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第1話 日常
しおりを挟む──ラクス大陸 東方。
果てしない草原を渡る潮風が、王都の塔をかすめてゆく。
この地を治めるは、ナビル王国。
穏やかな風と規律に包まれた国──その静寂の奥で、物語は動き始める。
丘の上。草の匂いと湿った風が、城下のざわめきを遠くへ押しやる。
「時間通りだな……」
大柄の男が革巻きの望遠筒を片手に、遠くの修道院を覗いた。
「そうだね。」
隣に立つ青年が静かに応じる。
「この日は必ず王女一人だ。」
「一週間のうち二日……そのうち王女一人なのはこの日……。」
大柄の男は望遠筒を外し、指で空に線を引くみたいに、視界の奥へ道筋をなぞる。
「出発時間……修道院までの道筋……帰城の時間……すべて同じだ。」
「そうだね。半年間、全部同じ。」
「ナビル王国は規則正しいからな。ま、そのほうが俺たちにとっては好都合だ。」
(馬車に乗り……)
(外壁を回り……)
(修道院へ……)
丘から見下ろす道を、紺色の天蓋を載せた馬車が滑るように進む。
車輪が石畳を踏み、規則正しい音を刻む。週に二度、同じ刻限、同じ揺れ。
舗道に開いた小さな窪みで、いつも同じ場所だけ少し強く弾む。
それすらも、この国の秩序の一部のようだった。
馬車の窓辺には王女セリーナ。
視線は外へ、さらにその向こうへ。
城壁の影、市場のざわめき、修道院へ続く並木道──どれも彼女の瞳を通り過ぎ、指先に触れないまま遠くへ流れていく。
頬の線は柔らかいが、瞳の奥にわずかな陰が落ちていた。
馬車が修道院に到着する。
扉が開き、セリーナは静かに降り立つ。
「セリーナ様。お待ちしておりました。」
門前の修道女が深く頭を垂れた。
「今日もよろしくお願いします。」
セリーナは微笑みながら、軽く会釈する。
二人は石畳を渡り、冷たい空気の通う回廊へと消えていった。
礼拝堂は朝の光をすりガラス越しに抱いている。
長椅子の列の間を風が抜け、蝋の香りが薄く漂った。鐘は鳴らない。
合図は、長机に置かれた白布の折り目と、静かな呼吸だけ。
セリーナは祭壇の前に進み、両の指を重ねる。
祈りの言葉は短く、声はほとんど聞こえない。
祈りは誰に向けるでもなく、ただ『今日も同じであること』を確かめる儀式のようだった。
背筋を伸ばし、目を閉じる。
十数呼吸の沈黙が、衣擦れの音をひとつ残らず飲み込んでいく。
祈りを終えると、彼女は窓際の小卓に腰を下ろした。
白磁のカップから湯気が立ち、微かな香りが空気に溶ける。
誰とも話さない。呼びかけられれば微笑むけれど、自ら言葉を探すことはない。
外の木立が揺れ、ガラスに淡い影を流す。
その移ろいを追うように、セリーナの瞳がわずかに動き、また静まる。
彼女の日課、世界の規則、心の呼吸──どれも乱れない。
だからこそ、彼女の静けさが際立っていた。
やがて席を立ち、扉へ向かう。
「ではまた四日後に。」
「はい。お待ちしております。」
「あ、セリーナ様。」
「はい。」
修道女は一歩近づき、肩のリボンをそっと結び直す。
セリーナが微笑みながら言う。
「ありがとう。」
「ほかは……大丈夫でございますね。」
丁寧な言葉に、セリーナは小さく頷いた。
石段を降り、陽の色が濃くなった中庭へ。
護衛の兵が先頭に立ち、馬車の扉が開く。
規則正しい世界が、また規則正しく回り出すための配置につく。
丘の上。
「兵士が動いた。」
「ああ……出てきたな……」
「護衛が先頭……予定通り。」
「ガット。もう後戻りはできないよ。いい?」
「俺たちはやるしかねぇんだ。」
「そうだね……」
「コビー、手筈どおりで頼む。」
「わかった!」
「よし……行くぞ!」
二人は丘を駆け降りた。
世界の規則は、いま、別の規則に触れようとしていた。
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