女神と共に、相談を!

沢谷 暖日

文字の大きさ
82 / 82
後日談

十年後

しおりを挟む
 暗闇の中で声が聞こえる。
 長い。永い。夢を見ていた。
 十年前の、私とあの人が出会った時の夢。
 懐かしくて自然と涙が出てきそうになる。
 朝の時間って、夜よりも情緒が忙しくなる気がした。
 内容は覚えていなかった。
 その夢を見た。その事実だけは鮮明だった。

 頭が覚醒する。
 むくりと体を起こして横を見れば、あの人はもういない。
 時計を確認して、今は九時。カレンダーを見て、今日は日曜日。
 カーテンを開ける。マンションの五階からの眺めは、いつ見てもいい景色。
 無意識に彼女を探そうと、私は脱いでいた服を身に纏う。
 この布団はクリーニングに出さないと、と思いつつ。リビングへ向かった。
 気配がする。やっぱり、ここにいたかって。その場所に顔を出す。

「あ、やっと起きた」

 朝のコーヒーを飲んでいた彼女は、私に呆れたように言ってくる。
 夢の中で見たよりも、一層美しさを帯びていた。
 やっぱ、自分の目で見るのが一番。

「心音、おはよ」
「おはよう、伊奈」

 机に座っている心音の横に、迷わず私は腰をかける。
 頬杖をついて、コーヒーを啜る心音の顔を見る。
 夢の中で付いていた補聴器は、今は付いていない。

「今日、お休みだから映画行く予定だったでしょ。起きるの遅い」

 コーヒーカップを置いて、ふてくされた様に言ってくる。
 そう。今日はずっと暇だから、遊びに行く予定で。
 心音の服も、もうオシャレな格好になっている。
 準備は万端といったところだろうか。
 ……けど。

「まだ九時だから大丈夫じゃない? 映画館十時でしょ?」
「そうだけどさ。私、七時に起きたの。すごーく暇だった」

「ごめんね。けど……昨日は疲れたし。というかお互いに疲れてたじゃん。……だから、心音が起きるの早すぎるだけー」
「伊奈が起きるの、遅すぎるだけ。……罰として朝ごはん抜き」

「重すぎる罰っすね。……じゃあ、適当に食パン焼いとく」
「ん。そうして」

 心音は割と怒っているのだろうか。
 思いながら、私は椅子を立ち上がり、食パンが置いてあるところまで歩く。
 中から一つだけを取り出し、まだちょっと眠い頭を一回転させる。
 やっぱり焼くのは面倒くさいから、焼かずに心音の隣へと戻る。
 ティッシュを取り出し机上に広げ、そこにパンを置く。

「焼かないの?」

 問われる。
 心音はそのままコーヒーを啜る。
 コトリと置かれたそのカップの中身はもう無くなっていた。

「食パンのありのままの味を楽しもうと思ってね」
「わかった。面倒くさいから、ね」

「そんなこと言ってませんけどねー」

 完全に心の中を見透かされている。
 が、特に気にすることでもないので、食パンを持ち上げて齧り付く。
 美味しいって思えば、多分美味しい。

「せめてジャムくらいつければ?」
「あー。……まぁ、今更だからやめとく」

「そ」
「うぬ」

 むしゃむしゃ。
 そんな効果音はしないけど、むしゃむしゃ。
 味のない食パンを食べる時に私を襲う、この虚しい気持ちはなんだろうか。
 心音の言う通り、ジャムくらいつければよかったかなと思うけど、もう食パンは食べ終えてしまいそうなので、やっぱり今更かと向き直った。

「ごちそうさまー」

 手をポンと合わせて、頭を適当に下げた。
 食パンを置くのに使ったティッシュを丸めて、ゴミ箱へポイ。
 ふらふらと飛んで行ったそれは、ゴミ箱に着く前に撃沈してしまった。

「まぁいいっか」
「よくない。ちゃんと捨てて」

「後で捨てるー」
「今、捨てて。いつも私が捨ててるから」

「それは悪かったけど、今回はちゃんと捨てるってば」
「じゃ。今捨ててね」

 横から謎の圧を感じたので、私は「ぶー」と口をすぼめて席を立ち上がり、猫背状態になりながらそのティッシュを拾い、ゴミ箱に入れる。
 「よし」と達成感を覚えながら、私はさっさと定位置に戻る。

「捨ててきました!」
「はい。それが普通です」

「普通のことをちゃんとこなせるって凄いの。人間って普通ができない人が多い。だから褒めてもいいんだよ?」
「そうだね。けど伊奈は私が言わないと、普通をこなせてないの。褒めません」

「……精進します」
「頑張れ。……あとさ。なんか伊奈、におうよ。お風呂はいったら?」

「え、まじっすか」

 服をすんすんする。
 まぁ。確かに、臭うかもしれない。

「これは。夜の心音の匂い」
「言わんでいい」

 脇腹を小突かれる。
 気にしなくていいと思うけどな。
 心音はその臭いを気にしているようだ。

「服を着替えて、手を入念に洗えば大丈夫!」
「それ風呂に入るのがだるいだけでしょ?」

「せいかーい!」
「正解じゃなくてさ。……入ってきて! 今すぐ!」

「えー。じゃあさ、心音も一緒に入ろうよ」
「さっき入った」

「もっかいはいろ!」
「私、もうよそ行きの格好だよ? 夜ならいいけど、今は……」

「……。まぁ、しょうがないか。心音の匂いは私だけのものだし! 洗う!」
「そ、その、伊奈から臭うのを私の匂いって言うのやめない? 事実だけどさ。喜んでいいのかダメなのか微妙なラインになるから」

「確かに。それはごめん」
「うん」

 私は重い体を持ち上げ、椅子から立つ。
 これだけで、かなり体力を持っていかれる気がするのは、寝起きだからかな。

「じゃ、風呂行くね」
「伊奈の服、準備しとく。風呂上がったら出かけよ」

「おっけー! 至れり尽くせりで申し訳ない!」
「思ってなさそう。……あ、下着は流石に自分で出してよ」

 ……まるで私が子供みたいだ。
 心音のママみたいな発言に「はいはーい」と頷き脱衣所へ向かう。
 下着やら、バスタオルやらを取り出す。
 着ている服を脱ぎ脱ぎし、洗濯機の中に入れておいた。

 風呂場に入り、腰を下ろして水を出す。
 心音が先に使ったということもあってか、温かくなるのは早かった。

「ふぅー」

 そのシャワーの温かさ、心地よさに思わずそう息が漏れる。
 風呂って、入るまでが面倒臭いだけで、入った後はむしろ天国かな。
 この包み込まれるような温かさがとても良い。

 頭をわしゃわしゃとシャンプーを行き渡らせる。
 臭いを落とすため、石鹸でゴシゴシと割と丁寧に体を洗う。
 最後にシャワーでそれらを全て洗い流して、私は風呂を上がった。

 髪と体を拭いて、下着を着る。
 いつの間にか心音が置いていてくれた私の服も着衣する。
 まぁ。いつものお出かけ用の服だった。
 髪をドライヤーで乾かし、脱衣所から出る。

「上がったよー」

 同じところでただ座っていた心音に呼びかける。
 が、無反応。

「おーい。ここねー」

 顔の前に手をやって、ブンブン振る。
 すると、ハッと気付いたようにその顔を私に向けた。

「あ、おかえり」
「ただいま。……ぼーっとしてたけど、大丈夫?」

「あーうん。大丈夫大丈夫。高校生だった頃のこと思い出してて。……今日、夢でそういうのを見たから」
「え、奇遇! 私も、心音と出会った時の夢を見た! 内容は忘れた!」

 まさかの偶然。
 やっぱり心音と私は、夢の中でさえ結ばれているのかもしれない。
 運命共同体的な、そういう感じ。

「あの頃は沢山キスしてたなって。思い返してた」

 心音はしみじみな感じで、言葉を発する。

「今も毎日してるじゃん。夜とか」
「そうだけど。……職場が別々だから、いつでもキスできるってわけじゃないじゃん? だから、あの時はすごいよかったなって」

「休みの日はずっとしてるけどな……」
「平日の話!」

「あーなるほど。……じゃあ。今日、映画見るのやめて。ずっといちゃつく?」
「見たい映画なので、見に行く」

「そっかー」
「はい」

 あははと笑う。
 確かにあの時は、めっちゃキスしてた。
 ……今もだいぶしてる方だけど。
 毎日、職場に行く前とか、寝る前とか。
 暇を見つけては、結構やっている。キスを。

「伊奈の分のカバンとか準備したので、行きますよ」

 机の上に置いてあった私のカバンをポンポン叩いて、言ってくる。
 本当に至れり尽くせりだ。

「おっけー」

 心音は「よいしょ」と立ち上がる。
 カバンを肩からかけ、部屋を出ようとしている心音の背中に言葉を投げる。

「……あ、キスする? 外じゃしばらくはできないよ?」
「ならする」

 踵を返し、私の元へと近寄る心音。
 心音はキスする前に、私のことを抱きしめる。
 すぐに距離を置いて、目が合ったところで心音は目を瞑る。
 顎を片手で掴んで固定し、自身の唇を心音の唇へ──。
 深くはなくて、ただ、唇を合わすだけのキス。
 リップの香りが、私の鼻腔をくすぐった。

「……っし。じゃあ、続きは家に帰ってからかな?」
「……映画館のトイレとかでもいいけど」

「したくなったらいつでも言って」
「いつでも言う」

 いつになっても可愛らしさを失わない心音に「はーい」と明るく頷く。
 心音が用意してくれていたカバンを持って、その部屋を後にする。

 廊下を歩いて、玄関に着いて、ちょっと洒落た靴を靴箱から取り出した。
 心音はヒールの高い靴を取り出していた。
 それを確認した私は、ドアに手をかけた。

 開けた瞬間に、目に刺さる陽の光
 思わず、左手で私の目に影を作る。
 と、さらに眩しい光が、私の目を刺す。

「風呂の時、外してなかったな……」

 無意識に呟いた。
 けど、些細な問題だから気にしない。

 私の目を刺してくる、薬指のその輝きは。
 私にとって眩しくもあって。
 けれど、それ以上に。最高に尊い。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

義姉妹百合恋愛

沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。 「再婚するから」 そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。 次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。 それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。 ※他サイトにも掲載しております

AV研は今日もハレンチ

楠富 つかさ
キャラ文芸
あなたが好きなAVはAudioVisual? それともAdultVideo? AV研はオーディオヴィジュアル研究会の略称で、音楽や動画などメディア媒体の歴史を研究する集まり……というのは建前で、実はとんでもないものを研究していて―― 薄暗い過去をちょっとショッキングなピンクで塗りつぶしていくネジの足りない群像劇、ここに開演!!

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

プール終わり、自分のバッグにクラスメイトのパンツが入っていたらどうする?

九拾七
青春
プールの授業が午前中のときは水着を着こんでいく。 で、パンツを持っていくのを忘れる。 というのはよくある笑い話。

百合短編集

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について

おとら@ 書籍発売中
青春
この物語は、とある理由から目立ちたくないぼっちの少年の成長物語である そんなある日、少年は不良に絡まれている女子を助けてしまったが……。 なんと、彼女は学園のマドンナだった……! こうして平穏に過ごしたい少年の生活は一変することになる。 彼女を避けていたが、度々遭遇してしまう。 そんな中、少年は次第に彼女に惹かれていく……。 そして助けられた少女もまた……。 二人の青春、そして成長物語をご覧ください。 ※中盤から甘々にご注意を。 ※性描写ありは保険です。 他サイトにも掲載しております。

私がガチなのは内緒である

ありきた
青春
愛の強さなら誰にも負けない桜野真菜と、明るく陽気な此木萌恵。寝食を共にする幼なじみの2人による、日常系百合ラブコメです。

学園の美人三姉妹に告白して断られたけど、わたしが義妹になったら溺愛してくるようになった

白藍まこと
恋愛
 主人公の花野明莉は、学園のアイドル 月森三姉妹を崇拝していた。  クールな長女の月森千夜、おっとり系な二女の月森日和、ポジティブ三女の月森華凛。  明莉は遠くからその姿を見守ることが出来れば満足だった。  しかし、その情熱を恋愛感情と捉えられたクラスメイトによって、明莉は月森三姉妹に告白を強いられてしまう。結果フラれて、クラスの居場所すらも失うことに。  そんな絶望に拍車をかけるように、親の再婚により明莉は月森三姉妹と一つ屋根の下で暮らす事になってしまう。義妹としてスタートした新生活は最悪な展開になると思われたが、徐々に明莉は三姉妹との距離を縮めていく。  三姉妹に溺愛されていく共同生活が始まろうとしていた。 ※他サイトでも掲載中です。

処理中です...