『総理になった男』

KAORUwithAI

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第2部:壁 - 国会という名の怪物

第100話 国会で拍手が起きた日

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朝の東京は、柔らかな光に包まれていた。
 国会議事堂の白い石壁が、昇る陽を浴びて淡く輝く。
 坂本健人は、その建物を見上げながら深く息を吸い込んだ。

 「……今日だな」

 手の中には、何度も折り返しながら磨き上げた一冊のファイル――「地域小児医療支援法案」。
 半年以上、真田と田島と共に徹夜を重ね、作り上げたものだった。
 この法案が今日、ついに本会議で審議にかけられる。

 議員会館の自室では、真田が淡々と確認をしている。
 「発言原稿、再チェックしました。誤字なし。数字も再確認済みです」
 田島は腕を組んで笑う。「お前、昨日から一睡もしてねぇだろ?」
 健人は笑って返した。「寝たら、緊張で起きられなさそうだったからな」

 机の端には、小さな写真立て。
 亡き父の笑顔が、優しくこちらを見ていた。
 健人はそっと指先で触れ、呟く。
 「見ててくれ。やっとここまで来たよ」


 国会へ向かう廊下は、朝から重い空気に満ちていた。
 記者たちの声、秘書たちの足音、議員同士の低い会話。
 それらすべてが、健人にとってひとつの“戦場の音”のように聞こえた。

 「おい健人、緊張してるだろ」
 田島が軽く背中を叩く。
 「してるよ。でも……怖くはない」
 「お、成長したな」
 田島が笑うと、真田が苦笑しながら「時間です」と告げた。

 重い扉の前に立つ。
 赤い絨毯の向こうに広がる、巨大な議場。
 その空間に足を踏み入れた瞬間、健人の心臓が一気に高鳴った。

 天井のステンドグラスから射し込む光が、静かに床を照らす。
 視線を上げれば、記者席には無数のカメラ。
 かつて笑われ、無視され、握り潰された法案が、今ここに立っている。
 それだけで、胸の奥が熱くなった。


 「本日の議題――地域小児医療支援法案。」

 議長の声が、議場全体に響き渡った。
 その瞬間、健人の喉がわずかに鳴る。
 やっと……ここまで来た。

 与党・国民革新党の議員たちは静かに資料を開き、野党の一部は腕を組んで様子を伺っている。
 けれど、嘲笑も冷ややかな視線も、もう怖くなかった。
 この場に立てたこと自体が、無所属の自分にとって奇跡なのだ。

 健人はゆっくり立ち上がり、演壇に向かう。
 マイクの前に立つと、議場のざわめきが少しずつ静まっていった。

 原稿を開かず、健人は口を開いた。
 「私は、この国で“生まれた場所によって命の可能性が変わる”現実を、終わらせたいと思っています。」

 その声は最初、少し震えていた。
 けれど、次の言葉には確かな力が宿っていた。

 「都会では当たり前に受けられる医療が、地方では届かない。
  その差を埋めるための仕組みが、この法案です。
  どんな地域でも、どんな子どもでも――同じように生きる権利があるはずだ!」

 議場が静まり返る。
 健人は、あの日地元の町で出会った母親の顔を思い浮かべていた。
 病気の子を抱えながらも、遠くの病院に行けず泣いていたあの人の姿を。

 「私は無所属です。力もない。後ろ盾もない。
  けれど、国民の声だけは、この胸に届いています!」

 議場の空気が、わずかに揺れた。
 与党の一人が資料を置き、真っ直ぐ健人を見た。
 その目に嘲笑はなかった。


 「この法案は、数字のためじゃない。未来のための法案です。
  政治の目的が“人の幸福”であるなら、これは避けて通れない課題です。
  もしそれが政治の仕事でないというのなら――僕は、政治家でいる意味を失う。」

 最後の言葉を放った瞬間、場内は静まり返った。
 時間が止まったような一瞬。

 やがて、議場の後方から――パンッ、と小さな拍手が響いた。
 一人の女性議員が、静かに手を叩いていた。
 それに続いて、もう一人。
 さらに数人。
 最初はまばらだった拍手が、次第に広がっていく。

 議場の天井が、まるで震えるように音を返す。
 その拍手の中には、与党も野党もなかった。
 健人はただ、深く頭を下げた。
 目頭が熱くなるのを、必死で堪えた。

 ――ああ、この音が、あの日の「無視」に勝ったんだ。


 会議後、議長が穏やかな声で告げる。
 「地域小児医療支援法案、審議に入ることを可決。」

 その言葉が、健人の胸に深く染み込んだ。
 これまでの半年間、どれほどの悔しさと無力感を飲み込んできただろう。
 けれど、今日。
 この瞬間。
 確かに国会が“人の声”に反応した。


 夜、会館に戻ると、真田と田島が待っていた。
 「やったな」田島が笑って缶コーヒーを差し出す。
 「お前の声、ちゃんと届いたよ」
 健人は受け取り、缶を軽く鳴らすように合わせた。
 「……ああ、届いたな。やっとだ」

 真田が少し柔らかい表情で言う。
 「無所属でここまで来た人、久しぶりに見ましたよ」
 「遠回りでも、立ち止まらなかった結果だな」
 田島が頷く。
 「でもよ、拍手が起きた瞬間、泣きそうになったわ。お前らしくてさ」
 「バカ言うな」健人は笑って肩を軽く叩いた。


 深夜、健人は一人で机に向かい、ノートを開いた。
 そこには、これまでの記録がぎっしりと書き込まれている。
 「握り潰された法案」「無視された委員会」「嘲笑」「孤独」――
 その全てが、この一日へとつながっていた。

 新しいページに、健人は一行だけ書く。

 ――“あの日、国会が少しだけ人間になった気がした。”

 ペンを置き、静かに窓の外を見る。
 遠くに見える国会議事堂が、夜の闇の中で黄金色に光っていた。
 その灯りはまるで、あの日父が残した言葉のように、優しく輝いている。

 「……父さん、俺、やっとここまで来たよ」

 呟いた声が静かに溶けていく。
 健人は胸元の議員バッジに触れ、そっと目を閉じた。



“拍手の音は、
権力を揺るがすほど大きくなくてもいい。
ただ一人の声が、
確かに誰かの心に届いたのなら――
それだけで、政治は生きている”
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