スラム出身の“偽聖女”は、傷ついた第二王子と政略結婚しました。〜本当の私は、王に滅ぼされた最強名家の生き残りです!~

紅葉山参

文字の大きさ
42 / 61
ロザリアの暗躍

封じられた声の底へ

しおりを挟む
 祭壇の光が弱々しく脈動した。光は薄い呼吸のように震え、今にも消えてしまいそうだった。イレネスは胸の奥のざわめきを押さえ、両手をそっと祭壇に置いた。指先に冷たい魔力が触れた。そこには恐怖も憎しみもなく、ただひたすら助けを求める声が溶け込んでいた。

「大丈夫。必ず助ける。だから……もう少しだけ頑張って」

 言葉は光に吸い込まれるように消えていった。だが光は微かに応えた。揺れがわずかに安らいだ。

 そのとき祠の外で大きな咆哮が響いた。石畳が震え、天井から細かい砂が舞った。ダニエルはすぐに外へ向き直る。

「来たか。数は多いぞ。おまえは下がっていろ」

「下がれないよ。結界が崩れたら、この村の人たちがどうなるの」

「だからこそ俺が戦う。イレネス、おまえはここを保て。そうすれば時間が稼げる」

 祠の入口を睨みながらダニエルは言葉を続けた。

「絶対に一人で動くな。いいな」

「分かった。必ずここにいる」

 ダニエルが一瞬だけ振り返り、イレネスの瞳を見た。その視線は熱を帯びていた。守りたいという意志がはっきり宿っていた。

 そのまま彼は入口へ走り、剣を抜いた。外から吹き込んだ風は獣の匂いを運んできた。

 イレネスは息を整え、祭壇に意識を集中させた。魔力の流れは乱れていた。糸が切れそうな音がした。石柱を繋ぐ光の線が弓のようにしなり、強い負荷に耐えていた。

「このままだと……崩れる」

 両手に魔力を集めた。呼吸が熱を帯びた。祭壇に手を添えると、内部に渦巻く魔力の流れが手の中に流れ込んできた。流れは荒れていた。怒涛の波のようだった。

「落ち着いて……落ち着いて」

 イレネスは静かに声を掛けた。魔力の流れが少しずつ形を整え始めた。だが流れには別の気配が混じっていた。それは叫びでも怒りでもない。深い悲しみだった。

 ――どうか。どうか。

 声が胸に響いた。誰かが長い年月をここに封じられている。その哀しみが祠全体を軋ませていた。

「大丈夫。あなたを閉じ込めたものが誰だとしても、私は……」

 その言葉は最後まで続かなかった。

 祠全体が震えた。祭壇の奥の空間に黒いひびが走った。ひびの向こうに、赤黒い闇が蠢いた。

「これ……封印の裏側?」

 思わず息を呑んだ。

 その闇の奥から細い腕のような影が伸びてきた。人の腕ではなかった。だが絶望的なほど細く弱々しい形をしていた。その先端が空を掴むように揺らいでいた。

「助けて……って、言ってるんだよね?」

 その影はイレネスの気配に気づくと、小さく震えた。触れたい。触れられない。その不器用な求め方に胸が締めつけられた。

「触れたいの……?」

 イレネスはそっと手を伸ばした。しかし――指先が届く前に鋭い声が飛んだ。

「イレネス!」

 ダニエルの声だった。振り返ると祠の入口で魔物を斬り裂きながら叫んでいた。血が飛んだ。彼の肩に傷があった。

「それに触れるな!」

「でも……」

「駄目だ! そいつは封印に囚われたものだ。正体が分からない以上不用意に接触するな!」

 その声にイレネスの手が止まった。だが影は助けを求めるように震え続けていた。

「……ごめん。でも、あなたを閉じ込めたのは私じゃない。だから……怯えないで」

 ささやいた瞬間影は震えを弱めた。ひびの奥から微かな光が生まれた。封印が応えたようだった。

「やっぱり……ただの怪物じゃない。ここに封じられた存在そのものが苦しんでる」

 そのとき、祠の天井に大きな裂け目が走った。光の糸が弾け、石柱に深い亀裂が入った。

「イレネス! 崩れるぞ!」

「分かってる! でも止められる……はず!」

 イレネスは魔力を祭壇へ流し込んだ。光の糸が強く輝いた。祠の震えが一瞬だけ止まった。

 だがその瞬間、外から新たな叫び声が響いた。ダニエルが苛立ちを含んだ怒声を上げた。

「まだ来るのか……くそ!」

 魔物の数が増えていた。祠へ吸い寄せられるように集まり、果てしない波のように押し寄せていた。

「ダニエル!」

「振り返るな! おまえは結界を持たせろ!」

 剣が獣の爪を弾いた音が響いた。

 その瞬間だった。

 ひびの奥から少女の声が漏れた。

 ――こわい。たすけて。

 その声はあまりにも幼かった。胸が締めつけられた。

「助けなきゃ……!」

 イレネスはさらに魔力を注ぎ込んだ。祭壇が強い光を放った。祠全体が白い炎のように揺れた。

 黒いひびが少しずつ閉じていく。影が涙のように震えながら奥へ戻っていった。

「もう少し……頑張って……!」

 イレネスの身体が震えた。限界が近かった。魔力を絞り尽くしていた。

 とそのとき。

 外で爆ぜるような轟音がした。祠の入口が砕け、巨大な影が姿を現した。先ほどまでの魔物とは比べ物にならない。三つの目を持つ獣が咆哮した。

「イレネス! 伏せろ!」

 ダニエルが飛び込み、イレネスを抱き寄せて床に押し倒した。彼の体が覆いかぶさった。

 巨大な爪が二人の頭上を掠めた。風圧で石片が飛び散った。

「くそ……こんな奴まで呼び寄せられているのか……!」

 ダニエルはイレネスを庇いながらゆっくり立ち上がった。剣を逆手に持ち直した。肩の傷から血が流れていた。それでも彼の目は獣を射抜くほど強かった。

「イレネス。もう少し時間を稼げるか」

「うん……でも、あなた」

「心配するな。死なない」

 短い言葉なのに熱があった。

「必ず守る」

 その声にイレネスは頷いた。胸の痛みが熱へ変わった。

「じゃあ私も……あなたを守る」

 言葉が落ちた瞬間、祭壇の光が大きく脈動した。ひびが閉じ、影の声が静まった。

 封印は――辛うじて持ちこたえた。

 だが祠はまだ危険だった。

 外から鋭い笑い声が響いた。

 人間の声だった。

 冷たく、意味深で、嘲るような声だった。

 「よく持ちこたえましたわね……聖女候補さま」

 イレネスは息を呑んだ。

 ロザリアではない。だがロザリアの近くにいた貴婦人の声だった。

 意図は明かされない。だが匂いは濃く残る。

 罠はまだ終わっていなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

子供が可愛いすぎて伯爵様の溺愛に気づきません!

屋月 トム伽
恋愛
私と婚約をすれば、真実の愛に出会える。 そのせいで、私はラッキージンクスの令嬢だと呼ばれていた。そんな噂のせいで、何度も婚約破棄をされた。 そして、9回目の婚約中に、私は夜会で襲われてふしだらな令嬢という二つ名までついてしまった。 ふしだらな令嬢に、もう婚約の申し込みなど来ないだろうと思っていれば、お父様が氷の伯爵様と有名なリクハルド・マクシミリアン伯爵様に婚約を申し込み、邸を売って海外に行ってしまう。 突然の婚約の申し込みに断られるかと思えば、リクハルド様は婚約を受け入れてくれた。婚約初日から、マクシミリアン伯爵邸で住み始めることになるが、彼は未婚のままで子供がいた。 リクハルド様に似ても似つかない子供。 そうして、マクリミリアン伯爵家での生活が幕を開けた。

お飾り王妃のはずなのに、黒い魔法を使ったら溺愛されてます

りんりん
恋愛
特産物のないポプリ国で、唯一有名なのは魔法だ。  初代女王は、歴史に名を残すほどの魔法使い。 それから数千年、高い魔力を引き継いだ女王の子孫達がこの国をおさめてきた。 時はアンバー女王の時代。 アンバー女王の夫シュリ王婿は、他国の第八王子であった。 どこか影の薄い王婿は、三女ローズウッドを不義の子ではと疑っている。 なぜなら、ローズウッドだけが 自分と同じ金髪碧眼でなかったからだ。 ローズウッドの薄いピンク色の髪と瞳は宰相ククスにそっくりなのも、気にいらない。 アンバー女王の子供は四人で、すべて女の子だった。 なかでもローズウッドは、女王の悩みの種だ。 ローズウッドは、現在14才。 誰に似たのか、呑気で魔力も乏しい。 ある日ストーン国のレオ王から、ローズウッド王女を妻にしたいとうい申し出が届いた。 ポプリ国は、ストーン国から魔法石の原料になる石を輸入している。 その石はストーン国からしか採れない。 そんな関係にある国の申し出を、断ることはできなかった。 しかし、レオ王に愛人がいるという噂を気にしたアンバー女王は悩む。 しかし、ローズウッド王女は嫁ぐことにする。 そして。 異国で使い魔のブーニャンや、チューちゃんと暮らしているうちに、ローズウッドはレオ王にひかれていってしまう。 ある日、偶然ローズウッドは、レオ王に呪いがかけられていることを知る。 ローズウッドは、王にかけられた呪いをとこうと行動をおこすのだった。  

皇帝陛下の愛娘は今日も無邪気に笑う

下菊みこと
恋愛
愛娘にしか興味ない冷血の皇帝のお話。 小説家になろう様でも掲載しております。

「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い

腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。 お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。 当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。 彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。

断罪中、味方が多すぎて王子が孤立している件について

夏乃みのり
恋愛
バーンスタイン伯爵家の令嬢ラミリアは、魔力も剣の才能もない「ごく普通」の地味な女性。 ある日のパーティーで、婚約者であるジェラルド第二王子から「地味で無能で嫉妬深い」と罵られ、身に覚えのない罪で婚約破棄を突きつけられてしまう。 しかし、断罪劇は予想外の展開へ。

悪役令嬢は調理場に左遷されましたが、激ウマご飯で氷の魔公爵様を餌付けしてしまったようです~「もう離さない」って、胃袋の話ですか?~

咲月ねむと
恋愛
「君のような地味な女は、王太子妃にふさわしくない。辺境の『魔公爵』のもとへ嫁げ!」 卒業パーティーで婚約破棄を突きつけられた悪役令嬢レティシア。 しかし、前世で日本人調理師だった彼女にとって、堅苦しい王妃教育から解放されることはご褒美でしかなかった。 ​「これで好きな料理が作れる!」 ウキウキで辺境へ向かった彼女を待っていたのは、荒れ果てた別邸と「氷の魔公爵」と恐れられるジルベール公爵。 冷酷無慈悲と噂される彼だったが――その正体は、ただの「極度の偏食家で、常に空腹で不機嫌なだけ」だった!? ​レティシアが作る『肉汁溢れるハンバーグ』『とろとろオムライス』『伝説のプリン』に公爵の胃袋は即陥落。 「君の料理なしでは生きられない」 「一生そばにいてくれ」 と求愛されるが、色気より食い気のレティシアは「最高の就職先ゲット!」と勘違いして……? ​一方、レティシアを追放した王太子たちは、王宮の食事が不味くなりすぎて絶望の淵に。今さら「戻ってきてくれ」と言われても、もう遅いです! ​美味しいご飯で幸せを掴む、空腹厳禁の異世界クッキング・ファンタジー!

『義妹に婚約者を譲ったら、貧乏鉄面皮伯爵に溺愛されました』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「お姉さまの婚約者が、欲しくなっちゃって」 そう言って、義妹は私から婚約者を奪っていった。 代わりに与えられたのは、“貧乏で無口な鉄面皮伯爵”。 世間は笑った。けれど、私は知っている。 ――この人こそが、誰よりも強く、優しく、私を守る人、 ざまぁ逆転から始まる、最強の令嬢ごはん婚! 鉄面皮伯爵様の溺愛は、もう止まらない……!

処理中です...