辺境の付与術師のスローライフはままならない? ~Sランクパーティーを追い出された無能な俺、実は世界で唯一の概念付与の使い手でした~

沢谷 暖日

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第十六話 黒い宝玉

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 俺は蜘蛛との戦闘の疲れを感じながらも前へ歩く。
 辿っているのは、恐らくクローナが残したであろう足跡。
 そこで疑問なのが、クローナはあの大毒蜘蛛と対峙しなかったのだろうか。
 新米と言っていたし、あんな巨体を相手にできるとは到底思えない。
 もしかすると彼女が来たことで、この洞窟に異変が起きているのかもしれなかった。

「…………」

 そして俺は、辿り着いた次の空洞で言葉を失った。
 広間の中心に、祭壇があったのだ。
 中でも目を引くのが、不気味な魔力を放つ黒い宝玉だ。
 恐らくあれがアリアが語ってくれた、十年前の彼女のトラウマだろう。
 そしてその祭壇の麓に、赤い髪の少女――クローナが倒れていた。
 彼女の体は、半透明の黒いモヤに包まれ、苦しそうに身じろぎしている。
 俺は迷わず彼女の元へと駆け出した──が。

「だ、大丈夫──かっ!?」

 気付かなかった。
 一体の岩で出来た巨大なゴーレムが無機質な瞳でこちらを見つめていた。
 気付くのが遅れたのは、それがあまりにも巨大だったからだ。
 しかしまだゴーレムに動き出しそうな気配はない。
 さっさとクローナを連れて洞窟から出よう。

 そう思い、俺が祭壇に駆け寄ろうとしたその瞬間。
 祭壇の黒い宝玉が脈動するように、一度だけ強く輝いた。

 その刹那――世界から色が消えた。

 気づくと俺は、あの追放された日の酒場に立っていた。
 目の前には、英雄「神速の剣」のメンバーがいる。
 リーダーのアルドレットが俺を嘲笑っていた。

「見たことかノア。お前は結局、何もできない。誰一人、救えやしないんだ」

 こいつは何を言っているんだ?
 なぜ、アルドレットこんなところに?

「お前は独りだ。お前の力など俺たちがいて初めて意味があった。独りのお前に何ができる?」

 これは、幻覚だろう。
 そう頭では分かっているのに、心が、体が、動かない。
 アルドレットの言葉が、俺のトラウマを抉り足を縫い付けていく。

「お前は、俺の偉大さを証明するためだけの額縁だったんだよ」
「あなたのその原始的な力が側にあると、迷惑だったわ」
「お前がいなくなれば、報酬の分け前も増える」
「あなた自身の力で、新たな道を見つけるべきなのです」

 かつての仲間たちの声が、次々と俺に突き刺さる。
 そうだ、俺は無能な荷物持ちだった。役立たずだった。捨てられて当然だったんだ。

 ふ。と景色が変わる。
 そこはミストラルの図書館だった。目の前にアリアがいる。
 俺は思わず安堵の息を漏らした。だが、彼女の瞳は氷のように冷たかった。

「あなたの力、興味深いと思いました。ええ、最初は」

 アリアが、エリアーナと全く同じ、侮蔑の色を浮かべて言った。

「ですがもう十分です。データは取れました。あなたのその『手探り』の力など、私の知識で体系化すればいずれ誰にでも再現できるでしょう。あなた自身はもう必要ありません」
「そん……な……」
「何か勘違いしていましたか? 私があなたに近づいたのはあなたの力が珍しかったから。ただそれだけです。まさか、本気で仲間だなんて思っていたわけではないでしょう?」

 やめろ。
 その言葉は声にならなかった。
 足元から、世界が崩れていくような感覚に襲われる。

 景色が、また変わる。
 今度は元の洞窟。祭壇の前で、赤い髪の少女――クローナが、うっすらと目を開けて俺を見ていた。
 その瞳には光がない。

「……おそいよ」

 か細い声が、俺を責める。

「あなたが……もっとちゃんとしていれば……。アリアは、ずっと私のことを心配してくれていたのに……。あなたが、アリアから私を……」

 彼女の言葉が途切れる。
 そしてその体は、まるで石のように動かなくなった。

 違う。違う、違う、違う!

 景色が消えた。
 気づけば俺は、何もない完全な暗闇の中にたった一人で浮かんでいた。
 どこからか、声が聞こえる。
 それは、アルドレットの声のようでもあり俺自身の声のようでもあった。

 ―― これがお前の現実だ。
 ―― お前は独りだ。
 ―― 昔も今も、これからも。誰にも必要とされず誰にも理解されず、ただ利用され捨てられる。
 ―― それがお前の価値だ。

 ああそうか。
 俺は結局、何も変われていなかったのか。
 膝から力が抜けていく。もういいか。
 このまま、この闇に溶けてしまうのも楽なのかもしれない。

 その時、俺はカバンの中に確かな重みを感じた。
 アリアの知識が詰まった『概念辞書』

 ――あなたの力は、私が今まで読んだどの本にも載っていませんでした。

 アリアの声が、聞こえた気がした。
 違う。アリアは俺を用済みだと言っただろう。
 だけど思えば、あの時の、目を輝かせていた時のアリアは──。
 俺の力を未知の法則だと言った。興奮し、顔を赤らめ、それでも一緒に研究しようと言ってくれた。
 あれは。あの言葉は嘘だったか? 否、そんなはずはない。
 今は。今だけでいいから、そう思わせてほしい。
 だって俺は彼女の優しさを知っている。
 一緒に食べた甘いパンの味を知っている。
 不器用な彼女も、研究熱心な彼女も知っている。

 ならお前は。この幻覚を見せた人物がいるなら。
 俺の恐怖と絶望しか知らないだろう?
 残念ながら俺にはもう、そんなトラウマは必要がないようだ。
 俺が今、信じるべきは過去の絶望じゃない。
 アリアと紡ぎ始めた、今この瞬間だ。

「…………」

 俺は幻影の闇の中で、震える手で足元の地面に触れた。
 この偽りの世界に、たった一つ本物の理を叩き込む。

 ――この足元は偽りじゃない。ミストラルの洞窟の冷たい石の床だ。そして、俺は独りじゃない。

「――【現実】!」

 叫ぶと同時に、世界がガラスのように砕け散った。
 目の前に再び洞窟の光景が広がる。祭壇の上の黒い宝玉には大きなヒビが入っていた。
 どうやら、この宝玉こそが侵入者の心に幻覚を見せるこの洞窟の主らしい。
 俺は荒い息を繰り返しながら、膝に手をついて立ち上がった。
 精神は限界まですり減っていた。だが俺には、もう迷いはなかった。

 ──ギギギ。

 そして今まで沈黙していた岩のゴーレムが音を立ててその巨体を持ち上げた。
 幻覚が破られたことで、今度は物理的な番人が起動した、ということだろう。
 俺はランタンを置き、カバンからあの奇妙に動く麻縄と、残りの石ころを取り出した。

 心理戦は、終わりだ。
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