屋根裏の魔女、恋を忍ぶ

如月 安

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第二部

第14話 あじさい(アナベル視点)

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 一行がストランドに向けて発つ、少し前。
 アナベルは一人、ローゼンダール王都の港に近い市場を訪れていた。


 ブランジュリから漂う、焼き立てのパンの香り。肉屋に所狭しと並ぶ、ハムやソーセージ。チーズを売る店の隣では、異国渡りの布が並ぶ。花を閉じ込めた石鹸を売る店には、赤い日傘をさした老嬢が膝の上に黒猫をのせて座っている。
 雑踏と喧騒。
 夏の日差しが降り注ぐ中、そこはむっとするほどの活気に溢れていた。


「そこのおねえさん! こちらのアジサイがお勧めだよー。窓辺に飾ると映えますよー!」

 花売りの男が、淡い色のアジサイを手に抑揚をつけた明るい声をかける。

 ――初めて見る風景に、懐かしさを覚えるのはどうしてだろう?

 少し向こう――道にせり出して置かれた果実店の台に、瑞々しい色彩の嵐がある。
 あの角を曲がると、懐かしい煉瓦造りの家が建っている――ような感覚に襲われて、目眩がして、小さく息を吐いた。

 建ってるわけない。


「そのアジサイを」

 立ち止まって言うと、花屋の店員は、毎度ありっと花に負けない元気さで笑った。
 洗いざらしたエプロンに、朝陽が跳ねる。

「贈り物? じゃあ包むから、その辺で他の花も見といてよ」

 店員に言われるがまま、視線を移した。
 軒先に置かれたブリキのバケツで咲き誇る、初夏を彩る花たち。
 バラ、シャクヤク、アザミ、カラー、デルフィニウム、アガパンサスにアルケミラモリス――――

 店員は水を張ったバケツの前に座り、パチンパチンと小気味良い音を立ててアジサイを水切りし始めた。
 その手を止めないまま、花屋の男は声をひそめて囁き出す。

「……レディ・ブランシュ・ロンサールの顔に、懸賞金が掛かってる」

「……顔?」

二目ふためと見られないように潰したら、二十万フラム。生死問わず」

「……下衆い……」

 胸を悪くして呟くと、花屋の店員姿が板についた仲間――プファウは軽く肩を竦める。

「どこの国にも一定数いるもんだろ?――で、先週、王立病院の研究室の保管庫から、取り扱い注意の劇物が一瓶、消えたらしい」

「劇物?」

 プファウは声を潜めたまま、表情を変えずに言う。

「高濃度の、緑礬油りょくばんゆ

 どうりで、と腑に落ちる。
 あのアラン・ノワゼットが、色を失くして警戒するはずだ。

 ――緑礬油りょくばんゆ

 夜会で隣に立つ女が傾けるグラス、茶会でメイドが手にしたティーポット、道を行く人々の掌やポケットに、忍ばされた液体。
 一瞬の隙で――もう取り返しがつかない。
 
 そして、二十万フラムの懸賞金か。
 潰しても潰しても、金に目が眩んだ新しい蛆が湧いて群がる。
 永遠に狙われる。
 掛け金を取り下げさせるまで。

 ――しばらくストランドに身を隠すっていうのは、なるほどね。

「誰の仕業?」

「取り仕切ってるのは裏社会の、ほらあの有名な、修道士の頭巾党モンクスフードだ」

 ハイドランジアでもその悪名を聞いた大陸随一の組織の名を聞いて、納得するよりも首を傾げた。

 修道士の頭巾党モンクスフード
 ありとあらゆる犯罪に手を染める巨大な闇組織。
 けれど組織である以上、何らかの利益を求めるはず。
 レディ・ブランシュを傷つけて、闇組織にどんな得があるだろう?
 内心を読んだように、プファウは続ける。

「ただし、誰かの依頼を受けてるだけらしい。実際に裏に居るのは、ブルソール国務卿らへんじゃないか? こんなくだらねえことに二十万フラム出すっていうと、そこそこの大貴族様だろ? レオンとオウミがその線で潜るって」

 仲間の内、間諜だった二人の名を聞いて、軽く頷く。
 レディ・ブランシュ、ロンサール伯爵、レディ・リリアーナの人となりに想いを馳せる。あの三人が、それほどの恨みを買うとは考えにくい。
 やはり、アラン・ノワゼット絡みか。政敵であるアラン・ノワゼットとグラハム・ドーンに不正の証拠を握られ、逆恨み――ありそうだ。


「……ところでさ、」

 器用にくるくると麻紐を巻き付けて花束を作りながら、いい歳した大の男が、ぽっと頬を染める。

「……令嬢は、お元気かな?」

「相変わらず、神がかって壮絶に可愛い」

 間髪入れずに返してやると、くっ……とプファウは目を瞑る。

「そうかー。いいなー。アナベルは令嬢の傍いれて。俺もあの天使の笑顔に癒されてぇ。……しっかし、レクター・ウェインかあ……マジかー……くっそう、どこが良いんだ? いっぺん戦場で遠目に見たことあるけど、目がイッてるサイコ野郎だったけどなあ」

「伯爵邸では、デレまくってるけどね」

 それはそれで見てみてえかもな、と呟くプファウの掌に花代の小銭を載せていると、知った気配が近付きつつあるのを察した。
 近頃、頻繁に感じるやつだ。

 小銭を傍らの缶に投げ込みながら、プファウがやさぐれた声を出した。

「――しかし明らかに、俺の方がいい男だ。顔も性格も、断然出来がいい」

 冗談とも本気ともつかない台詞にふっと笑いながら、ちらと視線を横に流す。

「アラン・ノワゼットに雇ってもらえばどう? 令嬢に会えるよ」

 くだらないことを言ったのに、プファウは気にもしていない風に、ふうん、と考える素振りを見せる。

 気配の主――トマス・カマユーが一歩ずつ近付いて来る。
 私が眉をひそめたのに気付き、プファウの表情は子どものように輝いた。面白いものがみれそう、って顔。

「お前は? どうすんの?」

 わかりきったことを問うプファウに、わかりきったことを応える。

「皆はともかく、私は無理――」

「あっ! アナベルさん! 奇遇ですね!」

 こちらの姿を見つけたらしいトマス・カマユーが、人混みの向こうで大声で叫ぶのに遮られて、続けようとした台詞がつかえた。

 こちらにむかって、制服の袖を高く上げて振ってから、人の隙間を縫って駆け寄ってくる。

 彼にまで届かない、静かな声で続ける。

「――私は、絞首刑になる」

 ほんの一瞬、真顔になって瞬いてから、プファウはにかっとわざとらしいほどの笑顔を作った。
 走り寄るトマス・カマユーに聞こえるくらいの声量で、明るく叫ぶ。

「お客さん、ありがとねー。またのお越しをー!」

 プファウが他の客を呼び込み始めると同時に、黒い騎士服に身を包んだトマス・カマユーは、私の真横でぴたりと止まった。

「……カマユー卿、ごきげんよう」

 侍女らしい、淑やかな笑みを浮かべて見せると、彼の笑顔は輝きを増す。
 さっきの既視感の名残と混ざった眩しさに、思わず瞬いた。

「アナベルさんも、お買い物ですか?」

 持ちますよ、と差し出された手に、非力そうな所作を意識してアジサイの花束を渡す。
 空色の瞳は、人懐っこく細められる――何かに似てる、あ、子犬だわ。

「……私がここにいるって、誰かにお聞きになりました?」

 誰にも告げていない。後も付けられていなかった。
 しおらしく首を傾げて尋ねると、トマス・カマユーは、慌てたように首を横に振る。

「いや、偶然っ!……というのは、嘘でして――」

 気恥ずかしそうに、花を持たない右手で頭を掻く。

「――実を言うと、さっき、伯爵邸の出入り業者に聞いたんです。こっちの朝市でアナベルさんを見かけたって。俺、夜勤明けで今日時間あるんで、それなら荷物持ちでもさせてもらおうかな……と思い立ちまして」

 今日の空と同じ色の瞳を、照れたように細めて笑う。
 へえ、そうでしたか、と軽く流しながら、相変わらずだな、と思った。

 どうやら忘れているらしい。まあ、あの状況じゃ、それもそうか――。


 ――相変わらず、優しいのね。


 §



「見つかったか? 生存者」

「あの濁流に呑まれて、生きてる人間がいるとは思えないけどな」

「……万が一ってことがある。見つけたら……一人残らず、片付けるぞ」

 了解――と応える冷たい声を、藪の奥で息と気配を殺して聞いた。

 ――あの濁流に呑まれて、生きてる人間は、いない――?

 泥だらけの掌を見た途端、身体が小刻みに震え出した。

 おかしい。
 誰もいない?
 そんなはずない。
 ついさっきまで、一緒にいたんだから。
 どこ。

 
 どこ――――――?


 日の出と同時に、堰は切られた。

 ハイドランジアの王都を囲むように流れる、母なるクムロフ川。
 下流を塞き止められたそれは、数日前から異様に水かさを増していた。
 堀の役割を果たし、私たちを守るはずだったものが、私たちに牙を剥く。

 あの日、あの場所で起こったことに救いがあるとするならば、市民はとっくに、王を見限り逃げていたことだ。

 王城の窓に見た。

 川の方角、けぶる灰色の水煙。
 
 瞬きひとつする間に、生まれ育った街は呑み込まれた。
 季節の移ろいを映す街路樹、休みのたびに訪れた市場、時計広場に立つ欅、茜色の屋根の見慣れた家々、それらすべてが、積み木のように崩れさった。
 人がどれほど力をつけても、どうにもならない。何もかもを嘲笑うように呑み尽くす――――――

 圧倒的で、絶望的な、自然の猛威。


 ――その笑顔さえあれば、何もいらない。命だって捨てられる。そんな強い思いを抱いたことが、あるだろうか。

 一緒に、逃げた。
 城で一番高い塔の上を目指して。

 他には、なにもいらなかった。

 轟音が迫る中、駆け登って――あっと思った時には、刺すように冷たい水に全身が叩きつけられ、視界が沈んだ――ところまでは、覚えている。


 目が覚めたら高台の、泥だらけの草の中だった。
 東の空に昇り初めていたはずの太陽は、西の山の稜線にあった。

 灰色に変わった世界を、探した。灰色の草を掻き分けて。

 いない。どこにも。私だけ。そんなはず、ないのに。


 ――りいーん、ごーーーん。

 荘厳な鐘の音が、響く。 

 藪の隙間に、灰色の水面を見た。

 何にもない、ただの水の世界。
 あの場所には、何があった?
 見覚えのある、王城の塔と教会の鐘楼だけが、生えていた。墓標のように。その影が、水面に映ってゆらゆら揺れる。ああ……

  ――……ああ!

 叫んだはずの声は、音にならなかった。

 鐘楼が、誰もいなくなった街に時を告げる。かつて、そこにあったものを弔うように。終焉を知らせる、はなむけの鐘。


 がさり、と背後で草が動いた。

 息と気配は殺せたのに、震えは止められなかった。

 振り返ると肩越しに、ローゼンダールの騎士がいた。
 驚きに瞠られた、空と同じ色の瞳。
 騎士の手が、剣の柄に伸びる――

 
 良かった――ほっとした。
 抵抗する気はなかった。
 腰に下げていた剣は、帯革ごと流されてた。


 ――黒い制服。

 あの騎士達の仲間?……そう。

 今から、嬲り殺されて、吊るされて、鴉の餌になるんだ――――どこか他人事のように、そう思った。

 頭から爪先まで、目の淵、口の中まで、乾きかけの灰褐色の泥にまみれていた。
 髪も肌も、誇りだった近衛の制服も、この世界も、ぜんぶ灰色――――


 

「カマユー、何か見つけたか?」

 騎士の背後から、声が聞こえた。
 目が合ったまま、空色の瞳は揺らぐ。灰色の世界で、ただそれだけが色を持っていた。

 手が、柄から離れる。

「…………いや、何も。キャリエール卿、もうこの辺は充分探したし。別の場所、行こう」

 そうするか、と応える声。空色の瞳は、迷うみたいに何度か瞬いてから、逸らされた。
 遠ざかってゆく、足音と気配。


 なんで? 

 、知ってるんでしょう?

 なのに、見逃すの?


 見上げた空も、地上と同じ灰色だった。

 死肉を求めて舞う、飢えた鴉達が目に入った。
 なら――――ここでこのまま、動けなくなるまでじっとしていればいい。
 泥と草の上に、身体を横たえた。



 ――もし会えたら、伝えてくれ。

 唐突に、声が過った。

「この銀髪、大昔に実在した戦闘に長けた少数民族の血を引く証なんだって。曾祖父の瞳、ガーネットみたいな紅だったらしい。亡くなった祖母の口癖」

 同期が集まる訓練所の食堂で、同じメニューをつつきながら呟いた。そりゃすげえはずだわ、と言われたっけ。
 
 時を経るうち血は薄れて、私は紅の虹彩は受け継がなかった。でも、力だけは継いだ。

 訓練期間の終わり、大方の予想通り、私は近衛に抜擢された。

 憧れていた白地に金の刺繍の制服に袖を通した時、未来はぜんぶ輝いていた。
 
 それからしばらくして、ローゼンダールと開戦した。

 ――負けるかよ。あんな平和ボケした国に。こっちの戦力の方がずっと高い。

 ――きっとすぐに終わる。落ち着いたら、またみんなで集まろう。


 みんなは、生き残れたかな。

 私は、ぜんぶ失敗した。


 ――――再会した時、プファウも、レオンも、私も、本当の名は捨てた。

 もう二度と、誰にも呼ばれない。



「――アナベルさん、お疲れじゃありません?」

 明るい声に、灰色の思考から呼び戻され、はっと顔を上げる。
 隣を歩くトマス・カマユーが、こちらを見下ろしていた。私より頭一つ分、背が高い。首を曲げて、その顔を見上げる。

 整った顔立ちに、さらりと金の髪がかかってる。 
 見た目の印象を裏切らない穏やかな声で、彼は言う。

「この店、ご存知ですか? 新しく二号店ができたみたいですけど、人気みたいですね」

 耳がほんのり赤い。彼の視線の先に、『スノーホワイト』と書かれた真鍮製の看板がかかる店があった。

 苺を使ったケーキや焼き菓子が入ったショーケース。その前で順番を待つ、パステルカラーのドレス姿。友人同士や恋人同士。どの顔も眩しく笑ってる。きらきらきらきら。

 へえ、と曖昧に頷くと、嬉しそうに目を細める。そうすると垂れ目がちな目尻に少し、皺が入った。

「アナベルさん、甘いものお好きですか? 良かったら、寄って行きませんか?」

 俺おごりますから、と少し緊張した声が続ける。

 きらきらきらきら。

 虹のように、鮮やかに笑う。

 ――いいなあ……。

「……カマユー卿」

「はい」

 見上げて目を合わせると、ぱっと嬉しそうに、優しい顔を輝かせる。

 きらきらきらきら。

 私のこと好きなの?

 何にも知らないくせに。

 本当の名前すら知らないくせに。

「私、お慕いしている方がいます。ロンサール伯爵様です」

 ――いいなあ。

 勝った方は、幸せそうに笑えて――――。


 ――その笑顔さえあれば、何もいらない。命だって捨てられる。そんな強い思いを抱いたことが、あるだろうか。


 私には、あった。
 

 続けて、感情を取り払った冷たい声で言う。

「――他の人は一切、目に入りませんから」


 冗談じゃない。子犬を飼う気分になんか、なるわけない。

 うんざりするほどお人好しの空色の瞳は見開かれて、眩しい笑顔のまま固まった。



 




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