猿の内政官の孫 ~雷次郎伝説~

橋本洋一

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小松の狙い

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 小松が言い終わる前に、次の展開を予想した雷次郎は、彼女に突撃した。
 雪秀と光は雷次郎の行動の意味が分からない――小松の言っていることを半分も理解していない状態だったので、二人の頭に疑問符が占めた。だから何の行動もできなかった。

 もしもここで雪秀に指示を出せば、雷次郎の作戦は成功したかもしれない。しかし数秒間が空いてしまうことを恐れた彼は、敢えて無言で小松に迫った。それは評定の間にいた全員の虚を突いた――が。

「この無礼者が! 小松様に何をする!」

 怒声と共に天井から忍び――声からして女だ――が雷次郎の背中に落ちた。流石の雷次郎も不意を突かれてしまい、どたんと音を立てて押しつぶされてしまう。それを皮切りに次々と忍びの者が天井から下りてきた――総勢十八人。

「……なかなか、いい反応するじゃあないか。褒めてやる」

 女忍びだけではなく、他の忍びに両手足を押さえつけられてしまった雷次郎は言った。しかし悔しい気持ちは込めておらず、むしろ感心したように最初の忍びを褒めた。

「雷次郎殿。いきなりの狼藉、一体どういうつもりですか?」

 忍びたちに守られながら小松は静かに問う。
 雪秀と光は度肝を抜かれて何も話せない。
 雷次郎はそのままの姿勢で軽く笑った。

「あんたを人質にするつもりだった。そうでないと旅が続けられないからな」
「つながらないわ。きちんと説明しなさい。雪秀と、そこの娘に対しても」
「俺が動かなくても、あんたは俺と光を拘束するつもりだったんだろ? 雪秀が抗議してもな。だったら話は簡単で、あんたを人質にして小田原城の一室で説得するしかない」
「説得が通じるかどうか別にしても、間違っちゃいないわね」

 小松は険しい顔のまま「でもね、ここは小田原城なのよ」と返す。
 忍びたちはゆっくりと光に近づく。それに気づいた彼女は雪秀の傍に寄った。

「ね、ねえ。どうなっているのよ?」
「わ、私にも分からない……母上、何のつもりですか!? 雷次郎様を離してください!」
「……雪秀。あなたは何も知らないのね」

 小松は哀れんだ表情と口調で、自分の息子に言い聞かせた。
 まるで玩具を買ってもらえない子供を諭しているようだった。

「その娘は危険なの。あなたを死に追いやるかもしれないほどにね。だから私が未然に防いであげようとしているの」
「説明になっていませんよ!」
「良い子だから、その娘から離れなさい」

 小松は必ず雪秀は自分の言うことを聞いてくれるだろうと思っていた。昔から自分の言うことをいつも聞いた素直で優しい子だからだ。そこで無様に押さえ込まれている雷次郎と関わり慕うようになったのは、彼女にしてみれば腹立たしいことだったが、この状況なら絶対に従ってくれる――

「……確かに、私は母上にとって良い子ですよ」
「ゆ、雪秀!?」

 雪秀は顔を伏せて、感情の篭もっていない声で答えた。
 焦る光と笑う小松。
 しかし――雪秀は続けて言った。

「――それでも、できないことぐらい、私にもあるんです!」

 雪秀は光を立たせて、自分の背に回らせた。
 そして自分たちを囲もうとする忍びたちに向けて拳を構える。

「来るならこい。死んだほうがマシだって思うくらいの痛みを味あわせてやる」

 子供は親から離れることで一人前になる。それは古今東西における真理である。
 しかし中には子離れできない親もいるわけで、今まさに反抗された小松がそうだった。
 ぴくぴくと青筋を立てて「……なんで逆らうのよ」と呟く。
 そして――怒りが爆発する。

「なんでなんでなんで――なんで逆らうの! 歯向かうのよ! 昔は良い子だったじゃない! ほんの数年前まで! 聞き分けの良い、可愛い子だったのに!」

 立ち上がって畳を何度も踏みしめ、涎を垂らしながら、喚き散らす小松。その狂気染みた行ないに光はぞっとした。雪秀は忍びを警戒しつつ、母の奇行を見ていた。
 床に押さえ込まれている雷次郎が静かに「涎、垂れているぜ」と指摘した。
 小松の動きがぴたりと止まり、怒りの視線が雷次郎に向けられる。

「……手足に枷を付けて拘束して、地下牢に閉じ込めなさい。残りの者は雪秀の相手をして」
「娘はどうしますか?」

 小松に一番近い忍びが訊ねると「決まっているでしょう。同じく地下牢に閉じ込めて」と機嫌悪く言った。

「雪秀はかなり強いわ。無傷で捕らえられないのなら、腕でも脚でも折ってもいい。いや、そうでもしないと止まらないわね、あの子は」
「あー、雪秀。こりゃ駄目だ。一度捕まれ」

 小松と忍びのやりとりを聞いた雷次郎は気の抜けた声で諦めたことを言う。
 ぎょっとした雪秀は「何を言っているんですか!?」と怒鳴った。

「このままおめおめと捕まっていいんですか!?」
「そうだ。俺はこのまま捕まっても平気だ。自分で何とかする。それよりもお前と忍びたちが戦うのはやばい。最悪死人が出る」
「し、しかし……いいんですか?」

 雷次郎は「いいに決まっているだろ」と余裕の笑みを返した。
 それから小松に呼びかけた。

「雪秀を地下牢に閉じ込めるのはなしにしてくれよ、小松さん。城主が牢屋って、そりゃあ、ありえねえだろ。俺たちは大人しく捕まっているからさ。あんたの知っている事情ってえのを雪秀に説明してやってくれよ」
「……気絶させなさい」

 最初の女忍びが雷次郎の首筋に何かを刺した。がくっと意識を失う雷次郎。どうやら薬品が塗られた針を使われたのだろう。

「そこの雷次郎殿の言うことを聞くわけではないけど、あなたには説明が必要ね」
「……ええ、私たちには話が必要ですね」

 構えを解いて雪秀は光を向き合った。
 何がなんだか分からない彼女を安心させるように微笑んだ。

「雷次郎様には何か考えがあるはずだ。あの人に従えば上手くいく」
「ほ、本当なの……? 信じても、いいの?」
「ああ、雷次郎様を信じてくれ」

 光はしばらく雪秀の目を見つめた。
 真っ直ぐにこちらを見る曇りのない目。
 雷次郎のことを心から信用している目。

「分かったわ。私も――雷次郎を信じる」


◆◇◆◇


「ふわああ、よく寝たなあ……うん? ここはどこだ?」

 小田原城の地下深くにある、牢屋に置かれた粗末な布団の上で、雷次郎は目が覚めた。
 寝ぼけているのか、状況がよく分かっていないみたいだった。

「ようやくお目覚めね。時間が分からないけど、多分夜よ」

 真向かいの牢屋で膝を抱えて座っている光がそう告げた。地下牢と言っても蝋燭が所々に置かれているので、離れた牢屋にいても顔や姿は見えた。

「ちょっと待て。あー、そっか。そういうことか」

 じゃらじゃらと手枷と足枷の鎖の音を立てながら、雷次郎は自分の身に起きたことを把握した。

「それで、ここからどう出る気なの?」
「おいおい。目が覚めたばかりなんだぜ? そう焦るなよ」
「ふざけないで! 雪秀が言っていたわよ! あなたなら何か考えがあるはずだって!」

 甲高い声で喚き散らす光に対し、雷次郎はあっさりと打ち明けた。

「ああ、ありゃ嘘だ」
「……なんですって?」
「あの場でああ言うしか、怪我人が出ない方法はなかったからな。ここをどうやって出るのか、俺には分からんし枷を外す方法すら分からん」

 さあっと血の気が引くのが、光自身分かった。
 雷次郎は「やけに冷えるな」と掛け布団を羽織った。

「とりあえず、ここで休もう。雪秀が小松さんを説得するかもしれないしな」
「……あなたを信じた、私が馬鹿だったわ!」

 光は鉄格子に手をかけて、大声で喚き散らした。

「ここから出して! 誰か助けて! 誰でもいいから!」
「うるせえなあ……」

 騒いでいる、いや取り乱している光を余所に、雷次郎はゆっくりと自分の服の帯に仕込んでおいた針金を取り出した。無論、枷を外すためである――
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