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失ったもの
失ったもの1
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「今、なんと言った?」
ヴィンセントは持っていたカップをソーサーの上へと戻して、姉のシャーロットに顔をしかめてみせた。
「ソフィアが仕事を探しているから、何個か見つけておいたのよ。まぁ、採用は難しいとは思うけれど」
ここのところ忙しかったヴィンセントが二日ぶりに姉の家を訪ねてきていた。ソフィアはいまだシャーロットの家で世話になっており、出来れば毎日通ってきたいと思うところだが、年末に出航した船が続々と帰港していることもあってなかなか思うように来ることが出来ないでいた。
「待ってくれ。今はきちんと生活費も渡しているのになぜ働こうとするんだ」
せっかく来たというのにソフィアはシャーロットの夫ダニエルと出かけていて不在だった。帰りを待っていればいいと言われてシャーロットと紅茶を飲んでいるところだった。
「契約期間を終えたときに実家には戻りたくないんですって」
紅茶を飲みながら焼き菓子をヴィンセントに勧める間に、サラリとシャーロットが離縁した後の話をする。ヴィンセントの方はそんな重大なことを菓子を勧めるついでに話されて不満だった。いや、それよりも急に喉に骨がつっかえた様な痛みを覚えて顔をしかめていた。
(離縁後の事を考えて既に動いているのか……)
きちんと自身の生き方を考えていると褒めるべきところなのに、ヴィンセントは複雑な感情に顔を歪め、小さくため息を吐いていた。
「でもね、侯爵令嬢なのよ、ソフィアは。そもそも働くなんてことが普通ではない身分でしょう? それに、貴方への風当たりも考えるとこの辺りで見つけるのは難しいと思っているのよ。一応、身分を隠して働けそうなところを聞いてみているのだけど、ソフィアが出入りしていたら直ぐにわかってしまうでしょうしねぇ」
シャーロットが淡々とした口ぶりで話しているそれらをヴィンセントは今すぐ黙らせたかった。
「仕事は探さなくていい。その後の生活も私が見る」
どうせ恋人のクリスティンとは結婚できないのだから、期限が来ても婚姻状態を続けても何ら支障はない。結婚した当初危惧していたソフィアからの金の要求もないのだから、離縁する必要性はまるで感じていなかった。
「まあね、私も仕事をするのは反対なのよ。ソフィアは庶民ではないし、そういう意味でも白い目で見られてしまうでしょう? だから、私はなんとかしていい再婚相手を探したいと思っているのよ」
シャーロットの言葉がどういうわけか刃のようにヴィンセントに刺さっていく。かつて、自分も離縁後はソフィアに良い縁先を見つけてやろうと考えていたが、今はどうしてもそういう気持ちになれなかった。
(出来れば手元に置きたい。これまでも苦労しているようだし、この先はせめて金に困らない生活を送らせてあげたい)
「でも、ソフィアは自立したいと言うのよ。一人で生きられるようにしたいみたいなの。誰かに自分の生き方を決められるって辛いものね。まあ、ソフィアのご実家は悪い意味で有名だし、今回あなたと結婚したことでソフィア自身の価値も下がってしまっているから、結婚相手を探せたとしても奥様を亡くされた年配の貴族とかになっちゃうわね。ご実家のお父様に対抗できつつ、評判を気にしないような相手しか無理だもの」
時々、ヴィンセントは姉のよく喋る忌々しい口を封じてしまいたいと思う。今だって目の前にある焼き菓子を突っ込んでやろうかと思ったが、何とか耐えていた。
「若くてあの美貌なのよ。しかも一緒にいればいるほど抱きしめたくなるほどいい子なの。神は試練を与えすぎると思うわ。年寄り相手に再婚じゃあ……単なる夜のお相手みたいですもの。でも、食べるのに事欠くような──」
シャーロットの口の中に物を突っ込む代わりに、自分の耳から音を締め出した。聞きたくもなければ考えたくもないことだ。
「結婚した以上、俺が世話をするから勝手なことをしないでくれ」
「俺? 言葉遣いが荒れてるわよ」
しれっと指摘し、盛大にため息をついてからシャーロットは紅茶を飲み干した。
「とにかく、私がソフィアの面倒をみるから、ヴィンセントはアントワープ家のご令嬢と戯れてて。あなた達の恋愛もせいぜい数年でしょうからね。クリスティン様だって結婚なさるでしょうし」
恋人のクリスティンも身分の合う相手と結婚するだろう。そこはわかっているし、ヴィンセントも気にも留めていなかった。付き合って数年、身分違いのクリスティンから愛情をほのめかされて浮かれていた熱はとうに冷めていた。嫌ってはいないが恋人関係にある以上誠実に相手に接しているというのがこの数年のヴィンセントだった。
「子供ではないし、引き際は知ってるさ」
「あら、子供よ。大人ならあんな女性には引っかからないわ」
姉のシャーロットは交際当時から賛成していなかった。身分の差で苦労するという世間一般論より、シャーロットはクリスティンを毛嫌いしている気配があった。
「いくら姉とはいえ、それは言い過ぎだ」
「だって、誰も言わないでしょ? 気の強い女性と気持ちが強い女性は別物なの。ソフィアは気持ちをしっかり持ったいい女性なのに、もう……」
ヴィンセントは持っていたカップをソーサーの上へと戻して、姉のシャーロットに顔をしかめてみせた。
「ソフィアが仕事を探しているから、何個か見つけておいたのよ。まぁ、採用は難しいとは思うけれど」
ここのところ忙しかったヴィンセントが二日ぶりに姉の家を訪ねてきていた。ソフィアはいまだシャーロットの家で世話になっており、出来れば毎日通ってきたいと思うところだが、年末に出航した船が続々と帰港していることもあってなかなか思うように来ることが出来ないでいた。
「待ってくれ。今はきちんと生活費も渡しているのになぜ働こうとするんだ」
せっかく来たというのにソフィアはシャーロットの夫ダニエルと出かけていて不在だった。帰りを待っていればいいと言われてシャーロットと紅茶を飲んでいるところだった。
「契約期間を終えたときに実家には戻りたくないんですって」
紅茶を飲みながら焼き菓子をヴィンセントに勧める間に、サラリとシャーロットが離縁した後の話をする。ヴィンセントの方はそんな重大なことを菓子を勧めるついでに話されて不満だった。いや、それよりも急に喉に骨がつっかえた様な痛みを覚えて顔をしかめていた。
(離縁後の事を考えて既に動いているのか……)
きちんと自身の生き方を考えていると褒めるべきところなのに、ヴィンセントは複雑な感情に顔を歪め、小さくため息を吐いていた。
「でもね、侯爵令嬢なのよ、ソフィアは。そもそも働くなんてことが普通ではない身分でしょう? それに、貴方への風当たりも考えるとこの辺りで見つけるのは難しいと思っているのよ。一応、身分を隠して働けそうなところを聞いてみているのだけど、ソフィアが出入りしていたら直ぐにわかってしまうでしょうしねぇ」
シャーロットが淡々とした口ぶりで話しているそれらをヴィンセントは今すぐ黙らせたかった。
「仕事は探さなくていい。その後の生活も私が見る」
どうせ恋人のクリスティンとは結婚できないのだから、期限が来ても婚姻状態を続けても何ら支障はない。結婚した当初危惧していたソフィアからの金の要求もないのだから、離縁する必要性はまるで感じていなかった。
「まあね、私も仕事をするのは反対なのよ。ソフィアは庶民ではないし、そういう意味でも白い目で見られてしまうでしょう? だから、私はなんとかしていい再婚相手を探したいと思っているのよ」
シャーロットの言葉がどういうわけか刃のようにヴィンセントに刺さっていく。かつて、自分も離縁後はソフィアに良い縁先を見つけてやろうと考えていたが、今はどうしてもそういう気持ちになれなかった。
(出来れば手元に置きたい。これまでも苦労しているようだし、この先はせめて金に困らない生活を送らせてあげたい)
「でも、ソフィアは自立したいと言うのよ。一人で生きられるようにしたいみたいなの。誰かに自分の生き方を決められるって辛いものね。まあ、ソフィアのご実家は悪い意味で有名だし、今回あなたと結婚したことでソフィア自身の価値も下がってしまっているから、結婚相手を探せたとしても奥様を亡くされた年配の貴族とかになっちゃうわね。ご実家のお父様に対抗できつつ、評判を気にしないような相手しか無理だもの」
時々、ヴィンセントは姉のよく喋る忌々しい口を封じてしまいたいと思う。今だって目の前にある焼き菓子を突っ込んでやろうかと思ったが、何とか耐えていた。
「若くてあの美貌なのよ。しかも一緒にいればいるほど抱きしめたくなるほどいい子なの。神は試練を与えすぎると思うわ。年寄り相手に再婚じゃあ……単なる夜のお相手みたいですもの。でも、食べるのに事欠くような──」
シャーロットの口の中に物を突っ込む代わりに、自分の耳から音を締め出した。聞きたくもなければ考えたくもないことだ。
「結婚した以上、俺が世話をするから勝手なことをしないでくれ」
「俺? 言葉遣いが荒れてるわよ」
しれっと指摘し、盛大にため息をついてからシャーロットは紅茶を飲み干した。
「とにかく、私がソフィアの面倒をみるから、ヴィンセントはアントワープ家のご令嬢と戯れてて。あなた達の恋愛もせいぜい数年でしょうからね。クリスティン様だって結婚なさるでしょうし」
恋人のクリスティンも身分の合う相手と結婚するだろう。そこはわかっているし、ヴィンセントも気にも留めていなかった。付き合って数年、身分違いのクリスティンから愛情をほのめかされて浮かれていた熱はとうに冷めていた。嫌ってはいないが恋人関係にある以上誠実に相手に接しているというのがこの数年のヴィンセントだった。
「子供ではないし、引き際は知ってるさ」
「あら、子供よ。大人ならあんな女性には引っかからないわ」
姉のシャーロットは交際当時から賛成していなかった。身分の差で苦労するという世間一般論より、シャーロットはクリスティンを毛嫌いしている気配があった。
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