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第2章:辺境の地の絶望と、小さな命の輝き
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馬車に揺られること数日。たどり着いたのは、埃っぽい土と荒れ果てた景色が広がる見知らぬ土地だった。グリムロック村。それが、国王に命じられたアメリアの新たな住処だった。馬車を降りた瞬間、辺境特有の乾いた風が吹き付け、アメリアの薄手のドレスを容赦なく揺さぶる。周囲には、背丈の低い灌木や痩せた草ばかりで、王都の豊かさとはまるで違う荒涼とした風景が広がっていた。
「こちらが、お嬢様の滞在する屋敷です」
衛兵が指差す先には、かつては何かの建物だったと思しき、朽ちかけた石造りの構造物があった。屋根は一部崩れ落ち、窓は破れて板が打ち付けられている。これがあの、公爵令嬢の住む場所?アメリアは、自分の目で見ているものが信じられなかった。
「……使用人は?」
かろうじて絞り出した声に、衛兵は無表情に答えた。「配置されておりません。食料も、ご自身で調達願います。それが、追放の条件ですので」
愕然とした。使用人なし。食料なし。ただ一人、荒野に放り出されたのだ。これでは、まるで野獣のようだ。追放というのは、文字通りこの過酷な土地で自力で生き抜け、という意味だったのだ。衛兵はすぐに引き返し、アメリアはただ一人、廃墟と化した屋敷の前に取り残された。
空腹が喉を焼く。最後にまともな食事を取ったのは、王都を出る前日の、あの豪華な夕食だっただろうか。水も、食料も、清潔な衣服もない。貴族として生きてきたアメリアは、自力で何かをすることなど、一度も経験したことがなかった。料理はもちろん、着替えすら使用人に任せていたのだ。
廃墟と化した屋敷の中に入ると、埃と湿った土の匂いが混じり合った、息苦しい空気が漂っていた。わずかに残された瓦礫を避け、なんとか雨風をしのげる場所を探す。しかし、ここには寝具はおろか、家具らしい家具もほとんど残っていない。凍える夜は、古い布切れを何枚か重ねて、なんとか寒さをしのいだ。
「このままでは、本当に死んでしまう……」
何度も心の中で繰り返した。空腹、孤独、そして貴族としてのプライドが打ち砕かれる現実。日を追うごとに、アメリアの心は深く沈んでいく。唯一の希望は、どこかに水場がないかということだった。喉がカラカラで、もう意識も朦朧としてきた頃、屋敷の裏手にある物置小屋に、偶然足を踏み入れた。
物置は、長年使われていなかったのか、土埃と蜘蛛の巣だらけだった。しかし、その奥に、古びた木製の箱が一つ置かれているのを見つけた。期待もせず、蓋を開けてみる。中には、錆びついた鍬が一本。そして、乾燥して何かの種子であることさえ判別できないほどに変色した、小さな袋がいくつか。
「これは……」
鍬を手に取る。ずしりと重い。生まれてから一度も土に触れたことのないアメリアにとって、それは未知の道具だった。だが、同時に、かすかな希望の光が宿ったように感じた。これを使えば、何かを育てられるかもしれない。土に、何かを埋めることができるかもしれない。
「死んでたまるか……!」
本能的な危機感が、アメリアの身体を突き動かした。もう、公爵令嬢としての誇りも、貴族としての立場も関係ない。生きるためなら、何でもする。泥まみれになろうが、手が荒れようが、構わない。
物置で見つけた僅かな種を握りしめ、アメリアは廃墟となった屋敷の裏庭に出た。辺りは硬く、ひび割れた土。しかし、アメリアは錆びついた鍬を振り上げ、力任せに地面に打ち込んだ。その度に、手のひらに激痛が走る。まめは潰れ、血が滲んだ。それでも、アメリアは鍬を止めなかった。まるで、この土に、自分の命を刻みつけるかのように。
貴族の矜持は、もはや意味をなさなかった。アメリアは、泥まみれになりながら、不器用な第一歩を踏み出した。その足元には、かすかな、けれど確かな決意が宿っていた。この荒れ果てた辺境で、アメリアの、本当の人生が、今、始まったばかりだった。
「こちらが、お嬢様の滞在する屋敷です」
衛兵が指差す先には、かつては何かの建物だったと思しき、朽ちかけた石造りの構造物があった。屋根は一部崩れ落ち、窓は破れて板が打ち付けられている。これがあの、公爵令嬢の住む場所?アメリアは、自分の目で見ているものが信じられなかった。
「……使用人は?」
かろうじて絞り出した声に、衛兵は無表情に答えた。「配置されておりません。食料も、ご自身で調達願います。それが、追放の条件ですので」
愕然とした。使用人なし。食料なし。ただ一人、荒野に放り出されたのだ。これでは、まるで野獣のようだ。追放というのは、文字通りこの過酷な土地で自力で生き抜け、という意味だったのだ。衛兵はすぐに引き返し、アメリアはただ一人、廃墟と化した屋敷の前に取り残された。
空腹が喉を焼く。最後にまともな食事を取ったのは、王都を出る前日の、あの豪華な夕食だっただろうか。水も、食料も、清潔な衣服もない。貴族として生きてきたアメリアは、自力で何かをすることなど、一度も経験したことがなかった。料理はもちろん、着替えすら使用人に任せていたのだ。
廃墟と化した屋敷の中に入ると、埃と湿った土の匂いが混じり合った、息苦しい空気が漂っていた。わずかに残された瓦礫を避け、なんとか雨風をしのげる場所を探す。しかし、ここには寝具はおろか、家具らしい家具もほとんど残っていない。凍える夜は、古い布切れを何枚か重ねて、なんとか寒さをしのいだ。
「このままでは、本当に死んでしまう……」
何度も心の中で繰り返した。空腹、孤独、そして貴族としてのプライドが打ち砕かれる現実。日を追うごとに、アメリアの心は深く沈んでいく。唯一の希望は、どこかに水場がないかということだった。喉がカラカラで、もう意識も朦朧としてきた頃、屋敷の裏手にある物置小屋に、偶然足を踏み入れた。
物置は、長年使われていなかったのか、土埃と蜘蛛の巣だらけだった。しかし、その奥に、古びた木製の箱が一つ置かれているのを見つけた。期待もせず、蓋を開けてみる。中には、錆びついた鍬が一本。そして、乾燥して何かの種子であることさえ判別できないほどに変色した、小さな袋がいくつか。
「これは……」
鍬を手に取る。ずしりと重い。生まれてから一度も土に触れたことのないアメリアにとって、それは未知の道具だった。だが、同時に、かすかな希望の光が宿ったように感じた。これを使えば、何かを育てられるかもしれない。土に、何かを埋めることができるかもしれない。
「死んでたまるか……!」
本能的な危機感が、アメリアの身体を突き動かした。もう、公爵令嬢としての誇りも、貴族としての立場も関係ない。生きるためなら、何でもする。泥まみれになろうが、手が荒れようが、構わない。
物置で見つけた僅かな種を握りしめ、アメリアは廃墟となった屋敷の裏庭に出た。辺りは硬く、ひび割れた土。しかし、アメリアは錆びついた鍬を振り上げ、力任せに地面に打ち込んだ。その度に、手のひらに激痛が走る。まめは潰れ、血が滲んだ。それでも、アメリアは鍬を止めなかった。まるで、この土に、自分の命を刻みつけるかのように。
貴族の矜持は、もはや意味をなさなかった。アメリアは、泥まみれになりながら、不器用な第一歩を踏み出した。その足元には、かすかな、けれど確かな決意が宿っていた。この荒れ果てた辺境で、アメリアの、本当の人生が、今、始まったばかりだった。
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