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7.それぞれの事情・風花の場合
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月曜日の朝は雨の音で目が覚めた。
昨夜の帰り道、やけに饒舌だった私を皆はどう思っただろうか。
時計の針は、もうすぐ六時。
いつもより寝坊をしているけれど、瞼が重い。
起き上がる力もなく、次に目覚めたのはコンコンという遠慮がちなノックの音。
時計を確認したら、六時半だった。
「はい」
少しだけ開けたドアの先に立っていたのは、祥太朗さん。
「ごめん、いつもは吉野さん、とっくに起きてるから、気になって」
「すみません、ちょっと寝坊しちゃいました。あ、ご飯作りますね」
「ううん、大丈夫。さっきパン屋で、できたてのロールパンやクロワッサン買ってきたし。吉野さんも食べてみない? 美味しいんだよ」
「ありがとうございます、でも今日は」
食べないことをやんわりと伝えたのに、祥太朗さんはまだ立ち尽くしている。
「もう吉野さんの分の珈琲も入れてある。部屋に持ってきた方がいい? 俺としては、一緒に食べてくれたらありがたいんだけど」
少しだけ迷ってから頷き、パジャマのまま祥太朗さんの後ろをついて、リビングに降りる。
テーブルの上には、まだ湯気のたった私用の珈琲カップ。
真ん中に置かれた紙袋には、どうやら色んなパンが詰まっているみたい。
「どれにする? オススメは、クロワッサン。サックサクなんだ、ここのは」
「では、それを」
手渡された皿の上にクロワッサンを乗せる。
小麦色の大きくていい匂いのするものを、サクリと一口頬張ると芳ばしさが広がり解けていく。
ああ、こういう時でも私はちゃんと食べれるし、なんならまだ眠れそうなくらいで。
普通、失恋といえば、不眠になって泣いてばかりで食べれなくなって。
私は本当に失恋したのだろうか、あれきり涙も出ない。
ぼんやりと食べることだけに集中していたら。
「珈琲温くなってない? 淹れ直そうか?」
話しかけられてようやく、そういえば祥太朗さんと一緒だったことに気づく。
祝日だし、きっとまだ皆は起きてこない。
お休みの日は、こんな風に祥太朗さんと二人でご飯食べてることが多かったなあ。
「祥太朗さん」
何も言わないのに珈琲を淹れ直そうとしてくれている祥太朗さんを呼び止めた。
「ん?」
「私、今日、長野に帰ってきてもいいでしょうか?」
立ち止まったまま、私を見下ろす祥太朗さんが首を傾げた。
長いトンネルを抜けた少し先で、雨のカーテンを潜り抜けたら少しずつ空が明るくなっていた。
「すごいね、さっきのって雨の境目? 長野晴れてて良かった~!!」
「ね、ね、風花ちゃんってどの辺に住んでたの?」
「あ、祥太朗! 次のサービスエリアで止めて。トイレ行きたい」
「勇気、さっきも行ったばかりじゃん!」
「勇気は食ってるか飲んでるかだから、そうなるんだよ。車なんだから少し控えろよ」
どうして? どうして、こうなってるんだろう?
運転席に祥太朗さん、助手席に私、二列目に美咲さんと勇気さん、三列目には桃ちゃんと洸太朗くん、そして何故かマスターまで。
「今日、長野に帰ってきてもいいでしょうか?」
「あ、うん、オッケー。んじゃ、皆起こしてくるから、ちょっと待ってて?」
「え? あ、あの」
「あ、もしもし、涼真? もう起きてる?」
電話をかけながら、洸太朗くんの部屋をノックして。
「暇なら長野行かん? 吉野さんが長野に行きたいって」
電話の向こうにいるマスターと寝ぼけまなこで部屋から顔を出した洸太朗くんと桃ちゃんに声をかけたら。
「行く、行くに決まってる! ドライブだよね?」
キャーって飛び出してきた桃ちゃんはそのまま二階に上がっていく。
「え、行きたい! 皆で? ねえ、勇気、起きな~!!」
桃ちゃんに起こされた美咲さんが、屋根裏部屋の勇気さんを起こしに行く。
……、一人で行くはずだったのに。
困ったな、と助手席の窓から景色を眺める私に、祥太朗さんは何も言わない。
目に飛び込んでくるのはもう紅葉はとっくに終わった少し寂しい山ばかり。
まだ雪が降る前で良かったって思う。
本当は長野に行きたい、じゃなくて、長野に帰ろうとしていた、のに。
帰るところなんて、もうないけれど、誰かに迷惑をかけて暮らすのが辛い。
心配をかけてくれたり、優しくしてくれたり、そんな人間なんかじゃないから。
一人でまたイチから……、東京にいたら、誰かに頼ってしまいそうだから。
「で、どこに行けばいいのかな?」
結局行き場所なんて決めていなかった私が言いわけのように口にしたのは、母と祖父母の眠るお墓だった。
山間の脇道を歩いて登ること五分、急に開けた森を伐採してできたような空間に町の墓所がある。
お盆の時期でもお彼岸の時期でもないから、人などおらず、墓参り時期は使える水道も閉まっているだろうと予想していた。
だから途中で買ったペットボトルの水で墓石を洗い流す。
お花すら持たない、突然の墓参りに、お母さんやおじいちゃん、おばあちゃんに心配かけたりしてないだろうか。
「風花ちゃんの実家って、もうないんだっけ?」
私の隣で手をあわせた美咲さんが、こちらを見ずに訊ねてきた。
「……、厳密に言えば、まだあります」
「誰も住んでないの?」
ううん、と首を振る。
「叔母夫婦が住んでいます。多分」
「多分?」
多分、としか言い様がない。
高校を卒業と同時にあの家を出たのだから。
「もう六年も帰ってないので、今どうしているのかわからないんです」
母の妹である叔母はたった一人の肉親だった。
だけど母には似ていなかった。
「おばさんに顔、見せなくていいの?」
強い北風が吹き抜けて寒そうに首をすくめた桃ちゃんが、息をふきかけて手を温めている。
「いいんです、きっと、」
私には会いたくないはずだから、それをかろうじて飲み込んだ。
「風花ちゃんのお母さんの名前も、お花が入ってるんだね」
花織《かおり》、石碑に刻まれたその名前を美咲さんが見つけてくれた。
「風花ちゃんのお母さんって、どんな人? 似てた?」
似てたか、どうか?
鞄に入っている手帳にはさんだ古ぼけた写真を一枚取り出して美咲さんに手渡した。
「似てますか?」
「お母さん? うん、似てる、目元とかそっくりだね」
美咲さんの声に皆が写真を覗き込んで、そうだねと頷いて、私と見比べている。
「似てるんですね」
母のことを知らない人たちにそう言われて嬉しくなる。
だって、私も母のことを知らないのだから。
昨夜の帰り道、やけに饒舌だった私を皆はどう思っただろうか。
時計の針は、もうすぐ六時。
いつもより寝坊をしているけれど、瞼が重い。
起き上がる力もなく、次に目覚めたのはコンコンという遠慮がちなノックの音。
時計を確認したら、六時半だった。
「はい」
少しだけ開けたドアの先に立っていたのは、祥太朗さん。
「ごめん、いつもは吉野さん、とっくに起きてるから、気になって」
「すみません、ちょっと寝坊しちゃいました。あ、ご飯作りますね」
「ううん、大丈夫。さっきパン屋で、できたてのロールパンやクロワッサン買ってきたし。吉野さんも食べてみない? 美味しいんだよ」
「ありがとうございます、でも今日は」
食べないことをやんわりと伝えたのに、祥太朗さんはまだ立ち尽くしている。
「もう吉野さんの分の珈琲も入れてある。部屋に持ってきた方がいい? 俺としては、一緒に食べてくれたらありがたいんだけど」
少しだけ迷ってから頷き、パジャマのまま祥太朗さんの後ろをついて、リビングに降りる。
テーブルの上には、まだ湯気のたった私用の珈琲カップ。
真ん中に置かれた紙袋には、どうやら色んなパンが詰まっているみたい。
「どれにする? オススメは、クロワッサン。サックサクなんだ、ここのは」
「では、それを」
手渡された皿の上にクロワッサンを乗せる。
小麦色の大きくていい匂いのするものを、サクリと一口頬張ると芳ばしさが広がり解けていく。
ああ、こういう時でも私はちゃんと食べれるし、なんならまだ眠れそうなくらいで。
普通、失恋といえば、不眠になって泣いてばかりで食べれなくなって。
私は本当に失恋したのだろうか、あれきり涙も出ない。
ぼんやりと食べることだけに集中していたら。
「珈琲温くなってない? 淹れ直そうか?」
話しかけられてようやく、そういえば祥太朗さんと一緒だったことに気づく。
祝日だし、きっとまだ皆は起きてこない。
お休みの日は、こんな風に祥太朗さんと二人でご飯食べてることが多かったなあ。
「祥太朗さん」
何も言わないのに珈琲を淹れ直そうとしてくれている祥太朗さんを呼び止めた。
「ん?」
「私、今日、長野に帰ってきてもいいでしょうか?」
立ち止まったまま、私を見下ろす祥太朗さんが首を傾げた。
長いトンネルを抜けた少し先で、雨のカーテンを潜り抜けたら少しずつ空が明るくなっていた。
「すごいね、さっきのって雨の境目? 長野晴れてて良かった~!!」
「ね、ね、風花ちゃんってどの辺に住んでたの?」
「あ、祥太朗! 次のサービスエリアで止めて。トイレ行きたい」
「勇気、さっきも行ったばかりじゃん!」
「勇気は食ってるか飲んでるかだから、そうなるんだよ。車なんだから少し控えろよ」
どうして? どうして、こうなってるんだろう?
運転席に祥太朗さん、助手席に私、二列目に美咲さんと勇気さん、三列目には桃ちゃんと洸太朗くん、そして何故かマスターまで。
「今日、長野に帰ってきてもいいでしょうか?」
「あ、うん、オッケー。んじゃ、皆起こしてくるから、ちょっと待ってて?」
「え? あ、あの」
「あ、もしもし、涼真? もう起きてる?」
電話をかけながら、洸太朗くんの部屋をノックして。
「暇なら長野行かん? 吉野さんが長野に行きたいって」
電話の向こうにいるマスターと寝ぼけまなこで部屋から顔を出した洸太朗くんと桃ちゃんに声をかけたら。
「行く、行くに決まってる! ドライブだよね?」
キャーって飛び出してきた桃ちゃんはそのまま二階に上がっていく。
「え、行きたい! 皆で? ねえ、勇気、起きな~!!」
桃ちゃんに起こされた美咲さんが、屋根裏部屋の勇気さんを起こしに行く。
……、一人で行くはずだったのに。
困ったな、と助手席の窓から景色を眺める私に、祥太朗さんは何も言わない。
目に飛び込んでくるのはもう紅葉はとっくに終わった少し寂しい山ばかり。
まだ雪が降る前で良かったって思う。
本当は長野に行きたい、じゃなくて、長野に帰ろうとしていた、のに。
帰るところなんて、もうないけれど、誰かに迷惑をかけて暮らすのが辛い。
心配をかけてくれたり、優しくしてくれたり、そんな人間なんかじゃないから。
一人でまたイチから……、東京にいたら、誰かに頼ってしまいそうだから。
「で、どこに行けばいいのかな?」
結局行き場所なんて決めていなかった私が言いわけのように口にしたのは、母と祖父母の眠るお墓だった。
山間の脇道を歩いて登ること五分、急に開けた森を伐採してできたような空間に町の墓所がある。
お盆の時期でもお彼岸の時期でもないから、人などおらず、墓参り時期は使える水道も閉まっているだろうと予想していた。
だから途中で買ったペットボトルの水で墓石を洗い流す。
お花すら持たない、突然の墓参りに、お母さんやおじいちゃん、おばあちゃんに心配かけたりしてないだろうか。
「風花ちゃんの実家って、もうないんだっけ?」
私の隣で手をあわせた美咲さんが、こちらを見ずに訊ねてきた。
「……、厳密に言えば、まだあります」
「誰も住んでないの?」
ううん、と首を振る。
「叔母夫婦が住んでいます。多分」
「多分?」
多分、としか言い様がない。
高校を卒業と同時にあの家を出たのだから。
「もう六年も帰ってないので、今どうしているのかわからないんです」
母の妹である叔母はたった一人の肉親だった。
だけど母には似ていなかった。
「おばさんに顔、見せなくていいの?」
強い北風が吹き抜けて寒そうに首をすくめた桃ちゃんが、息をふきかけて手を温めている。
「いいんです、きっと、」
私には会いたくないはずだから、それをかろうじて飲み込んだ。
「風花ちゃんのお母さんの名前も、お花が入ってるんだね」
花織《かおり》、石碑に刻まれたその名前を美咲さんが見つけてくれた。
「風花ちゃんのお母さんって、どんな人? 似てた?」
似てたか、どうか?
鞄に入っている手帳にはさんだ古ぼけた写真を一枚取り出して美咲さんに手渡した。
「似てますか?」
「お母さん? うん、似てる、目元とかそっくりだね」
美咲さんの声に皆が写真を覗き込んで、そうだねと頷いて、私と見比べている。
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母のことを知らない人たちにそう言われて嬉しくなる。
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