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第7章
87.別れのとき
しおりを挟む「私はケントを助けるには日本へ送り返すしかないと思っている」
クロードの私室で彼の口から語られたその考えに、セシルとワタルは驚きを隠せない。一体どういうことなのだろう。
驚いている2人に向かってクロードは話を続ける。
「ケントには魔法無効化の特性がある。だから部位欠損すら治療できるセシルやエリーゼ、そしてミーナの力を行使しても彼の回復は望めない」
セシルとワタルはクロードの話に頷き、彼の次の言葉を待つ。
「彼に必要なのは科学に基づいたちゃんとした医療だ。それがこの国では残念ながら敵わない。魔法があるために、医療などの科学の発達が致命的に遅れている」
「そうですね」
クロードの言葉をワタルが眉を顰めながら頷いて肯定する。
セシルには科学というものがよく分からない。日本という国はそんなにも科学が発達しているのか。そしてその医療というものも。
クロードがさらに説明を続ける。
「日本でならば必ずケントが回復する……と言えないのが残念だ。それほどに彼の症状は重篤だ。だがこの国に居るよりは遥かに助かる可能性が高いと思う。だからケントを日本へ帰したいのだ。だがその前に問題が2つある」
「問題……?」
セシルは思わず聞き返してしまう。
1つの問題は想像がつく。だがもう1つは何だろう。
クロードは大きく頷き、その問題について説明を始めた。
「まず1つは、これはセシルにも分かっているかもしれないが魔力供給の問題だ。日本への扉を開くために必要な魔力量が絶望的に足りない。これまで勇者召喚のときは数人の召喚士の魔力を用いて召喚できていたようだ。だが異世界へ送るとなると桁外れの魔力が必要らしい。しかも一度に魔力消費が行われるため、数人で供給すると死亡する者が出る恐れがあるのだ。それに恐らく国中の召喚士を集めても到底必要な魔力量には満たないだろう」
それはベックマンも言っていた。それができるくらいなら彼も危険な魔物の徘徊にする場所へ行って実験などしなかっただろう。だからセシルの魔力を奪おうとしたのだ。
「そしてもう1つがケントを日本へ送るにしても、彼には意識がない。意識のない人間をたった1人で日本へ放り出す訳にはいかない。だから日本へ送ったあとに彼を病院へ連れていく人間が必要になる。これについては私が行ってもいいかと思っている」
「えっ!?」
セシルはクロードの発言に驚く。彼の言うことは分かる。だけどようやく会えたのに離れなければいけないのかと思うと悲しくなる。
クロードは困惑するセシルに対して申し訳なさそうに話す。
「折角私を探しに来てくれたセシルや、魔の森で待ってくれているミーナには悪いと思うが……すまない」
ケントを助けるにはクロードが日本へ帰らなければいけない。仮に異世界人である自分が行ってもケントを病院とかいう所へ連れて行ってあげることはできないだろう。日本のことを何も知らないのだから。そう考えると日本人であるクロードが行くのが一番いいだろう。でも……。
「おじいちゃん……。わたし……」
クロードは言葉に詰まるセシルに優しく微笑んで話す。
「すまんな。とは言ってもその前に異世界への扉を開くために必要な魔力の問題がある。だから現時点ではこの方法でケントを助けるのは難しいだろう」
クロードの言葉を聞いて考える。ケントを助けるために自分ができること。あのときだったら死んでいたかもしれないけど今なら多分できる。そう考えてセシルは心を決め大きく頷く。そしてクロードに告げる。
「おじいちゃん、魔力は多分大丈夫。ベックマンに魔力吸収されたときは死に掛けたけど、ディアボロスを倒したときと同じ状態になれば魔力供給は問題なくできるよ」
ワタルが居るので「精霊を憑依させたら」とは言えずぼかして伝える。それでもクロードには伝わるはずだ。
セシルがそう伝えるとクロードが驚いて言葉を発した。
「なんだと!? ああ、そうか……。セシルはそうやってディアボロスを倒したんだったな。だが大丈夫なのか? そう何度も変化させてお前の体は……ちゃんと元に戻れるのか?」
クロードの問いかけに正直何と答えていいか分からなかった。精霊を憑依させることで起こる影響など想像できなかったからだ。
クロードが心配そうな顔をしている。でも自分は後でどうなってもいい。それでケントが助かるなら……助かる可能性があるなら、自分にできることは何でもしたい。
「大丈夫だよ。ディアボロスと戦ったあとは元に戻れたし。わたしはケントが少しでも回復する可能性があるなら何でもやりたい」
「そうか、それほどまでに……。だがケントを本当に帰していいのか? もう会えなくなるんだぞ? もう少し考えてからでもいいんだぞ?」
クロードが考える時間をくれようとしているのが分かる。だが自分に迷いはない。
そこでケントに会えなくなるということについて考えてみる。セシルは彼のことが好きだ。ずっと一緒に居たのだもの。離れたくないに決まっている。
だけど多分彼に残された時間はあまり無い。ケントとクロードと別れるのは寂しいけどケントの命には代えられないから。
「ケントの命の灯がもう消えそうなのが分かるの。わたしが迷っている間にもケントが助かる可能性がどんどん減っちゃう。だからわたしは迷わない」
セシルがそう答えるとクロードが溜息を吐いて答える。
「……お前は本気なんだな。分かった。じゃあすぐにでも儀式を始めよう。セシルにはベックマンのレポートを読んでもらう。そして転移魔法陣を展開してもらおう。できるか?」
「大丈夫だよ。やってみる」
セシルはクロードの説明に頷いて返事をする。
ワタルはセシルとクロードの会話を聞いている間、終始無言で何かを考え込んでいるようだった。
その会話のあとクロードとワタルが日本について何か会話をしているようだった。恐らく病院へケントを連れていく段取りについてでも話しているのだろう。
その間セシルはベックマンの研究成果のレポートを読み込んで転移魔法陣についての詳細を理解した。
ベックマンはエルフ族だけあってそのレポートの内容は画期的だった。本来エルフ族にしか使えない転移魔法陣。禁呪と言われているその内容が事細かに記されていた。
読み始めて1時間ほどしてからレポートを手に、クロードとワタルと3人で城にある軍の救護室へと向かった。
城にある軍の救護室に横たえていたケントをクロードが抱える。そして次に向かったのは神殿にある勇者召喚に使用されていた部屋だ。
てっきり地下の邪悪な祭壇のあるディアボロスを召喚した聖堂かと思っていたが、どうやら違ったようだ。
勇者召喚に使用されていた部屋は他の個人の部屋よりはかなり大きかった。それは天井が高い小さな礼拝堂を思わせる部屋だった。その部屋を見渡して、ケントとワタルとクロードはこの部屋で召喚されたのかと想像した。
ケントはクロードの腕の中で力なく横たわっている。彼の顔を見ると徐々に命の炎が小さくなっているように見える。そしてあまり時間が残されていないと感じる。一刻も早く彼を日本へ帰さなくては。
そう考える一方でこれでケントとお別れなのだと痛切に実感した。日本への扉を開く自分が彼とともに日本へ行くことはできない。本当はついていきたい。
以前ケントと、ずっと一緒に居ると約束したのにそれができない。そう思うと胸が苦しくなった。
部屋に到着してから、クロードはワタルにエリーゼを呼びに行ってもらった。ワタルが出ていってからその理由を尋ねる。するとクロードが不安げに答えた。
「精霊の憑依を解いたときお前に何があるか分からない。それが心配なんだ。そのときに私はここには居ない。だからもしものときにはエリーゼにお前を回復してもらおうと思ってな」
そう言ったあとにクロードが悲しそうな顔をした。ケントとクロード2人との別れ……これで本当に二度と2人に会うことはないだろう。そう思うとセシルの目には自然に涙が溢れてきた。
「ううっ……おじいちゃん……ケント……!」
「セシル……」
セシルは愛おしそうに自分を見るクロードと彼の抱えるケントに抱きついた。2人と過ごした時間を自分はずっと覚えている。絶対に忘れない。そして2人には幸せになってほしい……。
セシルはゆっくりと2人から腕を離す。そしてワタルが戻ってくる前に精霊の憑依を始める。
「皆、お願い……」
するといつものように精霊たちが現れた。皆哀れむようにセシルを見る。セシルの悲しい気持ちが分かるのだろう。
精霊たちが虹色の光の渦となってセシルを優しく包む。そして一層強く光ったあとにセシルは憑依を完了した。
その直後にワタルがエリーゼを連れて戻ってきた。部屋へ入ってセシルの姿を見た2人が驚く。
「この状態でディアボロスを倒したのか……。何という魔力と威圧感だ……。尋常じゃない気配だ。なるほど、奴が倒されるのも納得だ」
「セシルさん……? なんて神々しいのでしょう……。まるで女神様のようです」
ワタルとエリーゼが各々セシルへの感嘆を口にする。この姿を3人には見せていなかったから。そしてクロードも驚いているようだ。
「そうだな……。驚いたよ。これはまるで……いや、これなら確かに魔力供給も大丈夫だろう。それではセシル、頼んだぞ」
「分かった」
セシルが頷き儀式に移ろうとしたとき、突然ワタルがクロードに近づき口を開いた。
「師匠。ケントさんは僕が日本へ連れて行きます」
「なんだって!?」
「っ……!」
クロードとエリーゼが目を丸くしてワタルを見る。セシルも驚いた。だがワタルの様子を見ると僅かに微笑みすら浮かべ迷いは全く見えない。その決意はとても固いようだ。
彼は皆を見渡し再び話し始める。
「行くなら僕が行くべきです。僕ならまだ日本に居場所があるし、恐らく待っている家族も居る」
「だがワタルは、この世界に守りたい人が居るからと……」
ワタルはクロードの言葉を聞いてフッと優しく笑う。
「それは師匠も同じでしょう? ようやく家族に会えた師匠を、今となっては縁も所縁もない日本へ行かせるわけにはいきませんよ」
「ワタル……」
そう言って次にワタルはゆっくりと目線をエリーゼへ向ける。その眼差しはとても切なそうだ。
「エリーゼ、君をずっと守りたかったけど僕は日本へ帰るね。これが皆にできる最後の恩返しなんだ。だから僕は君に見送ってほしい」
「ワタル様……」
エリーゼはワタルの言葉を聞いてその瞳を潤ませる。そしてゆっくりと頷いた。
「分かりました。貴方がそう選択したのであれば、私からは何も言うことはありません。貴方は本当に義に厚く優しい人。私はそんな貴方だからこそお慕いしていました。どうか幸せになってください」
「エリーゼ……僕は……」
エリーゼは涙を堪えているのだろう。震える唇を噛みしめている。
ワタルはエリーゼに手を伸ばそうとするがぎゅっと拳を握りその手を戻す。そして彼女の視線を振り切るようにクロードに向き直った。そのまま彼の手から静かにケントを譲り受けその体を抱きかかえる。
クロードは弟子であるワタルの肩に手を置き力強く声をかける。
「ワタル、ありがとう。ケントを頼むな」
「ワタルさん、ありがとう……」
セシルはワタルに礼を言ったあと静かに異世界への転移魔法陣の詠唱を始めた。
「全ての世界に理を作りその秩序を守る大いなる神々よ。今しばらくその隔たる壁を取り払い異世界への扉を開き給え……」
すると召喚部屋の床の中央が光った。そこに薄っすらと魔法陣が現れ、その紋様が次第にはっきりとしてくる。そして徐々にその光が強まってきた。
セシルは魔法陣の出現とともに己の体から急速に魔力が失われていくのを感じる。だが実験場で強制的に魔力を吸い取られた時とは違う。今は余力が十分に残っている。そう考えると精霊の憑依によって底上げされた力には計り知れないものがある。
そしてようやく魔法陣が完成した。今や床のそれは眩いばかりに光を放っている。ようやく日本への扉が開いたのだ。
「もう大丈夫です。扉は開きました」
セシルがそう伝えるとワタルが大きく頷いた。そしてケントを抱えてその足を魔法陣へ踏み出す。
ワタルが皆を見渡したあとエリーゼを見つめる。エリーゼもまた涙を堪えながら彼を見つめていた。
そしてセシルは堪えていた涙が溢れだす。この魔法陣を踏めばケントともう会えなくなる。分かっていたけど胸が苦しい。日本へ行ったらどうか無事に目を覚ましてほしい。
(ケントがどこに居ても、わたしが大きくなっても、ずっとケントのことが大好きだから!)
そう心の中で呟きながらセシルは2人を見つめ、そして祈る。どうか幸せに……。
「それじゃ皆元気で」
「ワタル様……どうかお元気で」
「ワタル、すまない。ケントを頼むな」
「ワタルさん、ありがとうございます。どうかお元気で」
皆との別れを済ませワタルはケントを抱えたまま魔法陣の中央へ進んだ。彼らの体を虹色の光が包む。ワタルはケントを大事そうに両手に抱えたまま最後ににこりと微笑んで「さようなら」と言った。だが唇が動いただけでもうその声は届かなかった。そしてそのままワタルとケントの姿は光に飲まれて消えた。
そのあと次第に魔法陣の光は弱まり、最後にはゆっくりとその形を消した。
エリーゼはというと、2人が消えた瞬間に堪えていた涙が溢れ出していた。もう強がる必要はない。セシルも涙を流しながらエリーゼの肩を抱く。
クロードも眉根を寄せ、魔法陣のあった所をじっと見つめている。
そうしてセシルとクロードとエリーゼは3人でしばらくの間彼らの残像を追うようにその場に立ち尽くした。
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追記:2025/09/20
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