとのに命を捧げたようにぃ、婿殿むこどの三介殿さんすけどのに最期まで命を捧げねばならんっ。よいかぁっ・・・。」

もはや雄利かつとしは泣きじゃくる。鬼の形相ぎょうそう一益かずます雄利かつとしを見守りながら、徐々に元の優しい顔に戻っていく。やがて一益かずますふところから家督かとくのことを整理してしたためたであろう書状を取り出し、雄利かつとしに手渡しながら告げる。

「もしわしが先に命を落とすことになれば、婿殿むこどのが『滝川たきがわ』をげぇ・・・。もしわしがとらわれの身になれば、それでも婿殿むこどの三介殿さんすけどの御護おまもりすることに執着し、わしのことは切り捨てよっ、よいなっ・・・。」

肩を震わす雄利かつとしは頭を上げられない。

婿殿むこどのぉっ、わしのところへ養子に入ってくれてありがとなぁっ。大殿おおとの一辺倒いっぺんとうじゃったわしは、昔は『滝川たきがわ』なんぞつぶれてもえぇと思ぉとったぁ。じゃが今は違う。婿殿むこどのがおるからこそ、娘を大切にしてもろうてるからこそ、わしは『滝川たきがわ』を残さねばと強く思うようになったぁ・・・。ふふっ、これから『滝川たきがわ』の家は安泰じゃぁ。後はこの老体のを見つけるだけじゃぃ。遅ればせながらわしは・・・、わしだけの大殿おおとのへの御報恩ごほうおんいくさを始める。わしの生涯唯一の我儘わがままじゃっ、許せよ、我が息子よぉっ・・・。」

廊下では、盗み聞きしていたりつが一人すすいている。
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