屋根裏の魔女、恋を忍ぶ

如月 安

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第二部

第26話 すばらしい計画ー02

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 ちらっと掛け時計を見上げて、「ではそろそろ」とソファから腰を上げる。

「――お仕事の邪魔になるといけませんから、散歩でもして参ります」

 にこやかに言うと、ランブラーとロブ卿は全てを察した顔で頷いた。

「帰りは馬車で一緒に帰ろう。王宮の庭は見所が多いから、ゆっくり散歩してくるといいよ」

「特に、演習場に近い薔薇庭園のあたりがお薦めですよ」

 共犯者の笑みを浮かべたランブラーとロブ卿が、いってらっしゃいと手を振ってくれる。

「ええっ!」「そんな!」「邪魔だなんて!「ずうーっとここにいらしてください!」 
 口々に仰ってくださる親切な王宮政務官の皆様に丁重に礼を述べて、わたしとアナベルは王宮政務室がある西側のファザードを後にした。
 なにしろ、時間があまりない。

 ガーデンパーティーのときに場所を聞いておいて良かった。ランブラーの政務室と目と鼻の先にあるという騎士団演習場――すなわち本来の目的地へと足を進める。

  ――声援を送りたいだなんて、欲張るつもりはない。

 後ろの方から、こっそり様子を見られるだけでいい。いやむしろ、気づかれる前に帰りたい。
 目立つのはもってのほか。手に持っていた黒いレース付きの帽子を目深に被る。ドレスの色も紺色……。

 ――あ、まずい。緊張してきた。

 もしウェイン卿に気付かれたら? わたしの顏を見て、「げっ、最悪」って顔をされたら? 嫌そーに、頬が引き攣っていたら?

 あ、ダメだ……立ち直れない。

 今ならまだ間に合う。

 ――……やっぱり、引き返す?

 運河沿いに植えられたプラタナスの木陰を並んで歩きながら、アナベルに尋ねる。

「アナベルはどう思う……? やっぱり、これは良くないかしら……?」

 アナベルは、いいえ、と笑いながら、一歩引いてわたしの全身を眺める。

「本物の間諜も舌を巻くほどのお忍びぶりです。まず、気付かれないでしょう――」

 もっとも――と微苦笑を浮かべて、優しい口調で続ける。

「正々堂々、正面から行かれて声援を送っても、何の問題もないと思いますけどね」

 わたしは神妙に眉をひそめて首を振る。この問題に関しては、皆の反応はポジティブがすぎる。
 
「いえ、とんでもない。気づかれて迷惑がられる前に帰るつもり」

 肩を落として言うと、ふふっ、とアナベルは虹のように優しく笑う。

「ウェイン卿が迷惑と思うわけありません。甘く蕩けるような――というのは、令嬢を見つめるあの眼差しのことですよ」

 アナベルはブランシュと同じような台詞で励まそうとしてくれた。彼女は本当、心の優しい出来た人である。
 人の世の暖かさに胸をつまされながら、辺りを見回す。

 今日の王宮の庭は、公開演習の見学に訪れたと思われる令嬢達で賑わっていた。
 昼らしく艶を押さえつつ、上品で華やかなパステルカラーのデイドレス。美しくセットされた髪の上に花のように咲いた帽子や日傘が、演習場に向かって移動して行く。
 彼女たちの顔は嬉しそうに輝いていて、目にするだけで心が浮き立った。 
 きっと誰もが、今日を楽しみにしていたんだろう。
 
 ――せっかく晴れてくれたのに、さっきは雨や曇りの方がいいなんて思って、ごめんなさい。

 抜けるような青空に向かって、心の中で呟く。

 王宮の横を流れる運河の水は、空を映して透き通っていた。堀の役目も果たしている運河は、柵から水面まで高さがあるのに、きらきら光る水底の砂利まで見通せた。なかなか深そうだ。

 聳え立つ壮麗な王宮。流れる運河添いに植えられたプラタナスの並木。景色を眺めながら、アナベルは感慨深そうな表情を浮かべる。

「綺麗ねえ……」

 声をかけると、アナベルはそっと目を細める。

「はい……ローゼンダールの王宮をこうしてのんびり歩く日がくるなんて、少し前は思いもしませんでした」

「わたしも……まさか、自分がこんな場所を歩いてるなんて、半年前には思いもしなかった」

 色づきはじめたプラタナスの葉を揺らす秋風に乗って届く、子どもの笑い声。公開演習を観に来た、既婚の騎士の子だろう。和む。

「子どもの笑い声って、聞くと、おかしくもないのにつられて笑いたくならない?」

 のんびり言うと、それは確かに、とアナベルは海色の瞳を細めて深く頷く。

「わたしの国では、音楽の神が創った音の中でもっとも素晴らしい音楽は子どもの笑い声だ、って云われてました」

 なるほどねーと頷くと、プラタナスの葉がさらさらとそよぎ、木々の精までその音に喜んでいるように見えた。

 声のする方に視線を向けて――身を忍ばせていることも忘れて声をあげた。

「セシリア様……!」

 笑い声の主は、クリス、エバ、トラヴィスだった。
 ロイ・カント前副団長の奥様、セシリアの姿を少し離れた場所にみつけて、思わず手を上げて振る。

 こちらに気づいたクリスとエバと、ぱっと目が合った。
 
「あ、あのときのお姉ちゃん!?」
「あっ! おねえちゃん?」

 三人そろって一目散に駆けてきて、それぞれこの手を握ってくれる。小さくて柔らかなふくふくしさに、自然と笑みが溢れる。

 セシリアが慌てたように小走りで近付いてきた。

「こら、おやめなさい。伯爵令嬢様ですよ。ちゃんとご挨拶なさい」

「こんにちは! ねえ、おねえちゃん、ぼくねぇ、騎士になることにしたの。どうしてだとおもう?  それはね、パパとおなじくらいつよいって、みんなにいわれるから! それでね、けんのふりかたおぼえたの――みてみて、こうでしょ――」

「ねえねえ、ねえねえ、エバはね、プリンセスになるの。それもふつうのプリンセスじゃなくってね、まほうとけんがつかえるプリンセス。だってね、まほうつかいも、きしもすてきだけど、プリンセスもすてきでしょう。きょうのドレスはピンクでね、ピンクは――」

「あっとね、えっとね――」

 たどたどしい言葉が、小さな口から次々と飛び出す。
 大人しい印象だった子どもたちは、数か月を経た今、すっかり快活になっていた。ノワゼット公爵邸での暮らしは、子ども達の世界を広げたらしい。

「みんな、すこーし、おしずかに」

 人差し指を唇に当てたセシリアが、子ども達を困ったように、愛おしそうに見やってから、わたしに向かって深く礼をする。

「レディ・リリアーナ、あの……あれからずっと、お会いしたいと思っておりました。あの――その節は、本当に、心から、申し訳ないことを――」

「まあ、いいえ! わたくしの方こそ、その節はありがとうございました。わたくし、セシリア様にお会いできて嬉しいです。その後、お加減はいかがです?」

 礼を返しながら問うと、以前よりも輪郭が和らぎ、顔色も良くなったセシリアは顏を上げた。はにかんだように笑う。

「はい。お陰様で、すっかり良くなりました」
「それは、何よりです」

 そよぐプラタナスの下で、わたしたちは笑い合う。
 セシリアの視線が後ろのアナベルに向いた気がした。

「……あ、彼女はわたしの付き添いの、大事な友人なんです」

「アナベルと申します」

 優美に頭を下げたアナベルに、セシリアが微笑みかける。

「セシリア・カントと申します。お見知りおきくださいね」

 途端、アナベルがはっと息を呑んだような気がした。
 どうかしたのかしら――振り向く前に、セシリアが続ける。

「ウェイン卿の応援に? ご婚約されたんでしょう? おめでとうございます」

「……はい? あー、はい、その……はい。ありがとうございます。ええと、セシリア様も第二騎士団の応援に?」

 忘れかけていたが、わたしは隠密行動中の身の上である。ギクシャクと尋ねると、ええ、とセシリアは柔らかく頷く。

「昔はよく参りましたの。ずいぶん時間が経ったのに、ここは何も変わらなくて……演習場も、並木道も、運河の流れも何もかも、主人がいた頃のまま――時が止まっているみたい……」

 セシリアが懐かしむような眼差しを並木道に向ける。優しい風が吹き抜けて、セシリアの薄茶色の髪を揺らした。

「またゆっくり、お会いできると光栄です。レディ・リリアーナ。そろそろ始まりますわね」

 気を取り直したように明るい口調でセシリアに言われて、開始時間が迫っていることを思い出す。

「はい、わたくしも、またゆっくりお会いしたいです」

「レディ・リリアーナも公開演習に行かれるんでしょう? ご一緒にいかがです?」

 はいぜひ!――と応えかけて、はたと口を閉じる。
 セシリア達の席は、おそらく最前列の家族席。――駄目だ。ウェイン卿にばれてしまう。

「……いえっ、わたくしは、そのー……少し用事があって、遅れて参りますので……」

 そうですか、と柔らかく微笑むセシリアと、もう一度再会を約束して、先に公開演習場に向かう四人の背中を見送る。


「さ、アナベル、見つからないように行くわ……よ……?」

 言いながら振り返る。

 アナベルの顔は、――真っ青だった。



 
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