83 / 194
第一部
第83話 灰色の瞳
しおりを挟む
呼びかけた声に反応し、男は振り返った。
自身の姿を映した男の灰色の瞳が、ほんの一瞬、わずかに揺らぐ。
――こいつだ。
(ロウブリッターだ)
……あの、老執事。
時間が止まる。辺りの喧騒は静まり、聞こえなくなった。
(ようやく、やっと、手掛かりを掴んだ)
心臓がどくどくと脈打つ。夢から醒めたように、視界が拓ける。
戦場を思い出す。狙った相手を、打ち損じたことは、一度もない。
男は無表情のまま、くすんだ灰色の瞳をすっと細めた。
次の瞬間、雑踏に向かって走り出す。
その背を見据えたまま、後を追う。
『ただ者じゃなかった』
オデイエの声が思い出される。男の身のこなしは、コソ泥のものではなかった。賑わう港町の群衆にぶつかりもせず、人や荷車の隙間を悠々とすり抜け、イタチのように走り抜けてゆく。
(何者だ……?)
瞳に陽炎が立ち、油断していたとはいえ、あのオデイエを倒すほどの実力。
(そんな奴が、何故、コソ泥のような真似をしていた?)
大通りを軽快に走る馬車の前すれすれを、男は走り抜ける。轢きかけた御者が、「うわっ! おい!!」と怒声を上げる。馬車の向こうに走り抜けた男を追って、馬車の天蓋に足をかけ、跳ね下りた。
見失うわけがない。
(理由なんか、どうだっていい。終わりだ)
男は振り向き、後ろを確認すると、速度を上げる。大通りでは埒が明かないと踏んだのか、建物の隙間へと走り込む。
両側を寂れた建物に挟まれた、人気のない路地奥。その先はレンガの塀に遮られた行き止まりだった。
袋小路に追い詰められた男は、逃げられないと悟ったのか、足を止めた。
大きく息を吐いたかと思うと、ゆっくりと振り返った。
灰色の瞳を細め、酷薄そうな薄い唇を歪めて、ふ、と笑う。
傷つけることも、殺めることも、何の感慨も抱かずに出来る人間の瞳。
――俺と同じだな。
「どちら様です? なんなんですか? いきなり追いかけてきて」
呆れたように眉尻を下げ、口を開く男にゆっくりと近付く。
男の左の袖口から、銀の光が走る。
剣を抜き、四本すべて払い落とす。
(オデイエがやられたのはこれか……不意打ちなら、あのオデイエでもやられるかもな……)
地面に落ち、砂にまみれる銀の針を見やり、男は残念がるでもなく、くくく、と不気味な笑い声を立てた。
「あーあ、いいですよ、降参します。まさか、相手があのレクター・ウェインじゃね」
あっさりと手を挙げる男の胸倉を掴み上げた。
「令嬢はどこだ」
ニヤニヤと嘲るような笑みを浮かべたまま、男は答えた。
「船ですよ」
「その船はどこにある?」
一瞬でも無駄にするのが惜しくて、矢継ぎ早に尋ねる。男は唇を歪め、余裕の笑みを浮かべ、ゆっくりと口を開く。
「お・し・え・る・わ・け、な・い・で・しょ?」
がつっと音を立てて、男は乾いた地面に仰向けに倒れた。口元から血を流しながら、相変わらずにやにやと薄ら笑いを浮かべる。
「なら、すぐに言いたくなる」
(どこを切れば、口が軽くなるだろう?)
一刻も惜しかった。剣を握り直すと、かちゃりと音が鳴る。腕と剣を赤い陽炎が取り巻く。
「……宝石だけに、しておけば良かったんだ」
自分でも驚くほど、低く震える声が続ける。
(まずは、その手足を使えなくして――)
「宝石だけにしておけば、命は、助けてやったのに――」
地面に手をついた男は、こちらに視線を向けながら、口角をつり上げた。
「……可哀想にね、あの令嬢……俺が時間通りに戻らないと、仲間から酷い目に遭わされるのに」
ぎくり、と心臓が鳴る。
耳元で、さあっと血の気が引いてゆく。剣を握る手と足が、冷気に当てられたように震えだす。冷気はあっという間に全身を縛り、凍りつかせた。
よいしょっと軽く声をあげ、男が立ち上がる。服についた土を丁寧な手つきで払いのけながら、嗤う。
「あれ? これって、まさかの形勢逆転ですかね?」
その顔は、楽しくて仕方がない、と言いたげに破顔する。
「行け、早く、戻れ……もし、傷付けたら、殺す。船の仲間も、全員」
次に会う時は。
(取り戻したら、必ず、殺す)
殺気を込めて睨むと、男は大げさに身を竦める。
「うわー、そりゃ大変だ。それじゃ、一刻も早く戻ろう。でないと、仲間が何するかわかんない。あいつら、狂暴だからな。」
灰色の瞳は緩やかに上弦の弧を描く。嬉しそうに天を仰ぎ、お気に入りのおもちゃを見つけた子どものように、その手を打った。
「ってことで……まずは、その剣、捨てて、跪いてもらうってのは、どうです?」
自身の姿を映した男の灰色の瞳が、ほんの一瞬、わずかに揺らぐ。
――こいつだ。
(ロウブリッターだ)
……あの、老執事。
時間が止まる。辺りの喧騒は静まり、聞こえなくなった。
(ようやく、やっと、手掛かりを掴んだ)
心臓がどくどくと脈打つ。夢から醒めたように、視界が拓ける。
戦場を思い出す。狙った相手を、打ち損じたことは、一度もない。
男は無表情のまま、くすんだ灰色の瞳をすっと細めた。
次の瞬間、雑踏に向かって走り出す。
その背を見据えたまま、後を追う。
『ただ者じゃなかった』
オデイエの声が思い出される。男の身のこなしは、コソ泥のものではなかった。賑わう港町の群衆にぶつかりもせず、人や荷車の隙間を悠々とすり抜け、イタチのように走り抜けてゆく。
(何者だ……?)
瞳に陽炎が立ち、油断していたとはいえ、あのオデイエを倒すほどの実力。
(そんな奴が、何故、コソ泥のような真似をしていた?)
大通りを軽快に走る馬車の前すれすれを、男は走り抜ける。轢きかけた御者が、「うわっ! おい!!」と怒声を上げる。馬車の向こうに走り抜けた男を追って、馬車の天蓋に足をかけ、跳ね下りた。
見失うわけがない。
(理由なんか、どうだっていい。終わりだ)
男は振り向き、後ろを確認すると、速度を上げる。大通りでは埒が明かないと踏んだのか、建物の隙間へと走り込む。
両側を寂れた建物に挟まれた、人気のない路地奥。その先はレンガの塀に遮られた行き止まりだった。
袋小路に追い詰められた男は、逃げられないと悟ったのか、足を止めた。
大きく息を吐いたかと思うと、ゆっくりと振り返った。
灰色の瞳を細め、酷薄そうな薄い唇を歪めて、ふ、と笑う。
傷つけることも、殺めることも、何の感慨も抱かずに出来る人間の瞳。
――俺と同じだな。
「どちら様です? なんなんですか? いきなり追いかけてきて」
呆れたように眉尻を下げ、口を開く男にゆっくりと近付く。
男の左の袖口から、銀の光が走る。
剣を抜き、四本すべて払い落とす。
(オデイエがやられたのはこれか……不意打ちなら、あのオデイエでもやられるかもな……)
地面に落ち、砂にまみれる銀の針を見やり、男は残念がるでもなく、くくく、と不気味な笑い声を立てた。
「あーあ、いいですよ、降参します。まさか、相手があのレクター・ウェインじゃね」
あっさりと手を挙げる男の胸倉を掴み上げた。
「令嬢はどこだ」
ニヤニヤと嘲るような笑みを浮かべたまま、男は答えた。
「船ですよ」
「その船はどこにある?」
一瞬でも無駄にするのが惜しくて、矢継ぎ早に尋ねる。男は唇を歪め、余裕の笑みを浮かべ、ゆっくりと口を開く。
「お・し・え・る・わ・け、な・い・で・しょ?」
がつっと音を立てて、男は乾いた地面に仰向けに倒れた。口元から血を流しながら、相変わらずにやにやと薄ら笑いを浮かべる。
「なら、すぐに言いたくなる」
(どこを切れば、口が軽くなるだろう?)
一刻も惜しかった。剣を握り直すと、かちゃりと音が鳴る。腕と剣を赤い陽炎が取り巻く。
「……宝石だけに、しておけば良かったんだ」
自分でも驚くほど、低く震える声が続ける。
(まずは、その手足を使えなくして――)
「宝石だけにしておけば、命は、助けてやったのに――」
地面に手をついた男は、こちらに視線を向けながら、口角をつり上げた。
「……可哀想にね、あの令嬢……俺が時間通りに戻らないと、仲間から酷い目に遭わされるのに」
ぎくり、と心臓が鳴る。
耳元で、さあっと血の気が引いてゆく。剣を握る手と足が、冷気に当てられたように震えだす。冷気はあっという間に全身を縛り、凍りつかせた。
よいしょっと軽く声をあげ、男が立ち上がる。服についた土を丁寧な手つきで払いのけながら、嗤う。
「あれ? これって、まさかの形勢逆転ですかね?」
その顔は、楽しくて仕方がない、と言いたげに破顔する。
「行け、早く、戻れ……もし、傷付けたら、殺す。船の仲間も、全員」
次に会う時は。
(取り戻したら、必ず、殺す)
殺気を込めて睨むと、男は大げさに身を竦める。
「うわー、そりゃ大変だ。それじゃ、一刻も早く戻ろう。でないと、仲間が何するかわかんない。あいつら、狂暴だからな。」
灰色の瞳は緩やかに上弦の弧を描く。嬉しそうに天を仰ぎ、お気に入りのおもちゃを見つけた子どものように、その手を打った。
「ってことで……まずは、その剣、捨てて、跪いてもらうってのは、どうです?」
2
あなたにおすすめの小説
【完結】私が誰だか、分かってますか?
美麗
恋愛
アスターテ皇国
時の皇太子は、皇太子妃とその侍女を妾妃とし他の妃を娶ることはなかった
出産時の出血により一時病床にあったもののゆっくり回復した。
皇太子は皇帝となり、皇太子妃は皇后となった。
そして、皇后との間に産まれた男児を皇太子とした。
以降の子は妾妃との娘のみであった。
表向きは皇帝と皇后の仲は睦まじく、皇后は妾妃を受け入れていた。
ただ、皇帝と皇后より、皇后と妾妃の仲はより睦まじくあったとの話もあるようだ。
残念ながら、この妾妃は産まれも育ちも定かではなかった。
また、後ろ盾も何もないために何故皇后の侍女となったかも不明であった。
そして、この妾妃の娘マリアーナははたしてどのような娘なのか…
17話完結予定です。
完結まで書き終わっております。
よろしくお願いいたします。
捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。
蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。
これで、貴方も私も自由です。
……だから、もういいですよね?
私も、自由にして……。
5年後。
私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、
親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、
今日も幸せに子育てをしています。
だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。
私のことは忘れて……。
これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。
はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
転生皇女セラフィナ
秋月真鳥
恋愛
公爵家のメイド・クラリッサは、幼い主君アルベルトを庇って十五歳で命を落とした。
目覚めたとき、彼女は皇女セラフィナとして生まれ変わっていた——死の、わずか翌日に。
赤ん坊の身体に十五歳の記憶を持ったまま、セラフィナは新しい人生を歩み始める。
皇帝に溺愛され、優しい母に抱かれ、兄に慈しまれる日々。
前世で冷遇されていた彼女にとって、家族の愛は眩しすぎるほどだった。
しかし、セラフィナの心は前世の主・アルベルトへの想いに揺れ続ける。
一歳のお披露目で再会した彼は、痩せ細り、クラリッサの死を今も引きずっていた。
「わたしは生涯結婚もしなければ子どもを持つこともない。わたしにはそんな幸福は許されない」
そう語るアルベルトの姿に、セラフィナは決意する。
言葉も満足に話せない。自由に動くこともできない。前世の記憶を明かすこともできない。
それでも、彼を救いたい。彼に幸せになってほしい。
転生した皇女が、小さな身体で挑む、長い長い物語が始まる。
※ノベルアップ+、小説家になろうでも掲載しています。
怒らせてはいけない人々 ~雉も鳴かずば撃たれまいに~
美袋和仁
恋愛
ある夜、一人の少女が婚約を解消された。根も葉もない噂による冤罪だが、事を荒立てたくない彼女は従容として婚約解消される。
しかしその背後で爆音が轟き、一人の男性が姿を見せた。彼は少女の父親。
怒らせてはならない人々に繋がる少女の婚約解消が、思わぬ展開を導きだす。
なんとなくの一気書き。御笑覧下さると幸いです。
何もしない公爵夫人ですが、なぜか屋敷がうまく回っています
鷹 綾
恋愛
辺境公爵カーネル・クリスの妻となったフィレ・バーナード。
けれど彼女は、屋敷を仕切ることも、改革を行うことも、声高に意見を述べることもしなかった。
指示を出さない。
判断を奪わない。
必要以上に関わらない。
「何もしない夫人」として、ただ静かにそこにいるだけ。
それなのに――
いつの間にか屋敷は落ち着き、
使用人たちは迷わなくなり、
人は出入りし、戻り、また進んでいくようになる。
誰かに依存しない。
誰かを支配しない。
それでも確かに“安心できる場所”は、彼女の周りに残っていた。
必要とされなくてもいい。
役に立たなくてもいい。
それでも、ここにいていい。
これは、
「何もしない」ことで壊れなかった関係と、
「奪わない」ことで続いていった日常を描く、
静かでやさしい結婚生活の物語。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる