屋根裏の魔女、恋を忍ぶ

如月 安

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第一部

第11話 最高の晩餐

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「遅くなりまして、申し訳ございません」

 ディナーホールのアーチ型の両開きドアは、開け放たれたままだった。
 背筋を伸ばし、期待と不安の入り混じる気持ちでくぐると、姉のブランシュと公爵は、既に席に着いている。
 斜めに向き合える近い席に座った二人は、お互いが愛しくてたまらない、という様子で、うっとりと見つめ合っていた。

 水色のドレスを纏い、はちみつ色の髪を緩く結い上げたブランシュは、相変わらず、月の女神と見紛う美しさだった。
 公爵を見つめる碧い瞳は、うっすらと潤み、頬と唇は朱が差したように上気している。恋する者特有の色香を纏い、艶麗さに磨きのかかったブランシュの周囲には、芳しい花々がぱっと咲き誇っているようにすら見えた。

 対して、アラン・ノワゼット公爵もまた、とても美しい方だった。
 歳の頃は、二十代後半だったと思う。非の打ちどころなく整った顔立ち、亜麻色の髪、とび色の瞳。

 騎士団団長である筈だが、騎士の制服ではなく、一目で上質と分かる、黒の上下を身に着けている。そして、ブランシュへ向ける視線は、蕩けるように甘かった。

 実際に目にすると、新聞に書かれているような情け容赦ない冷血公爵のイメージとは程遠い、物腰優雅な、愛情深い人、という印象だった。
 お似合いな二人の、温かく柔らかな雰囲気に、ほっと一安心する。

 二人の前には、既に前菜が運ばれていた。

 やはり、帽子を取りに戻ったせいで、遅れてしまったようだ。

 吹き抜けの広々としたホールの中には、愛を囁き合う二人の邪魔にならず、しかし、有事の際は、即、駆け付けられる距離を保ちつつ、数人の騎士が、テーブルから離れた壁際や窓際に、配置されていた。

 その中に、わたしの秘めし想い人、レクター・ウェイン卿もいた。

 贔屓ひいき目かもしれないが、他の騎士も皆、スラリとして気迫がある中、眩い銀髪と紅い瞳のウェイン卿は、ひと際目立ち、輝いて見えた。
 公爵の一番近い位置に控え立つその姿からは、公爵の深い信頼を得ていることが、伺える。

「リリアーナ・ロンサールでございます。公爵様にご挨拶が遅れましたこと、心よりお詫び申し上げます。
 本日は、夕食をご一緒させていただく栄誉に預かりますこと、光栄至極に存じます」

 スカートの裾をつまみ、右足を後ろに下げて、幼い頃に叩きこまれた『淑女の礼』をした。
 どこかおかしいところが、ありませんように、と願いながら。
 何と言っても、わたしは、人付き合い皆無の引き籠り生活を五歳から送っている。
 きっと、変だと思う。

「レディ・リリアーナ、お会いできて、とても嬉しいですよ。さあ、これからは本当の兄妹になるのだから、一緒に夕食を楽しみましょう」

 公爵は、晴れやかに微笑んでそう言うと、優美な仕草で席を立ち、挨拶を返す。

「リリアーナ、……あの、久しぶりね……」

 顔を上げると、いつもの困ったような顔をしたブランシュと、優しい目をしたノワゼット公爵が、わたしを見つめていた。

 ホールにいる給仕達は怪訝な顔をしているし、騎士達は胡乱気に目を細め、冷ややかな視線を向けてくる。

 ウェイン卿に至っては、感情の欠片もない、冷たい刃物の如き目つきだ。

 赤裸々に言って、これほど間近に、ウェイン卿の姿を拝める機会に恵まれるなんて、ほとんど奇跡である。
 比類なき、未曽有の事態だった。
 ちらちらと心ゆくまで眺め見て、記憶に焼き付け、後ほど、ゆっくり堪能したい誘惑に駆られたが、誤って目を合わせてしまうと、石に変えられそうなほど、研ぎ澄まされた冷然ぶりだった。

 浮ついた邪念は振り払って、今夜はブランシュと公爵に集中する意向を、改めて固める。
 
 目の前にいる、幼い頃から、誰よりも大切で、近付きたくてたまらなかった、わたしの希望と誇りである美しい姉を、じっと見つめた。

「夕食をご一緒出来て、とても嬉しいです。お姉様」

 ブランシュが「まあ……」と微笑んで、公爵と見つめ合う様子を見て、わたしの胸は、幸福感で満たされた。


 その夜のディナーは、本当に素晴らしかった。

 機智に富んだ公爵の話は、とても興味深かったし、それに相槌をうったり笑いかけたりするブランシュの鈴のように可憐な声は、食卓に華をもたらした。

 モーリーの渾身のコースは、どれも最高の出来栄えだった。

 銀食器に盛られた、海老とキャビアにハーブを合わせた美しい前菜に始まり、時間をかけて出汁をとったと思われる奥深い味わいの透き通ったコンソメスープ。ほっぺたが落ちるほど佳味な、新鮮なスズキと海老のポワソン。さっぱりと爽やかな口当たりの柚子のソルベ。

 そして、ヴィアンドは柔らかい牛肉とフォアグラのソテーに赤ワインのソースが美しく盛り付けられていた。口に含むと、肉汁とワインの豊潤な香りがふわりと広がり、舌で潰せるほど柔らかさが、ほどけて行く。

 最後の旬の果物や小さなケーキが色とりどりにならんだデザートの皿には、クレームブリュレの上にホワイトチョコレートで象られたティアラまで乗っていた。ブリュレのキャラメリゼに、恭しくスプーンを差し込むと、パリリッと罪作りな音が響く。 口の中で、カリカリの甘いキャラメリゼと、とろりと蕩けるカスタードクリームが溶け合った。

 そう、それはまさに天国、としか言いようのない、食卓だった。

 わたしはここのところ、スープとパンのみの食事を続けていた。あれはあれで、とても美味しい。文句など言っては、罰が当たる。満足している。


 それでも、これは、どうしたって、口福……!であった。


 わたしは、心から思った。ベールがあって、帽子を取りに戻って、本当に良かった、と。
 食べ物につられ、恍惚とだらしなく瞳を潤ませる淑女らしからぬ姿を、誰にも見られずに済んだことを、人知れず、神に感謝した。


「わたくし、今日は、とてもいい日だったわ……。リリアーナ、ありがとう」

「わたくしも、お姉さまと夕食をご一緒できて、とても楽しかったです。それから……」

 気合を込めて、言いたかったことを、ひと思いに、続ける。

「申し上げるのが遅くなりましたが、ご婚約、おめでとうございます。お二人の末永いお幸せを、心からお祈りいたします」

 言えた。言い切った。ひとつの困難なミッションを、無事にコンプリートした瞬間だった。

「まあ……! リリアーナ、ありがとう……!」

 ブランシュから、艶やかに潤んだ瞳で見つめられて、わたしは、本当にここは天国なのではないだろうかと思うくらい、幸福だった。

 騎士らは、相変わらず鋭い目つきをしているし、使用人たちはこちらを観察するかのようにしげしげと見つめてくる。

 わたしの挙動は、やはり、相当おかしいのだろう。
 この晩餐を無事に乗り越えられたのは、ブランシュと公爵の心の広さに、助けられたお陰だと思われた。

 一緒に庭を散歩しませんか?と誘われたが、そこまで二人の邪魔をしたくはなかったので、固辞させていただいた。
 丁重に挨拶をして部屋に戻り、ベッドに入ってからも、わたしの心は幸福感で満たされていた。

 その夜更け――



 ブランシュとノワゼット公爵は、激しい頭痛と吐き気に襲われた。
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