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逃亡
泥中の聖域
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ロザリアの放った魔術の刃が、イレネスの展開した光の障壁に触れた瞬間、パリンと乾いた音を立てて砕け散った。 癒やしの魔力が「拒絶」へと転じたその現象に、ロザリアの余裕に満ちた表情が初めて凍りつく。
「治癒の魔力で、防御術式を⁉ 馬鹿な、そんな理論は存在しないはずよ」
「理論なんて知らない。私はただ、これ以上ダニエルを傷つけさせないって思っただけ……‼ 」
イレネスの瞳は、これまでにない強さと輝きを宿していた。 彼女の手から溢れ出す光は、汚泥に塗れた水路の壁を浄化し、暗殺者たちが隠れていた影さえも白日の下に曝け出す。
「チャンスだ、行くぞ……‼ 」
ダニエルはその隙を逃さなかった。 光に目を焼かれた暗殺者たちの懐に飛び込み、最短の動きでその武器を叩き落とす。 彼の剣は迷いなく、けれど命を奪う一線だけは踏み越えない。 その卓越した技量は、守るべき者が隣にいることでさらなる高みへと到達していた。
「くっ、これほどとは……。暗殺部隊、退がりなさい。ここは私が相手をするわ!」
ロザリアが叫び、自身の周囲に幾重もの魔法陣を展開した。 彼女の家系に伝わる、空間を削り取る攻撃魔術だ。 紫色の閃光が走り、水路の石柱が豆腐のように切り裂かれる。
ダニエルはイレネスを片腕で抱きかかえ、崩落する天井を間一髪で回避した。 足場は悪く、視界は瓦礫による煙で遮られる。
「ダニエル、私を降ろして! 右側の壁に、魔力の溜まり場がある。そこを壊せば、外へ出られるわ!」
イレネスは、白羽の力によって研ぎ澄まされた感覚で、出口を塞いでいる隠し扉の術式を見抜いていた。 ダニエルは頷き、彼女を優しく地面に降ろすと、渾身の力を込めて指定された壁へと剣を突き立てた。
「はあああぁぁぁ……‼ 」
鋼の剣と魔力が衝突し、火花が散る。 イレネスもまた、自身の光をダニエルの剣へと注ぎ込んだ。 二人の想いが一つになった瞬間、重厚な石壁が音を立てて崩れ去り、そこから眩いばかりの緑の光が差し込んできた。
王都の外郭。 鬱蒼と茂る「忘却の森」へと繋がる出口だった。
「逃がさないと言ったはずよ!」
背後からロザリアの追撃が迫る。 しかし、イレネスは最後に一度だけ振り返り、かつてのライバルへと微笑んだ。
「ロザリア様。あなたは強い人。でも、その力を誰かのために使った時、もっと本当の強さがわかるはずよ。さようなら……‼ 」
イレネスが解き放った光の衝撃波が、追っ手たちを優しく、しかし確実に水路の奥へと押し戻した。 その隙に、二人は森の深淵へと姿を消した。
しばらく走り続け、王都の鐘の音が聞こえなくなった頃、二人は大樹の根元でようやく足を止めた。 イレネスは激しい呼吸を整えながら、泥に汚れた自分の手を見つめた。
「……逃げ切れたのね、私たち」
「ああ。だが見つかるのは時間の問題だ。ラインハルトは王国の全軍を動かしてでもお前を追ってくるだろう」
ダニエルの言葉は厳しかったが、その瞳にはイレネスへの深い信頼が宿っていた。 彼は上着を脱ぎ、イレネスの冷えた肩にそっと掛けた。
「寒くないか」
「平気。それより、ダニエル。怪我、してるじゃない。見せて」
彼の脇腹をかすったロザリアの魔法の傷を見つけ、イレネスは迷わず手をかざした。 柔らかな光が傷口を包み込み、一瞬で塞いでいく。 魔力を使い果たし、眩暈を起こしそうになりながらも、彼女は笑っていた。
「治せた……。やっぱり、私はこれが一番好き」
「……お前という奴は」
ダニエルは苦笑しながら、彼女の頭をそっと撫でた。 その手は大きく、温かく、どんな魔法よりもイレネスの心を落ち着かせた。
森の奥から、夜の静寂が忍び寄ってくる。 王都の華やかさとは無縁の、厳しくも清浄な自然の音。 二人はこれから、名前も地位も捨てた逃亡者として生きていくことになる。
けれど、イレネスの胸には、白羽が与えてくれた不思議な確信があった。 この森の先に、自分たちが本当に行くべき場所があるのだと。 祠で聞いたあの声が、今も遠くから自分を導いている。
「ねえ、ダニエル。私たちがこれから行く場所、決まってる気がするの」
「どこだ」
「北の果て。始まりの地よ。そこに、白羽の本当の記憶が眠っているわ」
イレネスの視線の先には、月明かりに照らされた険しい山脈が連なっていた。 その頂には、かつて世界を癒やしたとされる「伝説の聖域」があるという。
「北か。険しい道のりになるぞ」
「あなたがいれば、どこへだって行けるわ」
イレネスは、ダニエルの大きな手をぎゅっと握りしめた。 二人の旅は、ここから本当の意味で始まったのだ。
「治癒の魔力で、防御術式を⁉ 馬鹿な、そんな理論は存在しないはずよ」
「理論なんて知らない。私はただ、これ以上ダニエルを傷つけさせないって思っただけ……‼ 」
イレネスの瞳は、これまでにない強さと輝きを宿していた。 彼女の手から溢れ出す光は、汚泥に塗れた水路の壁を浄化し、暗殺者たちが隠れていた影さえも白日の下に曝け出す。
「チャンスだ、行くぞ……‼ 」
ダニエルはその隙を逃さなかった。 光に目を焼かれた暗殺者たちの懐に飛び込み、最短の動きでその武器を叩き落とす。 彼の剣は迷いなく、けれど命を奪う一線だけは踏み越えない。 その卓越した技量は、守るべき者が隣にいることでさらなる高みへと到達していた。
「くっ、これほどとは……。暗殺部隊、退がりなさい。ここは私が相手をするわ!」
ロザリアが叫び、自身の周囲に幾重もの魔法陣を展開した。 彼女の家系に伝わる、空間を削り取る攻撃魔術だ。 紫色の閃光が走り、水路の石柱が豆腐のように切り裂かれる。
ダニエルはイレネスを片腕で抱きかかえ、崩落する天井を間一髪で回避した。 足場は悪く、視界は瓦礫による煙で遮られる。
「ダニエル、私を降ろして! 右側の壁に、魔力の溜まり場がある。そこを壊せば、外へ出られるわ!」
イレネスは、白羽の力によって研ぎ澄まされた感覚で、出口を塞いでいる隠し扉の術式を見抜いていた。 ダニエルは頷き、彼女を優しく地面に降ろすと、渾身の力を込めて指定された壁へと剣を突き立てた。
「はあああぁぁぁ……‼ 」
鋼の剣と魔力が衝突し、火花が散る。 イレネスもまた、自身の光をダニエルの剣へと注ぎ込んだ。 二人の想いが一つになった瞬間、重厚な石壁が音を立てて崩れ去り、そこから眩いばかりの緑の光が差し込んできた。
王都の外郭。 鬱蒼と茂る「忘却の森」へと繋がる出口だった。
「逃がさないと言ったはずよ!」
背後からロザリアの追撃が迫る。 しかし、イレネスは最後に一度だけ振り返り、かつてのライバルへと微笑んだ。
「ロザリア様。あなたは強い人。でも、その力を誰かのために使った時、もっと本当の強さがわかるはずよ。さようなら……‼ 」
イレネスが解き放った光の衝撃波が、追っ手たちを優しく、しかし確実に水路の奥へと押し戻した。 その隙に、二人は森の深淵へと姿を消した。
しばらく走り続け、王都の鐘の音が聞こえなくなった頃、二人は大樹の根元でようやく足を止めた。 イレネスは激しい呼吸を整えながら、泥に汚れた自分の手を見つめた。
「……逃げ切れたのね、私たち」
「ああ。だが見つかるのは時間の問題だ。ラインハルトは王国の全軍を動かしてでもお前を追ってくるだろう」
ダニエルの言葉は厳しかったが、その瞳にはイレネスへの深い信頼が宿っていた。 彼は上着を脱ぎ、イレネスの冷えた肩にそっと掛けた。
「寒くないか」
「平気。それより、ダニエル。怪我、してるじゃない。見せて」
彼の脇腹をかすったロザリアの魔法の傷を見つけ、イレネスは迷わず手をかざした。 柔らかな光が傷口を包み込み、一瞬で塞いでいく。 魔力を使い果たし、眩暈を起こしそうになりながらも、彼女は笑っていた。
「治せた……。やっぱり、私はこれが一番好き」
「……お前という奴は」
ダニエルは苦笑しながら、彼女の頭をそっと撫でた。 その手は大きく、温かく、どんな魔法よりもイレネスの心を落ち着かせた。
森の奥から、夜の静寂が忍び寄ってくる。 王都の華やかさとは無縁の、厳しくも清浄な自然の音。 二人はこれから、名前も地位も捨てた逃亡者として生きていくことになる。
けれど、イレネスの胸には、白羽が与えてくれた不思議な確信があった。 この森の先に、自分たちが本当に行くべき場所があるのだと。 祠で聞いたあの声が、今も遠くから自分を導いている。
「ねえ、ダニエル。私たちがこれから行く場所、決まってる気がするの」
「どこだ」
「北の果て。始まりの地よ。そこに、白羽の本当の記憶が眠っているわ」
イレネスの視線の先には、月明かりに照らされた険しい山脈が連なっていた。 その頂には、かつて世界を癒やしたとされる「伝説の聖域」があるという。
「北か。険しい道のりになるぞ」
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