スラム出身の“偽聖女”は、傷ついた第二王子と政略結婚しました。〜本当の私は、王に滅ぼされた最強名家の生き残りです!~

紅葉山参

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騒がしくなる王宮

王城の影に潜む魔物

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 扉の向こうから押し寄せてきたざわめきは、まるで見えない波が部屋の空気を塗り替えるようだった。政務官、宮廷魔導士、各派閥の使者。豪奢な衣の擦れる音と熱い視線が室内を満たし、私は知らず息をのんだ。第二王子を救った平民の少女。奇跡の力を持つ可能性。派閥にとって、それは新しい“駒”の出現を意味する。ダニエル殿下は私の手を静かに離し、わずかに眉を寄せた。

「混乱を避けるためにも、いったん下がってくれ。イレネス嬢も疲れている」

 だが、彼の控えめな指示は押し寄せる声にかき消された。

「殿下、あの奇跡の詳細を……」「魔力の発現は安定しているのか……」「聖女候補の保護は我が派閥が……」

 継ぎ目のない欲望の光が、私の方へ伸びてくる。口元は礼節を装いながら、瞳だけがぎらぎらと本性をにじませていた。ダニエルは静かに息を吐き、私を庇うように半歩前に出た。

「質問は後にしよう。彼女は今、療養が必要だ」

 それは第二王子の強い意志がこもった声だったが、この場にいる多くは従わない。王家の未来を左右する可能性を前に、理性より欲望が勝っているのが一目で分かった。

(……これが、宮廷の現実)

 胸がざわりと波打ち、息が浅くなる。そんな時だった。

「皆、少し下がれ」

 低く、しかし澄んだ声が響いた。

 場の空気が一瞬にして変わる。ざわめく人々が振り返り、その中心にゆっくりと歩み込んでくる影。深紅のマントが流れ、金糸の髪が光を絡め取る。その歩みは静かで、無駄がなく、揺らがない。

 第一王子——レオンハルト。

 彼は足を止め、軽く手を上げただけで場を鎮めた。その動作は王太子としての威厳に満ちていたが、どこか“人の動きを読むことに慣れた者の仕草”にも見えた。

「病み上がりの弟を囲んで声を荒げるとは、少しばかり配慮に欠けるのではないか」

 微笑みを浮かべながらも、その目には笑みの色はない。冷たく研ぎ澄まされた視線が、ひとりひとりの喉元を静かに通り過ぎていく。人々は押し黙り、数歩後ろへと下がった。

「レオン兄上……」

 ダニエルが驚いたように名を呼ぶと、レオンハルトは弟に目を向け、穏やかな笑みを浮かべた。

「無事でよかった。……本当に」

 声は柔らかく、兄としての温情を感じさせる。しかし、その温度はどこか均一で、弟の命を心から案じているというより、計算された“正しい表情”のようにも見えた。ダニエルもそれを薄く感じ取ったのか、言葉を継ごうとして僅かに口を閉ざす。

 レオンハルトは視線をゆっくりと巡らし、最後に私の方へと目を止めた。

「イレネス嬢。先ほどは挨拶ができず、失礼したね」

 その声音は優しいが、その瞳だけが何かを計り続けている。警戒ではない。もっと静かで、深い——“選別”に近い何か。

「い、いえ……殿下こそ、お気になさらず……」

「助けられたのは弟だが、救われたのは王国そのものだ。君の力は……思った以上に価値がある」

(……価値)

 その言葉の響きに、私は無意識に背筋を伸ばしていた。褒め言葉のようでいて、まるで宝石の純度を確かめる商人のような調子。価値があるということは、価値が“減れば”“失えば”どうなるかまで意識している者の語り方だった。

 貴族たちが騒然となる一方で、レオンハルトはゆっくりと歩み寄り、私の正面に立った。その距離は近いのに、どこか測量されているような感覚に襲われる。

「イレネス嬢。私から一つだけ願いがある」

 彼が人前で“願い”という言葉を使うのは異例だ。視線が一斉に彼へ向けられる。

「——弟を救ったように、この王国を救う覚悟はあるか」

 一瞬、息が止まった。

 問いの形をしているが、実際は“選択の余地のない宣告”のように響いた。人々の視線、宮廷の期待、王家の行方。そのすべてが私の返答に絡みつく。

 ダニエルが不安げに私を見つめた。

(……逃げられない)

 そう悟った瞬間、私はゆっくり口を開いた。

「……まだ、自分の力も分からないことばかりです。ですが——できる限りのことをしたいと思っています」

 レオンハルトの目が細められた。笑っている。けれど、その奥に潜む光は、温かさとはまるで違う。

「いい返答だ。……君には期待しているよ」

 “期待”という言葉が落ちた瞬間、レオンハルトの周囲の空気が僅かに沈んだ。

 期待に応えられない者には、どんな未来が待つのか——その想像が背筋を冷たく撫でた。

「兄上。彼女を追い詰める必要はない」

 ダニエルが静かに告げると、レオンハルトは軽く肩をすくめた。

「追い詰める? 弟よ、私は君の命の恩人へ敬意を示しているだけだよ。それ以外の意図があるように聞こえるのなら……それは君の心がそう告げているだけだ」

 柔らかく、しかし刺すように鋭い言葉。ダニエルの表情がわずかに陰る。

 レオンハルトは弟を見つめる。その眼は、兄弟としてではなく、もっと別の感情を帯びていた。

 ——“自分より優れた存在を前にした、人間の影”。

「では私は失礼する。……またすぐに会うことになるだろう、イレネス嬢」

 そう告げ、レオンハルトはゆったりとした足取りで部屋を出ていった。残された空気は重く、熱を伴って揺れ続ける。ダニエルは静かに拳を握りしめた。

「兄上は……何を考えているのか分からない。だが……気をつけてくれ」

 私も息を整えながら頷く。

(レオンハルト殿下……ただ優しい王子ではない。あの人の本心は、まだ誰にも見えない)

 癒しの光は奇跡を生んだ。
 しかし同時に——王宮の深い影までも照らし出してしまったのかもしれない。
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