屋根裏の魔女、恋を忍ぶ

如月 安

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第一部

第28話 身の程知らず

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 馬車は、伯爵邸への道のりを、風のように駆け抜けていた。

 ウェイン卿は、御者の腕前も大したものらしい。鞭の音は軽く、馬車はそれほど揺れもしていないのに、窓の外の景色は、魔法にかけられたような速さで流れて行く。

 ロイ・カント卿の家で先ほど起こった出来事のことを思えば、これから様々な報告と手配に追われるだろうから、ウェイン卿が急ぐのも無理はない。

 それなのに、さっきはぐずぐずして悪いことをしてしまっただろうか。


 いや、もしかしたら。

 今からドブネズミの始末をしようと、急いでいるのかもしれない。
 騎士団副団長……多忙を極める役職なのだろう、ということくらいはわかる。
 わたしなどには想像もつかない、目まぐるしい日々を送っているに違いない。きっと、もうさっさと駆除して、仕事を一つでも減らしたいと思っているだろう。

 やっぱり、乗るべきではなかった。

 何としても、歩いて帰るべきだった。

 ノーと言えるようになる薬、どっかに売っていないだろうか。


 ……だけど、とふと思い出す。
 さっきは、どうして助けてくれたのだろう。
 セシリアが掴んだポットをこちらに向かって振りかぶるのが見えた瞬間、当たる!と確信した。
 わたしの誠に残念な反射神経では、もはや避けることは不可能だった。
 顔面にポットが激突することを覚悟して、目を瞑って衝撃に備えた。

 気が付くと、ウェイン卿に抱えられるようにして、床に伏せていた。

 まさか、ウェイン卿がわたしを庇ってくれるとは思いもよらず、心の底から仰天した。

 ふっと、溜め息が零れる。

 やはり、根は優しい人なのだ。


 いつ見かけても、無表情で冷たい目をしているが、それはわたしに対してだけで、以前、鴉を助けていたように、本当は傷付けられそうな生き物を放っておけない、博愛主義の人なのだろう。

 ……助けてもらった礼を、何かしたほうが良いだろうか。

 馬車の座席にドレスの汚れを移してしまわないよう、自分の大判ハンカチを座席に広げていた。クッションにかけたハンカチが目に入り、ふと胸に浮かぶ。

 男性の身の安全を願って、女性が刺繍を施したハンカチを送る習慣があるらしい。
 刺繍なら、時間だけは有り余っていたから、少し練習したことがある。大したものはできないが、ある程度のものなら……

 その時、あの夜の冷たい声が、頭の中で響いた。

『ドブネズミは、始末しておきます』

 いや、ないわー……と我に返る。

 いくらなんでも、始末しようとしているドブネズミから物をもらって、喜ぶ人はいない。
 第一、身の程をわきまえなくてはいけない。魔女と呼ばれる女から渡された不吉極まるハンカチを、誰が好き好んで身に着けるのか。

 痛い、我ながら痛すぎる。

 これだから、わたしのような孤独な女はタチが悪い。
 恋は時に自分を見失わせ、理性を奪い、暴走させてしまう。
 通常、そうやって周りが見えなくなった時、友人や家族などが、「いや、ちょい待て、ちょっと落ち着け」と制止してくれるものなのだろう。

 しかし、わたしの周りには人がいない。

 己を律して、しっかり制御しなければ、とんでもない勘違い女になって迷惑をかけまくること必至である。
 気を付けよう、本っ当に気を付けよう。

 そういった行為は、世に数多いる見目麗しく可憐な女性達が行うからこそ、歓迎されるのだ。
 ウェイン卿もきっと、誰か魅力的な女性からハンカチを贈られたなら、わたしに向けるものとは違う、優しい目と優しい声で、お礼の言葉を囁くのだろう。

 そこまで考えると、無性に惨めな気分になって、泣きたくなってきた。

 この場に沼があったなら、今すぐ肩ぐらいまで沈みたい。

 ……だめだ、浮上するために別のことを考えよう。


 そうだ、さっきはどうなることかと思ったが、セシリアが何とか助かってくれて、良かった……。
 だけど、余計なことをしてしまったな、と思う。

 わたしがいなければ、騎士の誰かが異変に気付いたのではないだろうか。
 おそらく、悪名高く怪しいわたしに気を取られてしまったに違いない。わたしが騎士達を惑わせたせいで、あやうく大変な事態に陥るところだった。

 ここのところ、セシリアのことが気になって、よく寝付けなかった。

 今朝もいつも通り早起きして洗濯と掃除をしたので、たまらなく眠い。

 先ほどから間断なく押し寄せる疲労感に抗うのも、もう限界だった。

 馬車の心地よい振動に誘われるように、いつしか、うとうとと瞼が重くなった。



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