侯爵令嬢ソフィアの結婚

今野綾

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失ったもの

失ったもの3

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 約束通りシャーロットの家に迎えに行くと、玄関ホールの長椅子にソフィアは座って待っていた。ヴィンセントが家に入るとすぐさま立ち上がり、淡黄色のドレスのシワを手で伸ばす。ネックレスとドレス、どちらもソフィアにとても似合っていた。

「おはよう」

「おはようございます。わざわざ連れて行ってくださるなんて、ありがたい限りでございます」

 ソフィアの挨拶は丁寧ではあるが他人行儀だ。それも仕方がないが、シャーロット夫妻とはかなり砕けた雰囲気なので、ヴィンセントはやや疎外感を覚えていた。

「生地屋に行きたいだけなのか? 他に行きたいところは?」

 これにソフィアは即座に首を横に振ってみせる。

「ございません。田舎者ですから、あまり街に馴染めませんので……」

「紅茶屋は付き合ってもらうが──」

「あ、もちろんお供いたします。足手まといにならぬようにしておきます」

 ヴィンセントとしてはソフィアを人気の焼き菓子店に連れて行ったりしようと思っていたのだが牽制された形になった。

「では、とにかく生地屋に向かおう」

 二人はヴィンセントの乗ってきた箱馬車に乗り込み、街へと出かけていった。馬車の中、ソフィアはヴィンセントと何か話をしたいと考えたが、前に舌を噛むと注意されたのでソワソワするだけで話しかけられずにいた。

(穏やか空気だけで十分なのに、もっとヴィンセント様のことを知りたくなってしまうわ)

「あれから、侍女からの連絡はあったのか?」

 先に話しかけて貰ったことにソフィアは驚き、変な間が空いてしまった。

「え、ええ。あまり体調が良くないという手紙を受け取りました。本当は今すぐ戻りた──」

「それはダメだ。あの家は狭すぎる」

 間髪容れずに否定してきたヴィンセントに驚き、ついヴィンセントの方を見たが、すぐソフィアは視線を戻した。

「わかりました」

 態度が軟化したように感じたのはソフィアの思い違いかもしれない。美しい翡翠色の目に見られて浮かれても、以前と変わったところはないのだ。ただ、態度が紳士的になっただけだ。きっと、シャーロットに注意されて変わっただけなのだろう。

「──生地を買うのに」

 ヴィンセントはまだ話す気持ちがあるらしいので、ソフィアは気持ちを入れ替え相づちを打った。

「ええ」

「金の心配をすることはない。全部私につけていい」

「ありがとうございます。助かります」

 言った後で「必要な分以上は購入いたしませんから」と、付け加えた。

「そうか」

 やはり馬車での会話は難しい。ソフィアはなんともぎこちない空気に気落ちしていた。人付き合いが少なかったせいで、なかなか上手に会話を楽しめない質だった。

「姉のシャーロットはああ言っていたが──」

 ヴィンセントがまだ話を続けてくれているので、ソフィアは「はい」と、慌てて返す。

「シャーロットは手先が不器用で針仕事は向いてない。手伝うと言われてもそれとなく断るか、縫う以外のことを頼んだほうがいい」

 気遣い上手のシャーロットにそんな弱点があったとは驚きだった。ついソフィアは笑みを浮かべて「不得手なことがあるなんて意外です」と、ヴィンセントの方へと顔を向けた。そこでヴィンセントの視線が自分に注がれていたと知り、思わず「あ」と声が漏れた。

「ソフィア……君は、なぜこの結婚を承諾したのだ。結婚の申込みは幾らでもあっただろうに」

「え……申込みは一つもありませんでした。父が婚姻費用を途方もない金額にしていたのはご存知の通りです。あのような金額を用意できる方はそうそういません。それに私なんかにその額を払うなんて酔狂なこと──」

「私は払ったが」

「ええ。爵位の為ですよね? けれど、普通に離婚したのではヴィンセント様は侯爵にはなれませんから、その、私が失踪するという形をとったりしないといけません。どうしたらいいのか、よろしければ助言くださいませ。私は従いますので」

 穏やかな表情だったヴィンセントの眉間に深いシワが寄った。

「偽装失踪などする必要はない。爵位を維持するならば婚姻関係を継続する手もあるのだから」

 それではヴィンセントの払い損になるとソフィアは考えた。せっかく侯爵の爵位を手に入れて恋人と結ばれることも不可能ではなくなったのに、ソフィアとの婚姻関係を維持していたら重婚になってしまう。愛のない結婚をギリギリ許してくれた神父でも重婚は見逃すわけがない。

「それ相応の金額を父に渡したのですからヴィンセント様は爵位を手にする権利があると思っています。婚姻関係を続けるなんて、払った金額に見合わないことですから無理なさらないでください。少し旅費を払っていただく必要はありますが、喜んで私は皆さんの前から消える心構えはできております」

 ヴィンセントがくぐもった声で何かを答えたが、ソフィアにはなんと言ったのか判別できなかった。聞き返そうとヴィンセントを見たら、何故か話す雰囲気ではなかったのでそのまま黙っていた。
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