侯爵令嬢ソフィアの結婚

今野綾

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はじける

はじける4

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 宿屋の食堂は大繁盛だった。ソフィアたちは一段高い位置にあるテーブルへと通された。

「貴族たちはお互いの別邸なんかに泊まらせあったりするけどさ。私はこういうところの雰囲気とか皆の食べているものが好きでね。ソフィアにはちょっと良くないかもしれないけど」

 持たされていた石板に、素直な気持ちを綴る。

『私はかしこまった席よりこういうざっくばらんなほうが落ち着きます。子供の頃はいつも厨房で従者たちと共に食事を食べていました』

 爵位こそ侯爵を名乗っているが、ソフィアは自身を貴族だと思ったことはない。だから、この空気感は肌に合っていた。

「そうなのかい? ソフィアはれっきとした令嬢だけど、そんなふうに育ってきたんだね。ソフィアの親しみやすさはそのへんから来ているってことか。さぁ、座って」

 店の者が椅子を引きに来ていたが、レスリーは片手でそれを断りレスリー自らソフィアの為に椅子を引いた。

「こちらのお嬢様がお腹が空いて元気がないのだ。私達の世話はいいから早めに食事を頼むよ」

 そう告げるとソフィアの椅子を押してから、自分もサッサと腰掛けた。レスリーが言うほどソフィアは空腹ではなかった。ただ、レスリーが面白おかしく話していることを理解して、ただ笑って聞いていた。

「港町と言ったら海の魚だ。川魚より臭みが無くて最高に美味いということは知っているかい?」

『いいえ。私の故郷ではウナギをよく食べます。食べられたことはございますか?』

「ああ、あるよ。あれは調理するのが大変らしいね」

 二人の間にぬっと現れて遮る人物がいて、会話が止まった。呆気に取られたソフィアの前にグレゴリーが突然現れたのだ。ソフィアの家庭教師をしていたグレゴリーだった。

「まだ声が出ないのか、ソフィア」

 グレゴリーはレスリーに挨拶をしないどころか、背を向けたまま勝手に話しだした。

『なぜ』

 驚き過ぎてソフィアは石板にそれだけ書くのが精一杯だった。偶然にしては出来すぎているし、グレゴリーの行いは失礼極まりない。もちろんレスリーも黙ってはいなかった。

「君、さすがに失礼すぎるな。デフォー家ではそういう態度がまかり通るのか?」

 肩を引っ張られたグレゴリーは、反抗的に肩を抜いた。

「触らないでもらおう。男爵様ってのは、問答無用で肩を掴んでいいほど偉いのか。暴力行為はよろしくないぞ」

 グレゴリーがやたらと好戦的で、ソフィアは気分が悪くなりそうだ。争いごとは嫌いだった。しかも男性の尖った威圧的な声は、父親を思い出して吐き気すら覚えていた。

「ほう、なかなか興味深い人物だな。挨拶もなしにズカズカと入り込んできて、挙げ句に侮辱か? 私たちは食事を楽しむためにここにいる。直ちにどこかに消えてくれ」

 レスリーはあしらおうとするが、グレゴリーが頑なに動こうとしなかった。しかもソフィアの手を取り「一緒にここから出よう」などと言うのでますます気分が悪かった。

「もう何もかも破棄してしまえ。このような茶番を続けることはない。君は侯爵令嬢なんだ。格下の男爵家に良いように扱われるなどどうかしている。しかも、声まで失ってそれで幸せだと言えるのか! ソフィアはこの結婚で何を得た? いや、何を失った? なけなしの爵位とギリギリ保っていた品位を捨て、まだ残るものはあるのか?」

 最後の一言までは余りにも不躾で言い過ぎだと感じていたソフィアだったが、最終的には胸にガツンと石をぶつけられたあとのようにクラクラした。親しかった人間にここまで言われ深い悲しみを覚えたが、そのほとんどが正に正論なのが更に追い討ちをかけていた。

 レスリーもただ黙って聴いているばかりではなかった。驚くことにあのいつでも温厚な人柄のレスリーが、おもむろにグレゴリーを殴ったのだ。これにはグレゴリーも盲点だったようで殴られた反動で、椅子を巻き込み尻もちをついた。

「手を挙げるとは!」

 怒りに打ち震えるグレゴリーにレスリーは追い討ちをかける。なんと大きなテーブルごとひっくり返したのだ。これには店内が騒然となった。

「貴様が始めたことだろう。騒ぎが大好きらしいから盛り上げてやったまでだ。ソフィアに品位を問うお前はどうなんだ。場をわきまえず、好き勝手言い放つそれに人間らしさも感じん。ただの獣だ」

 言いながらレスリーがソフィアに手を伸ばし立たせた。そして「部屋に戻っていてくれ。こやつをなんとかするから」と、耳元で囁いた。

 ソフィアはうなずいてから、一緒に床に転がるテーブルを邪魔そうに退けているグレゴリーを見下ろした。かつて慕った人物の醜態を見るのはきつい。懐かしい日々が床に落ちて割れた皿のように粉々になったような気持ちになっていた。

「どこに行くつもりだ! クソ。二人で俺の家を再興しよう!」

 これがグレゴリーの本音だ。没落貴族の出で、ずっと劣等感を覚えていたのは知っていた。だから、爵位を恨み、その反面爵位に憧れていたのだろう。
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