屋根裏の魔女、恋を忍ぶ

如月 安

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第一部

第88話 浴場

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 ゆっくりゆっくり、馬は進んだ。やがてメイデイランドの穏やかな海に面した大きな建物に辿り着く。
 壮麗な彫刻の施された、白い宮殿のように優雅な造りの建物は、貴族の別邸だろう。アーチ型の窓にバルコニー。白いエントランス階段の上で笑顔で手を振ってくれるのは、見知った沢山の顔。それはいわゆる、

 ―――北極海に突き落とされた気分。

 氷水を頭から浴びたように、炎上していたハートと身体は、一瞬で鎮火した。

「……あ……あのー? ウェイン卿……? つ、つ、つかぬことをお伺いしますが……」

「はい」

 応えるウェイン卿の瞳は優しい。眩しい。しかし、流石に今は、それどころではない。

「……こ、これは……? い、一体、なぜ、第二騎士団の皆様が、こんなにも沢山、それも私服姿で、このような場所に、いらっしゃるのでしょうか?」

 制服ではなく私服を着た、なんか見覚えある第二騎士団の面々に、満面の笑みと拍手で出迎えられながら、おそるおそる、震える声でゆっくりと尋ねる。

 赤い瞳は、申し訳なさそうに曇る。

「……総出で令嬢を探しておりましたが、お助けするのが遅くなってしまい、申し訳ありません」

 ――はああっっ!? そんな馬鹿なっ!?

 叫んだつもりの声は、ショックのあまり失われていた。

 ――……そんな、そんな、馬鹿な……

(……わたしって……わたしって……)


 ――いなくなったら、探してもらえるの……!?


 そんな衝撃を受ける程度には、ごく最近まで、筋金入りのボッチであった。


 もちろん、ランブラーとブランシュに心配かけているだろうなー……という思考はあった。
 メイデイランドの方角、木の枝に結んだリボンに誰か気付いてくれて、安心していてくれているといいなー……とも思っていた。

 だから、

(メイデイランドに着いたら、治安隊の屯所で、申し訳ないが王都までの馬車賃をお借りし、乗合馬車で景色を楽しみつつ、急いで帰ろうっと!)

 程度に考えていた、この能天気な頭っ!!


 ――た……大変なことを、しでかしてしまった……!


 聞けば、別の港町で第一騎士団の皆様も休み返上で探してくださっていると聞き、さらに血の気が引く。

(……消してほしい……! 今すぐ、この世から抹殺してほしい……!)

 眩しく微笑むウェイン卿に馬から下ろしてもらい、真っ青になって瞬間消滅する方法を模索していると、オデイエ卿が居並ぶ私服騎士の隙間から飛び出してきた。

「令嬢!」

「オデイエ卿……!」

 オデイエ卿はわたしの顔を覗き込み、両手で包みこむと、そこにあるのを確かめるように撫でる。

「令嬢……」

 綺麗な琥珀色の瞳は、うっすらと潤んでいる。頬に触れる掌の温かさに、胸の奥がふわふわ暖まる。

(……オデイエ卿、痩せた気がする……)

 ――きっと、凄く心配をかけたのだ。

「オデイエ卿……わたくしが余計なことを言ったせいで、お怪我させてしまって、ごめんなさい」

 そう言うと、しっかりと胸に抱き寄せられ、ぎゅうぎゅうと思いっきり抱きしめてくれる。オデイエ卿の肩越しには、嬉しそうににこにこ笑い立つ、キャリエール卿とラッド卿の姿も見えた。



 §


 その後は、大変、慌ただしかった。

 信じられないほど広い部屋に連れていかれ、そこでオデイエ卿付添いの元、医師たちの診察を受けた。
 本当に、全くもって元気です、と言っても、聞き入れてはもらえなかった。

 口の中を見られたり、瞳に眩しい光を当てられたり、その他いろいろ、全身くまなく診察された。

「栄養状態は、問題ないようですな」
「どこにも、怪我も異常は見当たりませんな」

 などと言われた後、ほっと胸を撫でおろしたオデイエ卿は言った。

「さ、令嬢、お疲れでしょう? この別邸、すごくいい天然温泉まであるんですよ。一緒に入りましょう!」

 そして、反論の隙も与えず、わたしを温泉に連れて行く。



 びっくりするほど、広々とした浴場だった。月と太陽が描かれた天井。大理石がふんだんに使われた壁。ガーゴイル像の口から、ざぶざぶと熱い湯が溢れ出す。

 温泉など初めてだったので、正直、とても感動した。古代帝国の女王になったような気分であった。ひととき、やらかした失態は頭の隅に追いやった。

 浸かりながら、心なしか肌が滑らかになるような、とろりとした湯の心地良さに、ため息が漏れる。
 体が温まり、じんわりとほぐれてくる。

 豪華な浴場には、わたしとオデイエ卿の他、隅の方に侍女らしき人が数人控えている。こちらに近付いては来ない。

「あのう……あの方たちは?」

「ああ、信頼できますから、安心してください」

「ああ、なるほど……」

 何だかよく知らない人にまでご迷惑を……と滲む涙を慌ててお湯ですすぎ誤魔化す。

「浸かり心地はいかがですか?」

 頬に赤みが差し、気のせいかさっきよりもお肌が輝いて見えるオデイエ卿がにっこり笑って問いかける。

「はい。とても気持ちが良いです」

 そうでしょう、と琥珀の瞳を細めて、また嬉しそうに笑う。
 その白い肩には、レオンに針で刺された跡が、まだくっきりと残っていた。

「その傷、跡が残りませんか……?」

「大丈夫ですよ、このくらい、きれいさっぱり消えます!……それより、令嬢は、本当に、何もされませんでしたか?……その、何か、怖い思いとか……いやなことをされたりは……」

 終わりの方、オデイエ卿の声が固くなって、不安そうに消えて行く。

「はい何も。オデイエ卿に怪我をさせた時は驚きましたが、ロウブリッターは、その後はずっと紳士的で、親切にしてくれました」

「紳士的!? あいつがですか!?」

 はい、と答えたが、オデイエ卿はむうっと口を閉じて眉を寄せている。レオンに文句があるようだった。怪我をさせられたのだから、当然だろう。

 その後の印象と余りにもかけ離れており、忘れかけていたが、庭園でのレオンの様子は鬼気迫るものがあったと思い出す。


(それはさておき……今、もっとも気になることは……)

 オデイエ卿の引き締まりながらも美しい、女性らしい体つきである。

(その胸は、一体、何を食べたらそんなに風に成長するのか……?)

 自身の胸を見下ろすと、手の平にすっぽり収まりそうなそれは、我ながら慎ましい。
 恋愛小説などから得た切れ端の情報を繋ぎ合わせ、推理し導き出したところによると、一般的に、大きい方が好まれるものであるらしい。

 そこで、はた、と思い当たる。

 ウェイン卿から、気軽に好きだと言われたり、抱き締められたりするのは、……さては、


 ……女だと思われていない……?


 オデイエ卿のような女性といつも一緒にいたら、わたし如き、どう見たってただのお子ちゃま。

 自身に、置き換えてみる。
 八歳のホープや三歳のジェームスと久しぶりに会ったとする。ぎゅってする? うん、ぎゅってする。
 抱きしめる? うんうん、抱きしめる。
 
 ――はいはい、なるほどー……

 全てに得心が入って、うんうん頷いていると、オデイエ卿がざぶりと湯からあがった。

「じゃあ、わたしは先に上がって、色々準備してきます。令嬢はゆっくりしてくださいね」

 湯から上がったその姿は、女神アテナの彫像のよう。急に気恥ずかしくなって、慌てて顎まで浸かった。



 §


 オデイエが浴場から廊下に出てくるのを、キャリエールとラッドと共に待っていた。

「令嬢、……やっぱり顔色が悪かったな……」
「ああ……何しろ、一週間近くも囚われていたんだ……無理もない……」

 二人の顔は緊張しているし、自分もそうだと思う。

(……大丈夫だ……。見つけた時の様子は、元気そうだった。きっと、大丈夫そうに見えたから……)

 自身に言い聞かせても、悪い想像ばかり膨らむ。

 キャリエールがそろそろと口を開く。

「……それで……?」

 オデイエは、頷いて、息を吐くように答えた。

「大丈夫。何もされてない。きれいなままだった」

 キャリエールとラッドが安心したように大きな息を吐く。
 安堵のあまり、思わず力が抜けて、壁に体を預けた。

「それどころか、紳士的で親切だったって。信じられないけど、あれは、本当だと思う。にこにこしてたし、たぶん、大丈夫そうだわ。……ほんと、ほっとした……」

 責任を感じていたのだろう。この六日間、ずっと青ざめ苦悩の表情を浮かべていたオデイエが、赤みの刺した顔で嬉しそうに微笑む。
 その肩をキャリエールに叩かれていた。

「じゃ、わたしは令嬢のとこに戻るから」

 そう言って再び浴場に戻るオデイエを見送り、安堵すると同時に、疑問も湧く。

(紳士的で親切だった……? あの男が……?)

 冷酷な眼つき。酷薄な唇。残忍な嗤い方。
 人の命を掌の上で転がし、悦びに酔いしれていた。
 何度か伯爵邸で感じた悪意。あれは間違いなく、奴のものだった。

 宝石は囮で、初めからリリアーナを連れ去り、傷付けることが目的だったのだと、絶望した。

(……にも拘らず、手に入れておきながら、紳士的に接して、すんなり返した……?)


 ――まったく、訳が分からない。


 次に会ったら、必ず始末するつもりだったが……

 不愉快極まりないことは間違いないが、多少の容赦は、してやるべきか……?



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