今宵、月あかりの下で

東 里胡

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8.メリークリスマス

8-2

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 オムライスの卵がとろりと口の中でとろける。
 卵の邪魔をしないように、だけど美味しさを主張するチキンライスを一口頬張って、目を見開いてからニンマリとした。
 その一連の動作をしっかり見られていたようでマスターはクスクスと笑っている。
 まかないを食べる時も思ったけれど、マスターはお料理を食べる時本当に美味しそうに味わって食べる。
 ビーフシチューもあまりに美味しそうに食べてるから、そっちにしたら良かったのだろうか、とジーッと見てしまって。

「ん?」

 私の視線に気づいたかのように、マスターが顔を上げる。

「美味しそうでしょ?」
「はい、とっても」
「じゃ、一口交換しよっか」

 え? と考える暇なく、自分のスプーンをナプキンでサッと拭いてから私のオムライスを一すくい。
 あ、そういうこと? と習うように私もナプキンでスプーンを磨いてから、いざビーフシチューを乗せて口に運ぶ。

「おいしっ」

 デミグラスソースの深い味わいに思わず、また目が大きくなったのは自分でもわかっていた。

「ねえ、風花さん、それ癖だよね?」

 マスターがまたクスクス笑っている。
 
「癖、なんでしょうか?」
「うん、今までに何度か見かけたことある。俺の作ったまかないでも、風花さんのその顔見ると、美味しいんだなって味のバロメーターみたいで何だか安心してる」
「そんなに顔に出てたんですか!?」

 自分でも思ってなかった指摘に恥ずかしくなったけれど。

「知り合いに……」
「はい?」
「その癖の人、俺の知り合いにもう一人いたんだよ、やっぱ味のバロメーターみたいだなって思ってた」
「そうなんですか」

 マスターが、寂しそうに微笑んで頷いたきり、その話は終わってしまったけれど。
 過去形だったように思う。
 もうお知り合いではないのかな?
 マスターに関してはまだまだ謎が多すぎるけれど、聞いてはいけない何かがあるのは私だって薄々感じ取っているから、口を閉ざす。
 食事の途中でロールキャベルのクリーム煮が運ばれてきた。
 キラキラと器の中で光っているみたいで思わず見とれていたら。

「食べる前から、目が丸くなってる」

 マスターがまた笑い出すから、ホッとしてロールキャベツを冷ましながら口に運んで。
 その美味しさに、性懲りもなくまた目を見開いてしまって笑われたのだった。



「オムライスも美味しかったんですけど、ビーフシチューがやはり忘れられないかもしれないです」

 今度あのお店に行ったら絶対にビーフシチューを頼むぞと心に誓っていたら。

「俺も今度はオムライスが食べたいから、また一緒に行こうよ」
「はい、また! マスターのオススメのお店があったら、また紹介して下さい!」
「ん、いいよ」

 約束ね、と差し出された小指に私も小指を絡める。
 マスターはお店のオーナーで大好きなお兄さんのような人で、いつだって穏やかで心の広い方。
 私の知っているマスターにも事情がたくさんあって。
 私の知らない過去に今も捕らわれていることを、この時の私は知らなかった。

***

「じゃあ、十八時にお待ちしてますね」

 今年のクリスマスは日曜日。
 本来ならお店はお休みだけれど、クリスマスメニューを楽しみにして下さっているお客様のために店を開ける。
 いつもなら土曜日以外は一緒に出勤する祥太朗さんが、一緒に朝食を食べに起きてくださり、玄関先まで私を見送ってくれた。

「ごめんね、吉野さんと涼真にばかり、負担かけちゃって。早めに行くから手伝えることがあれば言ってね」
「全然です、ゆっくり来て下さっても大丈夫ですよ。美味しいものいっぱい用意して待ってますからね」

 では、と頭を下げて歩き出そうとしたら。

「あ、吉野さん」
「はい?」

 振り返ったら祥太朗さんの笑顔が目に入る。

「メリークリスマス」

 照れくさそうにそう呟いた祥太朗さんを見て、笑みが込み上げるのを隠せない。
 祥太朗さんのメリークリスマスを噛みしめるように脳内リピード。
 私も照れくさいけれど口に出してみる。

「メリークリスマス、です」

 ちゃんと言えた!

「いってらっしゃい」
「いってきます!」

 祥太朗さんに手を振って軽やかに歩き出す。
 生まれて初めて『メリークリスマス』と言われた。
 生まれて初めて自分も『メリークリスマス』と言えた。
 それは、まるで楽しくなる魔法の呪文のようで、スキップしたい気持ちを堪えてカフェムーンライトの扉を開く。
 すうっと息を吸い込んで。

「おはようございます、メリークリスマスです」
「おはよ、風花さん。メリークリスマス」

 店内には先週から大きなクリスマスツリーが飾られている。
 飾りつけを任されたのが嬉しかった。
 だって、それも初めてだったのだから。
 赤や金銀の装飾は手に取るだけでも心が躍ったというのに、音楽もクリスマスソングとなった。
 毎日がクリスマスパーティーへのカウントダウンみたいで浮かれてしまう。

「吉野さん、ハイ」

 昨日と同様、トナカイのカチューシャを手渡され装着した。
 マスターも、昨日と同じく赤いサンタ帽子をかぶっている。
 これで出迎えると、お客様も笑顔になってくれて嬉しい。

「クリスマスランチのお客様には、今日もワイン一杯サービスで。で、十五時になったらお店閉めて貸し切りの看板出して用意しよう」
「はい! じゃあ、ケーキ焼きます! パン作ります!」
「よろしく! 俺は、外の掃除したら、ローストビーフ作るから」

 マスターがまたクリスマスソングを店内にかけながら、外の掃除に行く。
 私はその曲を口ずさみながら、大量のケーキを焼いた。
 大きなホールケーキは、夜のパーティーのために。
 皆の顔を想像しながら、イチゴをサンドした。



「メリークリスマス、カンパーイ」

 勇気さんの陽気な声に皆グラスを掲げる。
 テーブルの上に並んだパーティメニューは、お店で出すものではなくて、今日のためにマスターと二人で考えたものだ。

「絶対これ考えたの風花ちゃんでしょ! もう、天才!!」
「エビにしましょうって言ったのは私ですけど、ソースを考えてくれたのはマスターなんです」
「じゃあ、もう二人とも天才」

 エビ好きの美咲さんのために用意した『シュリンプカクテルと三種のソース』は、成功のようだ。
 エビをおかずにハイペースでワインを飲んでいる横で、勇気さんはバゲットカナッペに夢中。
 勇気さんはこれが好きだろうなって思ってた、生ハムやアンチョビなどの塩分強めなのが好きだから。
 桃ちゃんは案の定クリームチーズをのせたポテトの籠を手放さないし、洸太朗くんは甘いの大好きだからさっきからフルーツのチョコフォンデュばかり。
 祥太朗さんは、鶏肉好きだからやはりローストチキンに手を伸ばしてる。
 その他にもパエリアやマスター自慢のローストビーフ。
 そして私が作った特大のクリスマスケーキがまだ冷蔵庫で待機中。

「では、そろそろプレゼント交換始めるよ~!! ちゃんと用意してきた?」
「もっちろん」

 美咲さんの掛け声に桃ちゃんが笑顔で、イエーイと応えている。

「洸太朗、例の物をここに」

 まるで怪しい駆け引きでもするかのように洸太朗くんを呼び寄せる美咲さん。
 その声に反応して洸太朗くんが胸ポケットから出したものは、割りばしだった。

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