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11.それぞれの事情・勇気の場合
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「勇気くん、どこ行ったんだろな」
お茶を飲みTVを見ながら呟く洸太朗くんに、桃ちゃんも、ため息をつき同意している。
心が痛い、とても痛い、この家の中で勇気さんの行方を知っているのは私だけなのだ。
内緒って、こんなにも辛いものだろうか。
「祥太朗さんも美咲さんも遅いですね」
「祥兄ィのことだから、駅近くで姉ちゃんのこと待っててあげてんじゃないかな」
チラリと時計を見たらもうすぐ二十三時になろうとしている。
いつもならば二十時には美咲さんは家についていて、その三十分後には祥太朗さんも帰ってきているのに。
遅くなると言っていた美咲さんのことをすぐに迎え入れてあげられるように、祥太朗さんはあの公園で待っててあげてるんじゃないだろうか?
ベンチに腰かけてビールを飲み、あの日のように寂しそうに寂しそうに月を見上げているのじゃないだろうか。
今夜はとても冷えるのに、二人とも風邪なんかひかなきゃいいのだけれど。
「風花さんも早く休みなよ」
「ありがとうございます」
「おやすみ、風花ちゃん」
日付が変わった頃、二人は部屋に戻っていく。
私はテーブルの上に、手紙を置いた。
ビーフシチューの鍋ごと、冷蔵庫に入っていること。
保存ケースに二人分のパンが入っていること、サラダは一人分ずつラップをし、冷蔵庫に入っているので好きなドレッシングをかけて食べてほしいこと。
食器はそのままにしておいても大丈夫なこと。
それから、お疲れ様とおかえりなさい。
リビングの電気はそのままで、洗面所で歯磨きをし部屋に戻ろうと階段を上がり始めた時だった。
ガチャガチャと玄関ドアの鍵を開ける音がして、二人が帰ってきた気配。
出迎えるために階段を降りようとして、ハッと身を竦めた。
玄関ドアの前、二人はいた。
美咲さんは泣いているのだろう。
祥太朗さんの胸の中にしっかりと抱きしめられて、肩を震わせて泣いていた。
「あんま、泣き過ぎるとブスになんぞ」
「うっさい……、美人は目が腫れても美人なんだから」
「言ってろ」
二人に気づかれないように、静かに階段を上がる。
見えてしまった祥太朗さんの表情。
傷ついてしまった大切な人を護る様に、優しく力強い表情に一瞬、胸の奥でキリリと強く締め付けられるような感覚に陥った。
痛い、なんだか、とても胸が痛い。
自室に滑り込んで、そっと窓の外を見上げた。
青白く冷たい横顔をした月が、あの日見たのと似ていたせいだろうか。
心細くなり、鼻の奥がツーンとした。
「おはようございます」
誰もいないリビングのカーテンを開け、朝支度を始めようとキッチンに立って気が付いた。
テーブルに置かれたままの手紙、冷蔵庫には昨日自分が置いたままの向きのシチュー鍋、サラダもパンもそのまま。
二人が起きてくる前に、素早くそれぞれをパックに詰めて、保冷バッグに収納する。
うん、今日のお昼は勇気さんとマスターにもこれを食べて貰おう。
ご飯を研ぎ、お味噌汁を作る。
ほうれん草入り卵焼きと、きんぴらごぼう、美咲さんの好きなトマトサラダにチキンを添えて。
全てが一人分少ないご飯を作っていることが何だか寂しい。
あとどれくらいこれを繰り返したら、榛名家はまた六人に戻るのだろうか。
「おはよ、吉野さん」
「おはようございます、祥太朗さん」
欠伸をしながらもいつもと同じ時間に起きてくる祥太朗さんの顔が、夕べ見たものと重なり目を逸らした。
「昨日はごめんね、夕飯まだ残ってる? 俺、食べるから」
慌てたように冷蔵庫を開けた祥太朗さんが首を傾げている。
いつも誰かが遅くなることがあったら、冷蔵庫に入れておく。
いつの間にか定着していたそのルールを祥太朗さんも覚えていたのだろう。
「昨日の朝、美咲さんも祥太朗さんも遅いって言ってたので、だから念のため三人分しか作ってなかったんです」
顔を見ないように、お味噌汁に入れるネギを刻む。
「そっか、いつも残ってたし、もしかして、って。ごめんね、気を使わせて」
「いえ、あ、朝ごはんできましたので、お出ししてもいいですか?」
「うん、えっと」
「はい?」
「吉野さん、今日なんか調子悪かったり、して?」
「え?」
言うなり、私の隣に立った祥太朗さんが吹きこぼれる寸前になっていた味噌汁の火を止めた。
「ごめんなさい。少しボーッとしてたみたいです。作り直します」
「いや、これで大丈夫だよ?」
「でも、煮立たせてしまったら美味しくないですし」
押し問答をしていると美咲さんの足音が聞こえてきた。
昨日と少しだけ違ったのは。
「おはよ、風花ちゃん、祥太朗。寝坊しちゃって、今日は本当に食べる時間ない。もう出るね! あ、夜は食べる、絶対! 本当にごめん!!」
少し腫れたまぶたで弱々しい笑顔の美咲さんが顔だけをだして、出勤していく。
それを黙って見送る祥太朗さんの手が、何かを我慢するようにギュッと握っているのを見たら。
「行ってあげなくて、いいんですか?」
「うん、でも」
と私の作ったテーブルの上にのるおかずをチラリと眺めている。
「洸太朗くんと桃ちゃんに食べて貰いますし、それでも余ったらまかないの差し入れにします」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えて、ごめんね! 昨日も今日も。じゃ、先に行きます」
慌ただしく去っていく祥太朗さんの背中を見送って、テーブルの上にのるおかずを見回した後。
煮立ってしまった味噌汁を捨てる。
桃ちゃんと洸太朗くんだけのお味噌汁を作りながら、落ちてきた涙の意味を。
私はまだ気づきたくない、傷つきたくない。
「食べます、食べるから!」
私が無言で出したまかないの量の多さに勇気さんは困ったように眉尻を下げる。
「俺は嬉しいけどね、風花さんのご飯美味しいし」
マスターの笑顔に、勇気さんはうんうんと頷きながらも。
「まあ、そりゃそうなんだけど……」
「勇気の場合は罪悪感でお腹いっぱいなんだろ? これが美咲さんが食べなかったご飯だと思うと」
う、と箸を止めてしまった勇気さんが項垂れる。
「勇気さん、帰ってきませんか? 美咲さん、このままじゃガリガリにやせ細っちゃうかもしれませんよ? 勇気さんのせいで倒れちゃったらどうするんです?」
今日で五日目、もしかしたら外では何か食べているかもしれないのだけれど、連日朝も食べず夜も遅く帰ってきている美咲さん。
そして美咲さんと同じ時間に出掛け、夜も合わせて帰ってきている祥太朗さん。
食べられずに残っていくご飯を見る度に、私も元気が無くなっていくし。
桃ちゃんや洸太朗くんまで元気がないのだ。
「一週間待とうと思いましたが、もう無理です。ここに勇気さんがいること、黙っているのも辛いんです」
それだけじゃない、なんだか榛名家がバラバラになってしまったようで寂しいのだ。
寂しくて、やるせない。
「ごめんね、風ちゃん、もうちょっとだけ」
そんな風に困った顔をされたら、これ以上は強くは出られないけれど……。
向かい合うテーブルの片隅、勇気さんと私のスマホが同時に光る。
それに気づき、互いに顔を見合わせた。
同時に入る知らせ、それは榛名家のグループメッセージな気がして。
勇気さんは手に取らず、じっとそれを見つめていた。
私が読めば自分の既読にはならないし、と期待している目に一瞬だけ膨れて見せてから内容を確認して。
「マスター、早退させてください」
「え?」
そっとマスターにだけ、メッセージの内容を見せた。
「うん、わかった。風花さんは、場所知ってる? 行き方、わかる?」
「え、っと」
「風ちゃん? 何があった?」
「心配なら自分で確認しろ、勇気! で、風花さん連れて行け! ほら、早く!!」
帰り支度をする私の後ろでマスターに怒られていた勇気さんは、メッセージ内容を確認したらしく、素早く階段を昇り自分のバッグを持って降りてきた。
「行こう、風ちゃん! 早く!!」
「えっ!? あ、はい」
グイッと腕を引かれて連れ去られるように店の外へ。
「美咲さん、何ともなきゃいいんだけど」
見送るマスターの心配そうな声に、私も頷く。
そっと勇気さんの顔を見たら、唇を噛みしめて泣き出しそうな顔をしていた。
『美咲が会社で倒れて救急車で病院に運ばれた、って連絡入った。今、俺も新宿の中央総合病院に向かってる。詳細わかったら、また連絡するから』
祥太朗さんから届いたメッセージに、心が痛む。
無理にでもご飯食べさせれば良かったかな、とか。
私じゃ何も力になれなかったのかな、とか。
いつもよりも遅く感じる電車移動に気ばかりが急ぐ。
お茶を飲みTVを見ながら呟く洸太朗くんに、桃ちゃんも、ため息をつき同意している。
心が痛い、とても痛い、この家の中で勇気さんの行方を知っているのは私だけなのだ。
内緒って、こんなにも辛いものだろうか。
「祥太朗さんも美咲さんも遅いですね」
「祥兄ィのことだから、駅近くで姉ちゃんのこと待っててあげてんじゃないかな」
チラリと時計を見たらもうすぐ二十三時になろうとしている。
いつもならば二十時には美咲さんは家についていて、その三十分後には祥太朗さんも帰ってきているのに。
遅くなると言っていた美咲さんのことをすぐに迎え入れてあげられるように、祥太朗さんはあの公園で待っててあげてるんじゃないだろうか?
ベンチに腰かけてビールを飲み、あの日のように寂しそうに寂しそうに月を見上げているのじゃないだろうか。
今夜はとても冷えるのに、二人とも風邪なんかひかなきゃいいのだけれど。
「風花さんも早く休みなよ」
「ありがとうございます」
「おやすみ、風花ちゃん」
日付が変わった頃、二人は部屋に戻っていく。
私はテーブルの上に、手紙を置いた。
ビーフシチューの鍋ごと、冷蔵庫に入っていること。
保存ケースに二人分のパンが入っていること、サラダは一人分ずつラップをし、冷蔵庫に入っているので好きなドレッシングをかけて食べてほしいこと。
食器はそのままにしておいても大丈夫なこと。
それから、お疲れ様とおかえりなさい。
リビングの電気はそのままで、洗面所で歯磨きをし部屋に戻ろうと階段を上がり始めた時だった。
ガチャガチャと玄関ドアの鍵を開ける音がして、二人が帰ってきた気配。
出迎えるために階段を降りようとして、ハッと身を竦めた。
玄関ドアの前、二人はいた。
美咲さんは泣いているのだろう。
祥太朗さんの胸の中にしっかりと抱きしめられて、肩を震わせて泣いていた。
「あんま、泣き過ぎるとブスになんぞ」
「うっさい……、美人は目が腫れても美人なんだから」
「言ってろ」
二人に気づかれないように、静かに階段を上がる。
見えてしまった祥太朗さんの表情。
傷ついてしまった大切な人を護る様に、優しく力強い表情に一瞬、胸の奥でキリリと強く締め付けられるような感覚に陥った。
痛い、なんだか、とても胸が痛い。
自室に滑り込んで、そっと窓の外を見上げた。
青白く冷たい横顔をした月が、あの日見たのと似ていたせいだろうか。
心細くなり、鼻の奥がツーンとした。
「おはようございます」
誰もいないリビングのカーテンを開け、朝支度を始めようとキッチンに立って気が付いた。
テーブルに置かれたままの手紙、冷蔵庫には昨日自分が置いたままの向きのシチュー鍋、サラダもパンもそのまま。
二人が起きてくる前に、素早くそれぞれをパックに詰めて、保冷バッグに収納する。
うん、今日のお昼は勇気さんとマスターにもこれを食べて貰おう。
ご飯を研ぎ、お味噌汁を作る。
ほうれん草入り卵焼きと、きんぴらごぼう、美咲さんの好きなトマトサラダにチキンを添えて。
全てが一人分少ないご飯を作っていることが何だか寂しい。
あとどれくらいこれを繰り返したら、榛名家はまた六人に戻るのだろうか。
「おはよ、吉野さん」
「おはようございます、祥太朗さん」
欠伸をしながらもいつもと同じ時間に起きてくる祥太朗さんの顔が、夕べ見たものと重なり目を逸らした。
「昨日はごめんね、夕飯まだ残ってる? 俺、食べるから」
慌てたように冷蔵庫を開けた祥太朗さんが首を傾げている。
いつも誰かが遅くなることがあったら、冷蔵庫に入れておく。
いつの間にか定着していたそのルールを祥太朗さんも覚えていたのだろう。
「昨日の朝、美咲さんも祥太朗さんも遅いって言ってたので、だから念のため三人分しか作ってなかったんです」
顔を見ないように、お味噌汁に入れるネギを刻む。
「そっか、いつも残ってたし、もしかして、って。ごめんね、気を使わせて」
「いえ、あ、朝ごはんできましたので、お出ししてもいいですか?」
「うん、えっと」
「はい?」
「吉野さん、今日なんか調子悪かったり、して?」
「え?」
言うなり、私の隣に立った祥太朗さんが吹きこぼれる寸前になっていた味噌汁の火を止めた。
「ごめんなさい。少しボーッとしてたみたいです。作り直します」
「いや、これで大丈夫だよ?」
「でも、煮立たせてしまったら美味しくないですし」
押し問答をしていると美咲さんの足音が聞こえてきた。
昨日と少しだけ違ったのは。
「おはよ、風花ちゃん、祥太朗。寝坊しちゃって、今日は本当に食べる時間ない。もう出るね! あ、夜は食べる、絶対! 本当にごめん!!」
少し腫れたまぶたで弱々しい笑顔の美咲さんが顔だけをだして、出勤していく。
それを黙って見送る祥太朗さんの手が、何かを我慢するようにギュッと握っているのを見たら。
「行ってあげなくて、いいんですか?」
「うん、でも」
と私の作ったテーブルの上にのるおかずをチラリと眺めている。
「洸太朗くんと桃ちゃんに食べて貰いますし、それでも余ったらまかないの差し入れにします」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えて、ごめんね! 昨日も今日も。じゃ、先に行きます」
慌ただしく去っていく祥太朗さんの背中を見送って、テーブルの上にのるおかずを見回した後。
煮立ってしまった味噌汁を捨てる。
桃ちゃんと洸太朗くんだけのお味噌汁を作りながら、落ちてきた涙の意味を。
私はまだ気づきたくない、傷つきたくない。
「食べます、食べるから!」
私が無言で出したまかないの量の多さに勇気さんは困ったように眉尻を下げる。
「俺は嬉しいけどね、風花さんのご飯美味しいし」
マスターの笑顔に、勇気さんはうんうんと頷きながらも。
「まあ、そりゃそうなんだけど……」
「勇気の場合は罪悪感でお腹いっぱいなんだろ? これが美咲さんが食べなかったご飯だと思うと」
う、と箸を止めてしまった勇気さんが項垂れる。
「勇気さん、帰ってきませんか? 美咲さん、このままじゃガリガリにやせ細っちゃうかもしれませんよ? 勇気さんのせいで倒れちゃったらどうするんです?」
今日で五日目、もしかしたら外では何か食べているかもしれないのだけれど、連日朝も食べず夜も遅く帰ってきている美咲さん。
そして美咲さんと同じ時間に出掛け、夜も合わせて帰ってきている祥太朗さん。
食べられずに残っていくご飯を見る度に、私も元気が無くなっていくし。
桃ちゃんや洸太朗くんまで元気がないのだ。
「一週間待とうと思いましたが、もう無理です。ここに勇気さんがいること、黙っているのも辛いんです」
それだけじゃない、なんだか榛名家がバラバラになってしまったようで寂しいのだ。
寂しくて、やるせない。
「ごめんね、風ちゃん、もうちょっとだけ」
そんな風に困った顔をされたら、これ以上は強くは出られないけれど……。
向かい合うテーブルの片隅、勇気さんと私のスマホが同時に光る。
それに気づき、互いに顔を見合わせた。
同時に入る知らせ、それは榛名家のグループメッセージな気がして。
勇気さんは手に取らず、じっとそれを見つめていた。
私が読めば自分の既読にはならないし、と期待している目に一瞬だけ膨れて見せてから内容を確認して。
「マスター、早退させてください」
「え?」
そっとマスターにだけ、メッセージの内容を見せた。
「うん、わかった。風花さんは、場所知ってる? 行き方、わかる?」
「え、っと」
「風ちゃん? 何があった?」
「心配なら自分で確認しろ、勇気! で、風花さん連れて行け! ほら、早く!!」
帰り支度をする私の後ろでマスターに怒られていた勇気さんは、メッセージ内容を確認したらしく、素早く階段を昇り自分のバッグを持って降りてきた。
「行こう、風ちゃん! 早く!!」
「えっ!? あ、はい」
グイッと腕を引かれて連れ去られるように店の外へ。
「美咲さん、何ともなきゃいいんだけど」
見送るマスターの心配そうな声に、私も頷く。
そっと勇気さんの顔を見たら、唇を噛みしめて泣き出しそうな顔をしていた。
『美咲が会社で倒れて救急車で病院に運ばれた、って連絡入った。今、俺も新宿の中央総合病院に向かってる。詳細わかったら、また連絡するから』
祥太朗さんから届いたメッセージに、心が痛む。
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