屋根裏の魔女、恋を忍ぶ

如月 安

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第一部

第23話 胸騒ぎ

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「こちらが、ロイ・カント卿でいらっしゃいますか? お優しそうな方でいらっしゃいますね」

 近くを通り過ぎようとしたセシリアを、チャンスとばかりに慌てて呼び止めた。

 暖炉の上に飾られた写真に目を遣りながら問いかけると、セシリアは立ち止まり、柔らかく微笑んだ。

 第二騎士団の黒い制服に身を包んだカント卿の顔立ちは、至極整っているが、冷たい印象はない。写真の中の微笑からでも、カント卿の寛容さや、豪放磊落な性格であっただろうことは、充分に伝わってきた。

 わたしをじっと睨む、四人の騎士の視線が突き刺さるように痛いが、何度も言うけど、気付いていない振りをする。

「ええ、ほんとうに、優しい人でした」

 セシリアが、しんみりと目を伏せる。

「……わたくしも、先の戦争で父を亡くしました。後に残されるというのは、寂しくやるせないものですね」

 セシリアの瞳が少し揺らぐ。

「……そうでしたか……。本当に、後に残されるのは……せめて、」

 突然、ベビーベッドの中の末の男の子が、うわーんと弾けるような泣き声を上げたると、はっと我に返ったように、セシリアがベッドの方へ目を向けた。
 泣く赤ちゃんをあやしたくて、ベビーベッドに歩み寄ろうとしたわたしの前に、キャリエール卿がさっと立ち、行く手を阻んだ。

「令嬢は、どうぞ、そちらにお掛けになっていてください」

 冷ややかに有無を言わせぬ口調で、キャリエール卿がダイニングの椅子を指し示す。
 大きな木製テーブルには、すでに全員分の白磁の皿とティーカップやカトラリーが、丁寧に折り畳まれた白いナプキンと共に、セッティングしてあった。

 もっとセシリアと話してみたかったが、キャリエール卿の無言の睨みが突き刺さる。
 整った童顔で優し気な顔立ちなのに、瞳の奥に暗闇が垣間見えた。
 ――腹黒そうな人。
 って、きっとこういう人のことを指すんだ。

 そりゃそうだろう。いくら公爵だって、清廉潔白な騎士に暗殺など命じない。
 戦後の混乱が多少残っていたとしても、この王国の法は、ちゃんと守られている。
 貴族であろうが、叙爵された正騎士であろうが、私刑を行ったことが発覚すれば、立派な重罪だ。

 気圧されて言葉も発せぬまま頷くと、促されるまま、指し示された椅子に腰掛けた。


「さあさ、あなたたちも、手を洗ってきなさい。みんなのお皿に配るから、一緒に『いただきます』しましょうね」

 子ども達が、こくり、と頷いて、手を洗いに立つ。
 写真の中のカント卿によく似た面影の四歳のクリスとエバは、さっきから、ずっと、こちらをチラチラ見ては、にこり、と笑みを浮かべてくれる。可愛い。目茶苦茶可愛い。
 いつか、できればずっと先であることを祈るが、また、人に生まれ変われるなら、子供の世話をさせてもらえる職業の人になろう。

 二人とも、今日は口数が少なく元気がないように見えたが、よちよち歩きの弟の手を丁寧に洗ってやっていた。
 セシリアは、騎士達と久しぶりに会えた嬉しさからだろうか、鼻歌まじりで上の戸棚からクッキーの入った大皿を取り出している。

「あのう……、わたくし、とても喉が渇いてしまいまして、先にお茶を一杯いただいても、よろしいでしょうか?」

 無作法と知りつつも、どうしても気になった。
 この香り。
 ふわりと鼻をつき、甘く、蕩けるような。
 遠い記憶のどこかで、確かに知っている気がするのに、思い出せず、歯痒くももどかしい。

 ―― ……ないですから……

 この香りと共に、誰かが何か、言っていなかっただろうか。

 あれは、誰だった?


「さあ、どうぞ」

 洗練された手つきで、ポットから紅茶を注ぐセシリアの目は、もう何も語っていなかった。
 だけど、少しばかり、上の空でいるようにも見えた。
 あの時、『助けて』と瞳に映って見えたのは、やはり気のせいだったのだろうか。

 カップに口をつけ、熱い紅茶を一口、口に含むと、爽やかなコクと甘み、ほんのりマスカットのような風味が広がる。
 おそらく至極上等な、ダージリン……だった。
 ゆっくりと舌の上に乗せて味わってから、喉を通した。

「皆さんも、どうぞ、お掛けになってね」

 セシリアの言葉に誘われるように、騎士と子ども達が席に着く。
 わたしの右隣にウェイン卿が座り、左隣にオデイエ卿が座る。オデイエ卿の斜め横にキャリエール卿、ウェイン卿の斜め横にラッド卿が腰かけた。
 わたしの向かいにはセシリアが立ち、セシリアとラッド卿との間に三人の子ども達が座る。

 考えてみれば、ウェイン卿の隣に座ってテーブルを囲む機会など、もう二度と訪れまい。
 この状況でなければ、一生の思い出にしたい。
 しかし――、

 胸騒ぎがした。

 騎士達を見るが、いずれもわたしに油断ならないと言いたげな視線を向けている。

 騎士達は、何も感じないのだろうか。

 それなら、これはやっぱり、頭のおかしい引き籠り女の妄想だろうか。……そうかもしれない。

 心臓は早鐘を打ち、冷たい汗がじわりと滲むが、これ以上、変なことを言ったりしたりするのは、もう止めよう。いくら、これ以上ないほど最悪の関係だからと言って、人様に迷惑をかけるのは、良くない。

 それにどうせ、わたしの話など、誰も聞いてはくれないのだから。

 セシリアは目を細め、穏やかな微笑を浮かべ、テーブルについた人々をゆっくりと見回し、手に持っていた大皿からそれぞれの皿に配るため、トングでクッキーを一枚、そっと挟んだ。

 同時に、悪戯を思い付いたように、ふくふくしい幼い手がティーカップに伸ばされるのが目に入った。オデイエ卿が口を開く。

「危ないわよ、トラヴィス。触っちゃだめ。紅茶は熱いわ。火傷しちゃう」

 瞬間、ひやり、と冷たい手で背中を撫でられたような気がした。

 思い出した。 

 この香りは――、

 ―― 危ないですから……

 ―― 触らないで……

 往々にして、悪い方の胸騒ぎは、当たってしまうものである。

 慌てて立ち上がると、椅子がガタンと音を立てた。
 ほとんど同時に、右隣でもガタンと椅子の揺れる音がしたと同時に、右腕にがしっと掴まれる感触。

「あ、あの! わたくし、お先にクッキーを一枚、いただいてもよろしいでしょうか?」

 右手は隣に立つウェイン卿に取り押さえられ、皿まで届かなかった。

 だけど、左手はしっかりと掴んだ。

 テーブルを挟んで立つ、セシリアが持つクッキーの入りの大皿を。


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