『愛に狂う香り、愛を選ぶ香り ――離婚から始まる私の香り』

夢窓(ゆめまど)

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オーディン、静かなる最期

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朝の市場に、
まだ日が昇りきらない淡い光が差していた。

街の中央広場。
人々がぼんやりと歩き始める中で――

少女の悲鳴が響いた。


■ 「噴水に……人が……!」

噴水の縁に凭れかかるように倒れた男。
濡れた外套。
水面に映る青白い顔。

――オーディンだった。



市民たちが駆け寄る。

腕を触れても、
胸に触れても、
冷たい。

生きてはいない。



■ 街医師の診断

街医師が呼ばれ、簡易診断が行われた。

彼は首を横に振る。



■ 街医師

「外傷なし。
薬物反応もなし。
……心臓が、止まっている」

淡々とした声。



■ 市民

「病だったのか?」
「昨日まで元気だったぞ……?」
「酔って落ちたのかも」
「けれど服は綺麗なままだ……?」

噴水の水面は静かで、騒ぎを拒んでいるかのようだった。



■ クリスティンへ届く訃報

香水工場の執務室。
クリスティンは書類を整えていた。

そこへ、工場の使用人が震えて駆け込んでくる。



■ 使用人

「クリスティン様……っ!
オーディン様が……街の噴水で……
亡くなられて……!」



空気が凍った。

手から書類が落ちる音が、不自然に大きく響いた。



■ クリスティン

「……え?」

胸の奥が、凍りついたように痛む。

憎んでいた相手。
軽蔑した相手。
それでも――

“死んでほしい”なんて一度も思っていなかった。

彼女の心臓が軋む。



■ ルシオンが駆けつける

クリスティンの腕を取り、支える。



■ ルシオン

「落ち着いて。
……これは、自然死じゃない」

彼の瞳は鋭く光っていた。



■ クリスティン

「外傷も、薬もなかったって……」



ルシオンは深く息を吐き、低く囁く。



■ ルシオン

「心臓まひを“誘発する香り”がある。
黒香師だけが扱える、禁忌の香りが」



クリスティンは息を呑む。

背筋が震えた。



■ クリスティン

「……ジャルディン……?」



ルシオンは答えない。
だが、それが答えだった。



✦ クリスティンの独白

夜になり、
ひとりになった調香室で、
彼女は小さく呟いた。



■ クリスティン

「……オーディン。
あなた、最後の最後で……
やっと、私の敵ではなくなったのに」

涙は出なかった。
ただ胸の奥がひどく痛んだ。



✦ ジャルディンの影

その頃、
白い花が咲く無人の庭園。

風もないのに花が揺れ、
その中に立つひとりの男。

ジャルディンが、ひどく静かに笑っていた。



■ ジャルディン

「……クリスティン。
次は、君を迎えに行くよ」



彼の足元には、
噴水の水滴と同じ香りが、
わずかに残っていた。


心臓まひ香の痕跡

捜査編 × 保護編



■ 工場の“無香室”

クリスティンは、静かな実験室でふるえる手を抑えながら
噴水の水を入れた小瓶を机に置いた。

オーディンが倒れていた噴水の水。
街医師は「異物なし」と言った。
だが、香りは目に見えない。

――香りなら、証拠は残る。

クリスティンは試薬を準備し、深呼吸する。



■ 心臓まひ香(カルディア・サイレンス)の存在

水の表面に試薬を落とす。

すぐに、淡い紫色の輪が広がった。

クリスティンの表情が凍る。



■ クリスティン

「……出たわ。
“カルディア・サイレンス”。
黒香師だけが使える、心臓を止める香り……」

その香りは無臭。
だからこそ、最も恐ろしい。

肌から吸収する“気配だけの香り”。
心臓の鼓動を徐々に弱め、最後は静かに止める毒。

これだ。
これが、オーディンの死因だ――。



■ クリスティン

(ジャルディン……あなた、本当に……
私の周りの人を殺すつもりなの?)

震える胸を押さえた瞬間――。



■ ドアが勢いよく開く

ルシオンが飛び込んできた。

外の気配に敏い男だが、今は明らかに焦っている。



■ ルシオン

「クリスティン! その水に触れたのか!?」



■ クリスティン

「いえ、ちゃんと手袋を――」



ルシオンは一歩で距離を詰め、
クリスティンの腕を握って確認する。

その手は強く震えていた。
“彼が本気で動揺している”のがわかる。



■ ルシオン

「君も狙われている」



クリスティンの心臓が跳ねた。



■ クリスティン

「……私が?」



■ ルシオン

「あれは“無差別の香り”じゃない。
ジャルディンは、君の周囲の人間を排除している。
次は……間違いなく君だ」

ルシオンの声は低く、怒りを押し殺していた。



■ クリスティン

「でも……戦わなきゃ。
私が逃げたら、もっと誰かが死ぬわ」



ルシオンの瞳が揺れた。
その揺らぎには、恐怖と怒りと、
クリスティンへの深い心配が混じっていた。



■ ルシオン

「戦う前に……守らせてほしい。
君が死んだら、終わりなんだよ」



クリスティンは驚き、言葉を失う。
こんな言い方を彼がするのは、初めてだった。



■ ルシオン

「城の香防室(アロマ・シェルター)に移動する。
あそこなら、どんな香りも通さない。
研究も、そこですればいい」



■ クリスティン

「私ひとりのために……?」



ルシオンは短く頷く。



■ ルシオン

「ジャルディンは狂っている。
君を“奪う”と決めた人間の理性は、もう戻らない。
……君だけには、同じ目に遭わせたくない」



その声には、
“これ以上失いたくない”という確かな想いがあった。

クリスティンは胸の奥が熱くなるのを感じた。



■ クリスティン

「……ありがとう、ルシオン。
でも、私は逃げるだけの女じゃない。
あなたの助けは必要。でも、私は戦う」



ルシオンは静かに目を伏せ、
次いで彼女をまっすぐに見つめた。



■ ルシオン

「いいだろう。
戦うなら――
俺が君の“盾”になる」



その宣言は、
誓いのように響いた。


密室のアロマ・シェルター

恋と狂気と、理解不能な愛の話



■ 香防室(アロマ・シェルター)

白い石の部屋。
空気の揺らぎすら遮断される、香り絶対遮断空間。

クリスティンは椅子に腰を下ろしながら、
深く息を吐いた。

ようやく、ジャルディンの香りが届かない場所――。

ルシオンは護衛ではなく、すぐ近くの席に座る。
距離が近い。
密室。
逃げ場なし。

そんな中で――

クリスティンのひと言が爆弾のように落ちた。



■ クリスティン

「……ねぇ。
ジャルディンの身分って、ほんと謎よね?」

ルシオン
「…………」

クリスティン
「だって平民でしょ?
私と結婚なんてできないのに、なんであんなに固執するのかしら?」



ルシオンは、
椅子から転げ落ちそうなくらい、勢いよく振り返った。



■ ルシオン

「――はっ!?
そこ!? そこが疑問なのか!?」



■ クリスティン

「え? だって……身分違いなのに?」



ルシオンは額を押さえる。
いや、押さえても抑えきれない。



■ ルシオン

「……クリスティン。
“愛”ってそういうものじゃないんだが?」



■ クリスティン

「よくわからないわ。
身分が違えば無理でしょ?」

ルシオン
「その理屈をジャルディンにぶつけたら……
あいつ、たぶん泣くぞ?」



クリスティンは首をかしげた。



■ クリスティン

「泣くの?
なんで?」



ルシオンは椅子に崩れ落ち、
しばらく天井を仰いでいた。

その姿が、疲れ切った護衛というより、
“恋する男が恋愛オンチを相手にしている姿”にしか見えない。



■ ルシオン

「クリスティン、聞くが……
“鈍い”って言われたこと、ある?」



■ クリスティン

「ないと思うけど?」



ルシオンは、両手で顔を抱えた。



■ ルシオン

「……そうだろうな。
本人だけが気づかないタイプだ」



■ クリスティン

「どういう意味?」



ルシオンはゆっくり顔を上げた。
その瞳は、普段のような冷静さではなく、
どこか焦りすら感じられる光を帯びている。



■ ルシオン

「ジャルディンは……
“身分を理由に諦める”ような男じゃない。
むしろ、身分差があるほど燃えるタイプだ」



■ クリスティン

「……燃える? なんで?」



ルシオンは拳を握る。



■ ルシオン

「お前が“届かない存在”だからだよ。
手に入らないほど、狂う。
あいつの愛は……そういう種類なんだ」



クリスティンの表情が揺れた。
ゾッとしたような、しかしどこか理解しようとするような微妙な色。



■ クリスティン

「私は……ただの貴族令嬢よ。
そんなに価値ないわ」



ルシオンの声が、低く震えた。



■ ルシオン

「クリスティン。
君は、自分の魅力をわかってない」



クリスティンは驚いて彼を見た。

近い。
ルシオンの金の瞳は、ほとんど触れそうな距離。

密室。
静寂。
二人だけの呼吸。



■ ルシオン

「だからジャルディンも狂うし……
俺だって、困ってる」



■ クリスティン

「……ルシオン?」



肩に触れられる。
その指先は優しいのに、どこか必死だった。



■ ルシオン

「君を守るのは任務じゃない。
俺の意思だ。
……もう“誰にも奪わせたくない”」



クリスティンの心臓が大きく跳ねた。

外の狂気も、身分差も何も届かない密室で――
二人の距離だけが、突然近づいた。


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