5 / 12
断罪の日
しおりを挟む
私が仕掛けた爆弾は翌朝爆発した。
朝食の準備をしている私の背後で夫が慌ただしくスマホを操作していた。その顔は青ざめ額には冷や汗が滲んでいた。
「どうしたの」
私が平静を装い尋ねると彼は震える声で答えた。
「会社から……会社から呼び出しだ。すぐに来いって」
「急な話ね」
私はトーストを焼きながら静かに観察した。彼の様子から察するにただの呼び出しではない。社長や役員といった上層部からの緊急の呼び出しだろう。私の仕込んだ内容証明郵便が今頃彼らの手元に届き彼を追い詰めているのだ。
夫はろくに朝食も食べず普段着の中で最も清潔なチノパンと襟付きのシャツに着替えた。鳶職人としての作業着ではない。畏まった場へ行くという彼の焦りが伝わってきた。顔は土気色でまるで死刑宣告を待つ囚人のようだった。
「行ってくる」
彼はそう言って玄関を出ていった。その背中に私は冷たい視線を送った。
行ってらっしゃいあなたの人生の最終章へ。
私はパートを休み一日中アパートで彼の「断罪」を待った。昼を過ぎた頃私は近所のユリエの部屋から聞こえてくる異様な物音に気づいた。
ユリエが何かにヒステリックに怒鳴っている声。そして物が床に叩きつけられる音。
私はすぐに理解した。ユースケが会社で追い詰められた結果ユリエに連絡を取り二人の関係が破綻したのだろう。彼もまた自分の保身に必死なのだ。
ユリエの母親からの圧力もあったはずだ。ユリエは親権を失う恐怖と愛する男を失う絶望そしてこの私への怒りで発狂しているに違いなかった。
午後五時を過ぎた頃夫が帰ってきた。
玄関のドアが開いた瞬間異様な空気が部屋に流れ込んできた。彼は着ていったシャツも乱れ顔には生気がなかった。
「ユースケどうしたの」
私は優しい妻のふりをして駆け寄った。
彼は私を見て突然崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。そして私を睨みつけた。
「お前……お前がやったのか」
彼の声は掠れていた。
「何を言っているの私は何も知らないわ」
「嘘だ!会社で全部バレたんだ。俺がユリエと……仕事中に密会していたこともLINEのやり取りも全部!社長に突きつけられたんだ!!」
彼は怒りと絶望で私につかみかかろうとした。だが彼の体にはもう力が入っていなかった。
「誰が……誰がそんなことをしたんだ⁉」
私はゆっくりと彼から距離を取った。そしてテーブルの上に置いていた一枚の紙を指さした。
「これを書いたのは私よ」
彼の視線がテーブルの上の紙に向けられた。それは私が用意した離婚届だった。既に私の署名と捺印が押されている。
「ユースケあなたは私に私達の愛に嘘をついた。私はそれを許さない」
「アイナ……頼む……悪かった。もう二度としない。ユリエとはもう切る。だから……」
彼は必死に私に縋ろうとした。その姿はかつて私が愛した逞しい鳶職人ではなくただの哀れな敗北者だった。
「もう遅い」
私は冷静に言い放った。
「あなたには社会的責任を取ってもらうわ。会社はあなたをどうしたの⁉」
「……諭旨解雇だ。顧客情報を扱う部署で不貞行為と職務怠慢。もうこの業界では働けない……」
彼の声は絶望に満ちていた。私は心の中で勝利の雄叫びを上げた。計画通りだ。
「そう。良かったわね。社会的な制裁が下されて」
私は彼の目線に合わせるようにしゃがみ込み彼の頬に冷たい指先で触れた。
「そしてユリエ。彼女もあなたとの関係を完全に断ったそうよ。彼女のお母様が私に会いに来てくださってね」
彼は私の言葉に愕然とした顔をした。ユリエまで自分を裏切ったと思ったのだろう。
「慰謝料は請求するわ。この離婚届にサインしなさい。そうすればあなたの社会的な抹殺はここでおしまいにする」
私は冷静にペンを差し出した。彼の手は震えていたが抵抗する力は残されていなかった。
彼は自分の全てを失ったことを悟った。仕事不倫相手そして私という「情」の存在。
彼はペンを握りしめ離婚届に自分の名を書き入れた。
私はその離婚届を静かに受け取った。これで終わりではない。これは始まりだ。
「さようならユースケ。あなたは私が世界で最も憎むべき人間よ」
私は彼を残しアパートのドアを開けた。彼の哀れな姿を二度と見たくなかった。
部屋を出ると一階のユリエの部屋のドアが勢いよく開き私を待ち構えていたかのようにユリエが飛び出してきた。彼女の顔は化粧が崩れ目元は真っ赤に腫れ上がっていた。
「アイナ!あんた……あんたが全部やったのね!!」
彼女は私に掴みかかろうとした。
「落ち着きなさいユリエ」
私は冷たい目で彼女を見下ろした。
「もうあなたの居場所はここにはないわ。娘さんのためにも早く引っ越しなさい。あなたの母親様もそうおっしゃっていたでしょう」
ユリエは私の言葉に全身の力が抜けその場に崩れ落ちた。娘の親権を失う恐怖が彼女を支配している。
私は彼女に背を向けアパートを後にした。
朝食の準備をしている私の背後で夫が慌ただしくスマホを操作していた。その顔は青ざめ額には冷や汗が滲んでいた。
「どうしたの」
私が平静を装い尋ねると彼は震える声で答えた。
「会社から……会社から呼び出しだ。すぐに来いって」
「急な話ね」
私はトーストを焼きながら静かに観察した。彼の様子から察するにただの呼び出しではない。社長や役員といった上層部からの緊急の呼び出しだろう。私の仕込んだ内容証明郵便が今頃彼らの手元に届き彼を追い詰めているのだ。
夫はろくに朝食も食べず普段着の中で最も清潔なチノパンと襟付きのシャツに着替えた。鳶職人としての作業着ではない。畏まった場へ行くという彼の焦りが伝わってきた。顔は土気色でまるで死刑宣告を待つ囚人のようだった。
「行ってくる」
彼はそう言って玄関を出ていった。その背中に私は冷たい視線を送った。
行ってらっしゃいあなたの人生の最終章へ。
私はパートを休み一日中アパートで彼の「断罪」を待った。昼を過ぎた頃私は近所のユリエの部屋から聞こえてくる異様な物音に気づいた。
ユリエが何かにヒステリックに怒鳴っている声。そして物が床に叩きつけられる音。
私はすぐに理解した。ユースケが会社で追い詰められた結果ユリエに連絡を取り二人の関係が破綻したのだろう。彼もまた自分の保身に必死なのだ。
ユリエの母親からの圧力もあったはずだ。ユリエは親権を失う恐怖と愛する男を失う絶望そしてこの私への怒りで発狂しているに違いなかった。
午後五時を過ぎた頃夫が帰ってきた。
玄関のドアが開いた瞬間異様な空気が部屋に流れ込んできた。彼は着ていったシャツも乱れ顔には生気がなかった。
「ユースケどうしたの」
私は優しい妻のふりをして駆け寄った。
彼は私を見て突然崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。そして私を睨みつけた。
「お前……お前がやったのか」
彼の声は掠れていた。
「何を言っているの私は何も知らないわ」
「嘘だ!会社で全部バレたんだ。俺がユリエと……仕事中に密会していたこともLINEのやり取りも全部!社長に突きつけられたんだ!!」
彼は怒りと絶望で私につかみかかろうとした。だが彼の体にはもう力が入っていなかった。
「誰が……誰がそんなことをしたんだ⁉」
私はゆっくりと彼から距離を取った。そしてテーブルの上に置いていた一枚の紙を指さした。
「これを書いたのは私よ」
彼の視線がテーブルの上の紙に向けられた。それは私が用意した離婚届だった。既に私の署名と捺印が押されている。
「ユースケあなたは私に私達の愛に嘘をついた。私はそれを許さない」
「アイナ……頼む……悪かった。もう二度としない。ユリエとはもう切る。だから……」
彼は必死に私に縋ろうとした。その姿はかつて私が愛した逞しい鳶職人ではなくただの哀れな敗北者だった。
「もう遅い」
私は冷静に言い放った。
「あなたには社会的責任を取ってもらうわ。会社はあなたをどうしたの⁉」
「……諭旨解雇だ。顧客情報を扱う部署で不貞行為と職務怠慢。もうこの業界では働けない……」
彼の声は絶望に満ちていた。私は心の中で勝利の雄叫びを上げた。計画通りだ。
「そう。良かったわね。社会的な制裁が下されて」
私は彼の目線に合わせるようにしゃがみ込み彼の頬に冷たい指先で触れた。
「そしてユリエ。彼女もあなたとの関係を完全に断ったそうよ。彼女のお母様が私に会いに来てくださってね」
彼は私の言葉に愕然とした顔をした。ユリエまで自分を裏切ったと思ったのだろう。
「慰謝料は請求するわ。この離婚届にサインしなさい。そうすればあなたの社会的な抹殺はここでおしまいにする」
私は冷静にペンを差し出した。彼の手は震えていたが抵抗する力は残されていなかった。
彼は自分の全てを失ったことを悟った。仕事不倫相手そして私という「情」の存在。
彼はペンを握りしめ離婚届に自分の名を書き入れた。
私はその離婚届を静かに受け取った。これで終わりではない。これは始まりだ。
「さようならユースケ。あなたは私が世界で最も憎むべき人間よ」
私は彼を残しアパートのドアを開けた。彼の哀れな姿を二度と見たくなかった。
部屋を出ると一階のユリエの部屋のドアが勢いよく開き私を待ち構えていたかのようにユリエが飛び出してきた。彼女の顔は化粧が崩れ目元は真っ赤に腫れ上がっていた。
「アイナ!あんた……あんたが全部やったのね!!」
彼女は私に掴みかかろうとした。
「落ち着きなさいユリエ」
私は冷たい目で彼女を見下ろした。
「もうあなたの居場所はここにはないわ。娘さんのためにも早く引っ越しなさい。あなたの母親様もそうおっしゃっていたでしょう」
ユリエは私の言葉に全身の力が抜けその場に崩れ落ちた。娘の親権を失う恐怖が彼女を支配している。
私は彼女に背を向けアパートを後にした。
2
あなたにおすすめの小説
地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
恋愛
伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。
※ 全5話完結予定
復讐の恋〜前世での恨みを今世で晴らします
じじ
恋愛
アレネ=フォーエンは公爵家令嬢だ。美貌と聡明さを兼ね備えた彼女の婚約者は、幼馴染で男爵子息のヴァン=オレガ。身分違いの二人だったが、周りからは祝福されて互いに深く思い合っていた。
それは突然のことだった。二人で乗った馬車が事故で横転したのだ。気を失ったアレネが意識を取り戻した時に前世の記憶が蘇ってきた。そして未だ目覚めぬヴァンが譫言のように呟いた一言で知ってしまったのだ。目の前の男こそが前世で自分を酷く痛めつけた夫であると言うことを。
離れて後悔するのは、あなたの方
翠月るるな
恋愛
順風満帆だったはずの凛子の人生。それがいつしか狂い始める──緩やかに、転がるように。
岡本財閥が経営する会社グループのひとつに、 医療に長けた会社があった。その中の遺伝子調査部門でコウノトリプロジェクトが始まる。
財閥の跡取り息子である岡本省吾は、いち早くそのプロジェクトを利用し、もっとも遺伝的に相性の良いとされた日和凛子を妻とした。
だが、その結婚は彼女にとって良い選択ではなかった。
結婚してから粗雑な扱いを受ける凛子。夫の省吾に見え隠れする女の気配……相手が分かっていながら、我慢する日々。
しかしそれは、一つの計画の為だった。
そう。彼女が残した最後の贈り物(プレゼント)、それを知った省吾の後悔とは──とあるプロジェクトに翻弄された人々のストーリー。
もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない
もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。
……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。
裏切りの街 ~すれ違う心~
緑谷めい
恋愛
エマは裏切られた。付き合って1年になる恋人リュカにだ。ある日、リュカとのデート中、街の裏通りに突然一人置き去りにされたエマ。リュカはエマを囮にした。彼は騎士としての手柄欲しさにエマを利用したのだ。※ 全5話完結予定
能ある妃は身分を隠す
赤羽夕夜
恋愛
セラス・フィーは異国で勉学に励む為に、学園に通っていた。――がその卒業パーティーの日のことだった。
言われもない罪でコンペーニュ王国第三王子、アレッシオから婚約破棄を大体的に告げられる。
全てにおいて「身に覚えのない」セラスは、反論をするが、大衆を前に恥を掻かせ、利益を得ようとしか思っていないアレッシオにどうするべきかと、考えているとセラスの前に現れたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる