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第四十三話 新たなる目標
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金麦祭の熱狂が嘘だったかのようにミストラルの街には穏やかな日常が戻ってきていた。
だが俺たち三人に向けられる街の人々の視線は、以前とは明らかに変わっている。
「よおノアの兄ちゃん! 聞いたぜ、クローナちゃんたちの話!」
朝。市場へパンを買いに行くと、顔なじみになった八百屋の主人がニヤニヤしながら声をかけてきた。
俺はなんのことか分からず「え?」と素っ頓狂な声を返してしまう。
「とぼけなさんな! ギルドじゃもっぱらの噂だぜ? クローナちゃんが提出した報告書のことだよ。なんでも、あんたが石ころを弾丸みたいに飛ばして、盗賊団を退治したんだって?」
その噂は尾ひれがついて街中に広まっていた。
だがその語り口は、英雄譚というよりはどこか「面白いおとぎ話」を聞いたようなそんな響きだった。
誰もがクローナが何かすごいことをしたのは認めつつも、その報告書の突飛な内容は冗談半分で楽しんでいるらしい。
それが、俺にとっては救いだった。
午後、早速俺は図書館の中庭で槍の訓練に打ち込むクローナを問い詰めた。
「クローナさん。ギルドに報告したのか? 俺の名前まで出して」
「……したわよ。それが何か?」
彼女は、汗を拭いもせず、こちらをキッと睨みつけてきた。
「しかし俺の力のことは、秘密にって……」
俺の力無い声に、クローナは槍の石突を地面に突き立て溜息を吐くように言う。
「あんたは知らないでしょうけど私、ギルドマスターに呼び出されたのよ。『新米冒険者が、神殿から盗まれた国宝級の遺物を一人で取り返しただと? ふざけた報告書を出すな!』ってね。このままじゃ、虚偽報告で冒険者資格を剥奪されるところだったんだから」
彼女は一度息をつくと、少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
「……だから、話したのよ。全部じゃない。ただ『正体不明の、すごい術を使う仲間が助けてくれた』って。でも、ギルドマスターは『その仲間の名前を明かせ。でなければ、お前の手柄を証明できない』って聞かなくて……。私が罰せられて、アリアが悲しむのは嫌だったから」
そうだ。
彼女は冒険者としての自分の立場と、俺の秘密と、そしてアリアの心を天秤にかけなければならなかったのだ。
「……それに」と彼女は、本当に小さな声でぼそりと付け加えた。
「むかつくけど……。あんたがやったことは、すごかった。それをなかったことにするのは、フェアじゃない」
それが彼女なりの最大限の誠意と、不器用な感謝の示し方だった。
俺は何も言えなくなった。ただクローナも、ちゃんと考えてくれてたんだな。
今回のことは仕方ない。幸い街の人たちも本気にはしていないようだし。
「……すまない。クローナさんの立場を考えてなかった」
「……別に。分かればいいのよ、分かれば。私の方こそ、ごめん」
◆◆◆
その夜。
俺たちの屋根裏部屋はいつもの研究室ではなく、ささやかなお疲れ様会の会場になっていた。
俺が腕によりをかけて作ったシチューを三人で囲む。
「はぁ~。それにしても負けた決勝が悔やまれるわね」
クローナが悔しそうにスプーンを置いた。
「あと一歩だったんだけどな。やっぱりただ槍を振るだけじゃ、ダメなんだって思い知らされた」
彼女の言葉にアリアが、ずっと考えていたことをおそるおそるといった様子で口にした。
「クローナは、これからも、冒険者として戦っていくのですよね」
「当たり前でしょ! もっと強くなって、今度こそアリアを守るんだから!」
その言葉に、アリアは痛みを堪えるように少しだけ微笑んだ。
「……でも私は、いつも本を読んであなたを待っていることしかできない。いつかあなたが本当に危ない目に遭った時、私は……何もできない」
それは彼女が十年以上も抱え続けてきた、無力感という名の深い絶望だった。
アリアは俺の目を、真っ直ぐに見つめてくる。
「ノアさん。だから私たちの研究の、新しい目標を提案してもいいですか?」
彼女が指さしたのは『概念辞書』のまだ何も書かれていない真っ白なページだった。
「私の魂を縛る【断絶】の呪い。以前あなたは危険だからと、それを解くことを止めることを選びました。私も、それに同意しました。ですがもし……」
彼女は一度言葉を切ると、震える声で続けた。
「もし呪いを解くという対症療法ではなく……もっと根本的な解決策があるとしたら? つまり『正常な魔力回路』そのものの『概念』を、私の知識とあなたの力で一から『設計』し、私の体に『再構築』することはできませんか?」
それは失われたものを取り戻すのではなく、新しいものを「創り出す」という、あまりにも壮大で途方もない挑戦だった。
俺は、息を呑む。
以前彼女の魂に触れるのが怖いと、俺は一度逃げた。
その俺に、彼女はそれよりも遥かに困難で、危険な道を示している。
俺の葛藤を見透かすように、アリアは静かにしかし力強く言った。
「もちろん今すぐではありません。今の私たちではあまりに無謀です。でもいつか……あなたの力の全てを解き明かせた、その時には……」
彼女の瞳には絶望ではなく、確かな希望の光が宿っていた。
俺はその光から、目を逸らすことができなかった。
「……分かった」
俺は、頷いた。
「約束は、できない。でも……そのための研究なら。俺はいくらでも付き合う」
それが、今の俺にできる精一杯の答えだった。
アリアは、その言葉だけで十分だというように微笑んだ。
一人話についていけずぽかーんと口を開くクローナが、なんだか面白かった。
だが俺たち三人に向けられる街の人々の視線は、以前とは明らかに変わっている。
「よおノアの兄ちゃん! 聞いたぜ、クローナちゃんたちの話!」
朝。市場へパンを買いに行くと、顔なじみになった八百屋の主人がニヤニヤしながら声をかけてきた。
俺はなんのことか分からず「え?」と素っ頓狂な声を返してしまう。
「とぼけなさんな! ギルドじゃもっぱらの噂だぜ? クローナちゃんが提出した報告書のことだよ。なんでも、あんたが石ころを弾丸みたいに飛ばして、盗賊団を退治したんだって?」
その噂は尾ひれがついて街中に広まっていた。
だがその語り口は、英雄譚というよりはどこか「面白いおとぎ話」を聞いたようなそんな響きだった。
誰もがクローナが何かすごいことをしたのは認めつつも、その報告書の突飛な内容は冗談半分で楽しんでいるらしい。
それが、俺にとっては救いだった。
午後、早速俺は図書館の中庭で槍の訓練に打ち込むクローナを問い詰めた。
「クローナさん。ギルドに報告したのか? 俺の名前まで出して」
「……したわよ。それが何か?」
彼女は、汗を拭いもせず、こちらをキッと睨みつけてきた。
「しかし俺の力のことは、秘密にって……」
俺の力無い声に、クローナは槍の石突を地面に突き立て溜息を吐くように言う。
「あんたは知らないでしょうけど私、ギルドマスターに呼び出されたのよ。『新米冒険者が、神殿から盗まれた国宝級の遺物を一人で取り返しただと? ふざけた報告書を出すな!』ってね。このままじゃ、虚偽報告で冒険者資格を剥奪されるところだったんだから」
彼女は一度息をつくと、少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
「……だから、話したのよ。全部じゃない。ただ『正体不明の、すごい術を使う仲間が助けてくれた』って。でも、ギルドマスターは『その仲間の名前を明かせ。でなければ、お前の手柄を証明できない』って聞かなくて……。私が罰せられて、アリアが悲しむのは嫌だったから」
そうだ。
彼女は冒険者としての自分の立場と、俺の秘密と、そしてアリアの心を天秤にかけなければならなかったのだ。
「……それに」と彼女は、本当に小さな声でぼそりと付け加えた。
「むかつくけど……。あんたがやったことは、すごかった。それをなかったことにするのは、フェアじゃない」
それが彼女なりの最大限の誠意と、不器用な感謝の示し方だった。
俺は何も言えなくなった。ただクローナも、ちゃんと考えてくれてたんだな。
今回のことは仕方ない。幸い街の人たちも本気にはしていないようだし。
「……すまない。クローナさんの立場を考えてなかった」
「……別に。分かればいいのよ、分かれば。私の方こそ、ごめん」
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俺たちの屋根裏部屋はいつもの研究室ではなく、ささやかなお疲れ様会の会場になっていた。
俺が腕によりをかけて作ったシチューを三人で囲む。
「はぁ~。それにしても負けた決勝が悔やまれるわね」
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「あと一歩だったんだけどな。やっぱりただ槍を振るだけじゃ、ダメなんだって思い知らされた」
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「クローナは、これからも、冒険者として戦っていくのですよね」
「当たり前でしょ! もっと強くなって、今度こそアリアを守るんだから!」
その言葉に、アリアは痛みを堪えるように少しだけ微笑んだ。
「……でも私は、いつも本を読んであなたを待っていることしかできない。いつかあなたが本当に危ない目に遭った時、私は……何もできない」
それは彼女が十年以上も抱え続けてきた、無力感という名の深い絶望だった。
アリアは俺の目を、真っ直ぐに見つめてくる。
「ノアさん。だから私たちの研究の、新しい目標を提案してもいいですか?」
彼女が指さしたのは『概念辞書』のまだ何も書かれていない真っ白なページだった。
「私の魂を縛る【断絶】の呪い。以前あなたは危険だからと、それを解くことを止めることを選びました。私も、それに同意しました。ですがもし……」
彼女は一度言葉を切ると、震える声で続けた。
「もし呪いを解くという対症療法ではなく……もっと根本的な解決策があるとしたら? つまり『正常な魔力回路』そのものの『概念』を、私の知識とあなたの力で一から『設計』し、私の体に『再構築』することはできませんか?」
それは失われたものを取り戻すのではなく、新しいものを「創り出す」という、あまりにも壮大で途方もない挑戦だった。
俺は、息を呑む。
以前彼女の魂に触れるのが怖いと、俺は一度逃げた。
その俺に、彼女はそれよりも遥かに困難で、危険な道を示している。
俺の葛藤を見透かすように、アリアは静かにしかし力強く言った。
「もちろん今すぐではありません。今の私たちではあまりに無謀です。でもいつか……あなたの力の全てを解き明かせた、その時には……」
彼女の瞳には絶望ではなく、確かな希望の光が宿っていた。
俺はその光から、目を逸らすことができなかった。
「……分かった」
俺は、頷いた。
「約束は、できない。でも……そのための研究なら。俺はいくらでも付き合う」
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