スラム出身の“偽聖女”は、傷ついた第二王子と政略結婚しました。〜本当の私は、王に滅ぼされた最強名家の生き残りです!~

紅葉山参

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ロザリアの暗躍

襲撃

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 王都を離れてしばらく経つのに、胸の緊張だけは少しも消えなかった。

 ダニエルは私の様子を横目で見ながら、気づいているのかいないのか、手綱をゆっくり引いて速度を落とした。

「歩きにしよう。一度休んだ方がいい」

「……うん。ありがとう」

 馬を下りると、足に残っていた強張りがじわりと緩む。
 ダニエルは私より先に周囲の状況を確かめ、道の脇に生えている倒木に腰を下ろすよう手で示した。

 私は馬の首を軽く撫でてから、彼の隣に座った。

 少しの沈黙。
 鳥の声がかすかに聞こえる。

 ダニエルがふいに風を切るような低い声で言った。

「……やっぱり、まだ緊張してる?」

「してる。だって、本当に……私を狙ってる人がいるのかもしれないんだよ?」

「いるよ」

 即答だった。

 あまりに迷いのない声で返され、胸がひゅ、と細くなる。

「君に危険が向かってるのは確かだ。王命という形でひとりで辺境に向かわせた。これは偶然じゃない」

「でも、本当に……命を狙うほどのことかな。私は聖女候補の中で一番目立ってるわけでもないのに」

「目立ってるよ」

 ダニエルは私をまっすぐ見た。
 青い瞳が、光を溶かした水面みたいに揺れる。

「君の光は……誰より強い。自覚がないかもしれないけど、儀式に関わる者なら誰でも分かる。君だけが特別だ」

「そんな……」

「それに」

 彼はわずかに視線を伏せ、言い方に迷ったように小さく息を吐いた。

「……兄上は、君に目を付けている」

 その言葉に胸がざわつく。

「第一王子殿下が……? どうして?」

「理由は……分からない。でも、兄上のやり方は昔から変わらないんだ。価値があると判断したら取り込む。使えないと思えば……排除する。その境界線が残酷なほどはっきりしている」

「だからロザリアを囲ったの……?」

「彼女は兄上が“利用価値が高い”と判断したんだろう。可憐で、従順で、扱いやすい。だけど」

 そこから先は、言葉をこらえるように喉が詰まった。

 沈黙のあと、ダニエルはきつく唇を結んで続けた。

「君は違う。兄上の思い通りにならない。だから……気に入らない」

 風が道の土をさらさらと巻き上げた。

 その風に紛れ、ダニエルが低く言う。

「……だからこそ、狙われる。君を排除したい派閥が動く。ロザリア嬢も、きっとその一人だ」

「私、そんな……争いの種になりたいわけじゃないのに」

「君は悪くない。悪いのは、君の光を歪んだ目で見るやつらだ」

 気づけば、ダニエルの手が私の手をそっと包んでいた。
 いつもの穏やかな触れ方ではなく、迷いを振り払うような、少し強い握り。

「……守るから」

 その一言は、まっすぐで、ためらいがなかった。

「私のために、そんな……」

「当然だよ」

 私が驚いて見返すと、ダニエルは視線をそらすように横を向いた。

「……君が危険に晒されているのに、何もしないわけないだろ。俺は……」

 そこで言葉が途切れ、彼は拳を握りしめた。

「……とにかく、君をひとりで絶対に行かせない。それだけは譲れない」

 胸がぎゅうっと強く鳴る。

 こんなふうに誰かに思われるなんて、夢にも思わなかった。

「ダニエルがついてくれれば……大丈夫って、思えるよ」

「思っていい。いや、思ってほしい」

 ほんの一瞬、彼の声が微かに震えた。
 そしてすぐに、柔らかいけれど真剣な眼差しに戻る。

「もう少ししたら出よう。森まであと少しだ。……そこが、一番危ない」

「どうして……?」

「森は視界が悪い。待ち伏せにはうってつけだ。君を狙って動いてる者たちなら、確実に仕掛けてくる」

 背中がひやりとした。

 けれど、手を握られている安心感のほうが大きかった。

「だからこそ、先に動く。できる限り、君に指一本触れさせない」

 ダニエルの声には決意が宿っていた。

「行こう。ここで長居すると逆に狙われる」

 私はうなずき、馬に乗り直した。

 森の入り口は、目で見て分かるほど薄暗い。
 昼だというのに、枝葉が重なり合い、まるで夜みたいに光が遮られている。

 足を踏み入れた瞬間、ひんやりとした空気が肌にまとわりついた。

 ダニエルは前に立ち、いつでも剣を抜けるように手をかけている。

「イレネス、俺のそばから離れないで。いい?」

「うん。離れない」

 森の奥から微かに枝が揺れる音がした。
 鳥ではない。風でもない。

 気配が迫っている。

 ダニエルはわずかに目を細め、声を落とした。

「……来る」

 私は息を呑み、手のひらに光を集めた。
 こんなに怖いのに、不思議と体は震えなかった。

 隣に、彼がいるから。

 次の瞬間――木々の影から、黒い布で顔を覆った男が飛び出してきた。

 ダニエルが剣を引き抜き、私の前に立つ。

「イレネス、下がって!」

「うん!」

 銀の剣が光を裂き、男の短剣と激しくぶつかった。

 金属音が森に響く。

 戦いは一瞬のようで、でも永遠にも思えるほど濃密だった。

 ダニエルの剣筋は鋭く迷いがなく、男はじわじわと追い詰められていく。

 数合打ち合ったあと、ついに男の短剣が弾き飛んだ。

 ダニエルはその隙を見逃さず、男の喉元に剣を突きつける。

「誰の命令だ」

 低く、怒りを押し殺した声。

 男は答えない。

 だが、その沈黙が逆に決定的だった。

 ダニエルは剣先をほんの少し押し当て、冷たく言った。

「……ロザリア嬢か」

 男の肩がびくりと震えた。

 その反応だけで十分だった。

「兄上の許可はないはずだ。ロザリア嬢が勝手に……いや、派閥の誰かが命じたか」

 ダニエルの怒りが空気を震わせる。

「イレネスを傷つけようとした。その罪、軽くは済まない」

 男は逃げようと身をよじったが、その瞬間、私の右手から放った光が男の足元を縛りつけた。

「逃げないで。あなたのせいで……誰かが悲しむなんて、もう嫌だから」

 光に縛られた男は観念したように動きを止めた。

 ダニエルは私を振り返り、わずかに表情を和らげる。

「……ありがとう。今の光、よかった」

「守りたかったの。ダニエルが……戦ってるの、見てられなかった」

 その言葉が彼の胸に届いたのか、ダニエルはほんの少しだけ息を乱し、視線を落とした。

「……君は、俺の心臓に悪い」

 呟くような声だったけれど、その奥には強い感情が混ざっていた。

「イレネス、君がいなくなったら……俺はきっと、耐えられない」

 胸が大きく跳ねる。
 でも彼は、そこで言葉を切った。

 あくまで「告白」ではない。
 だけど限りなく近い。

 その距離が、急に愛しくなる。

「必ず守る。森を抜けるまでは気を抜けない。もう一度進もう」

「……うん」

 捕らえた男を縛り上げ、馬につなぎ、私たちはふたたび森の奥へと進んだ。

 木々の向こうにはまだ影が潜んでいる。
 ロザリアの企みも、第一王子の野心も、まだ終わっていない。

 でも――。

 ダニエルの背中を見つめながら、私は確信した。

 この旅で、私たちの距離はきっと変わる。
 危険と光の中で、何かが確かに芽吹いている。

 そしてその先にあるものが、どんな未来であっても――。

 私はもう、ひとりで立ち向かうつもりはなかった。
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