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第二章 社畜と新しい彼女と親子仲のかたち
18.女子高生と母親への思い
しおりを挟む俺は病院に連絡先だけ置いていき、豊洲のタワーマンションに戻った。
理瀬に聞いたところ、二人はいろいろ調べた末に千葉県の郊外にあるペット供養のお寺へ行き、三郎太を火葬してもらった。遺骨をもらって帰路についたあたりで篠田が体調不良を訴えはじめた。なんとか豊洲まで戻ってきたが、メトロの駅からタワーマンションまでは歩くのもつらそうだったという。
篠田は、俺たちの部屋でぐったりと横になっていた。顔が赤く、高熱を出しているのは間違いない。
「大丈夫か?」
篠田はこくり、こくりとうなずく。声を出すのが辛いようだ。
「もう土曜の夜だから、病院は開いてない。無理なら救急車を呼ぶぞ」
「だい、じょぶ、これ、へんとうせん、ですから」
「扁桃腺?」
「わたし、たまに、へんとうせんがはれるんです、なんねんかまえにも、なりました、そのときとおなじです」
そういえば篠田は、体調を崩して何日か会社に来なかった時があった。その時も突然高熱を出していたとか。
「週明けまで持ちそうか?」
「だいじょうぶですよ、ねつさましものみましたし」
「わかった。我慢できなくなったらすぐ言えよ」
俺はそう言い残して、部屋を出る。
リビングでは、理瀬がソファに座っていた。
「篠田さんは大丈夫そうですか?」
「扁桃腺の炎症らしい。油断はできないが、もう病院も開いてない。俺たちがここにいて、様子を見ながら休み明けまで待つしか……」
その時、俺の携帯が鳴った。
都内の番号だった。思い当たるところは一つしかない。俺は震える手で電話をとった。
「宮本ですが」
「常磐さんのご知り合いの宮本さんですか?」
「そうです」
「先ほど様態が急変された常磐さんですが、低血糖のため意識不明のままです。ICUに入られましたが、回復するかどうか見込みがつきません」
「……亡くなるかもしれないということですか?」
「意識が戻らなければ、最悪その可能性があります」
「わかりました。すぐそちらへ戻ります」
電話を切って隣にいた理瀬を見ると、真っ青になっていた。
向こうの声が大きかったので、会話内容はすべて聞こえていたらしい。
「お母さん、ですか……?」
「ああ、理瀬、落ち着いて聞いてくれ」
俺はこれまでの経緯を、すべて話した。
和枝さんが俺に、後見人になってほしいと頼んできたこと。実は重い糖尿病で、おそらく会社はもう辞めていて、ついこの前に倒れて救急搬送されたこと。
そして今、かなり危険な状態だということ。
さすがの理瀬も、この話を聞いて落ち着いてはいられなかった。というか、和枝さんの話になると、理瀬は感情をあらわにする。人生のほとんどを論理的に考えている理瀬だが、和枝さんのことだけはそうもいかないらしい。それが普通だと、俺は思うが。
「理瀬。一緒に病院へ行こう」
「……」
理瀬は肯定も否定もしない。
「もしかしたら最後になるかもしれないんだ。怖いなら、俺がそばにいてやる。今会いに行かないと絶対後悔するぞ」
俺が大学生の頃、夕方に祖父の様態が急変したと聞き、翌日千葉から徳島の実家へ帰る段取りを立てていたら、その日の夜中に祖父は亡くなった。
今でも後悔している。ダッシュで羽田に向かっていれば、最後の瞬間には間に合ったのだ。
和枝さんがここで死ぬなんてことは考えたくもない。だが予定が見通せない以上、常に最悪のケースを考えて行動しなければ、絶対に後悔する。
論理的な頭をもつ理瀬なら、それくらい理解できるはずだ。
「……お母さんは、私に会いたくなかったんですよね?」
「何言ってるんだ? 病気だっただけで、お前には会いたかったんだよ」
「宮本さんとは話してましたけど、私とは会おうとしてませんでした。病気のことも、私の後見人を立てることも、私に話してくれてもいいはずなんですよ」
「それは……」
またか、と俺は思った。
和枝さんが理瀬について、自分は迷惑をかけただけだと言っていたように、理瀬もまた和枝さんに遠慮している。
親と心の読み合いをするというのは、理瀬の年頃ではありがちな話かもしれない。だが今回のものは、規模が違う。親が生死の境目にいる時、遠慮する必要はまったくない。
「なあ、理瀬」
「なんですか?」
「もうなんでもいいから、俺の言う通りについてきてくれ」
理瀬は目を丸くする。
俺自身も、そんなことを衝動的に言ったのは、予想外だった。
「でも――」
「俺が大人として、お前に親との関わり方を教えてやる。論理的な理由はない。ただそうすべきだ、と直感的に思ってるだけだ」
「そんな――」
「考えてたら間に合わない時だってあるんだよ!」
俺はこの子に、「世の中には直感で行動すべき時もある」ということを教えなければならない。
理瀬と出会った時から、ずっと感じていたことだ。
論理的に考えるのはいいことだ。だが時間がかかるし、結果的に世間一般からずれた行動になる場合もある。
会えるのに最後だけ会わなかった、となれば後々、他の人から怪訝に思われるだろう。
「それとも、お前は本当に自分の母親と会いたくないのか?」
理瀬は答えられない。
『会ってはいけない』というのは理瀬の論理的思考が導いた結論。それが正しいかどうかは別にして、直感では『会いたい』と思っているはずだ。絶対に。
「どうなんだよ!!」
「っ!」
「……大声出してすまん。だが、もう時間がないんだ。本当のところを聞かせてくれ。怒ったり、笑ったりしないから」
「私は……」
理瀬の瞳から、待ちかねていたように涙がさらっと流れ落ちる。
「私は……一人で生きていけるって、お母さんに言ったのに……一人ではなにもできなかった私を、お母さんに見せたくないんです、よ……」
「なんだそんなことか」
「そ、そんなこと?」
「心配するな。親ってものはな、子供が失敗することくらい想定済みなんだよ。赤ちゃんの頃なんか、成功より失敗することのほうが多いだろ? そんな姿をずっと見てるから、今更驚きはしない。むしろ、失敗をフォローするために助けてくれるさ」
「本当、ですか?」
「まあ、和枝さんに会ってみないとわからん」
「やっぱり……」
「でも心配するな。もし和枝さんが怒っても、俺が全力で助ける。俺としては一人で寂しくなった理瀬よりも、ほっぽり出した和枝さんの方がずっと重罪だと思ってる。そんなことは言わせない」
「……」
「全部俺のせいだ! だから、俺に騙されたと思ってついてこい!」
まだ不安そうな理瀬に、俺は笑ってみせた。
心を通わせるのは難しいかもしれない、と何度も感じていた理瀬だが。
「……おねがい、します」
この時はとても素直に、お互いを信用していた。
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