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しおりを挟むとある国。とある貴族の家の年頃の令嬢の部屋のはずが、並べられているぬいぐるみたちは手術を受けたような跡が見られた。
そこに毎日ではないが、この日も数日置きに暴れ回っている令嬢がいた。暴れ回ったせいで、朝から鏡とにらめっこして整えている髪が乱れに乱れて、メデューサのようにうねっていたが、そんなの気にしている余裕は彼女にはない。物凄い醜態のはずだが、やっている本人にそのつもりはないようだ。彼女にとって、この部屋でやること全てが、ストレス発散でしかなかった。
発散させるだけならいい。誰かを怪我させることはしたことがない。でも、問題は別にあった。ここの部屋の主は彼女ではない。ぬいぐるみが毎回犠牲になっているが、その持ち主も彼女ではない。暴れまわっている彼女の部屋にぬいぐるみは一つもない。
暴れ回った女性の手にしっかり握られているお気に入りのぬいぐるみが、かろうじてご臨終していなさそうだが、瀕死に見える。それを見ているしかできなかった部屋の主が泣きたくなっていたが、そのことを言葉にするタイミングではない。
したら、もっと面倒なことになる。それよりも、お気に入りのぬいぐるみを出しっぱなしにしていたことを心の中で嘆いた。気を抜くといつもそうだ。買ったまま置いておくとボロボロになるのだ。
だから、いつも大事に片付けているのに。癒やされたくて抱っこしている時に押しかけて来て、奪われては無残なことになるのだ。
「あんな女に絶対に渡したくない」
「……」
この部屋の主であるオルテンシア・バロワンは、暴れまわっていた姉のエルマンガルド・バロワンにそんなことを言うのを聞いていた。姉は息を切らして、血走った目をして暴れて八つ当たりを受けたぬいぐるみが、どんな振り回し方をしたら、そうなるのかという状態になっているのを持っている姉の姿は、中々恐ろしい。暗闇でライトアップされたら、腰を抜かす者が続出しそうなほど、迫力満点だ。部屋の中は、ぬいぐるみの中身が散乱していて、掃除をしなくてはならない。
この姉が、自分の部屋で暴れない理由はそれが嫌なのかもしれない。こうして、オルテンシアの部屋でストレスを発散させるのだ。自分の部屋では決して暴れない。決まって妹の部屋で、妹のお気に入りのものを片手に暴れるのだ。やめてほしい。
ぬいぐるみの前で、オルテンシアのお気に入りのクッションやらドレスに八つ当たりをしていた。必ずオルテンシアがいる時に目の前で暴れるのだ。やめてほしい。
だが、オルテンシアはこんな風になる姉に慣れてしまってもいた。物心がついた頃から見慣れていた。そう、オルテンシアが物心つく前からオルテンシアのお気に入りのものに八つ当たりしていて、誰がやっているかをこの家で知らない者はいない。
それをどうにかしようと周りがエルマンガルドに怒ったり、妥協案を提示したりしたが、一考には直らなかった。これをやらないとエルマンガルドは、鬱憤が溜まりすぎて他所で暴れるのだ。それも、この家で暴れるよりも酷かった。
エルマンガルドは小さい頃にお茶会で大暴れしたことがあるらしく、同じくらいの子供たちはその光景が目に焼き付いてしまったらしく、しばらくは悪夢に魘されることになった。そして、そんなことをやらかしたことのあるエルマンガルドは、最近までお茶会には出禁になっていた。
そうとも知らず、オルテンシアはお茶会に出席していたのだが、母と出かけているのに姉が気づいてしまった時の暴れっぷりは酷かった。
そのため、出禁のままにしておけなくなったようなものだが、昔を覚えているエルマンガルドの同年代たちは悪夢をすっかりただの夢だったと認識していた。夢ではなくて、現実だと認識しているのは僅かで、夫人たちは戦々恐々としていた。
だが、当の本人のエルマンガルドだけが、暴れまわったことを全く覚えていないようで、元からお茶会には妹よりも出ていたかのようにしたのは、すぐだった。
オルテンシアにあれこれ教えようとしていたが、それが酷すぎて最近のことを何も知らないのは丸わかりだったりするが、オルテンシアはそれを黙って聞いていた。
それに気づいて笑おうとしていた令嬢は、夫人に色々言われていた。
「でも、お母様」
「あなたは、黙っていなさい」
夫人は終始、エルマンガルドの顔色を見ていたが、次のお茶会からは顔を合わせなくなった。
まぁ、そんな感じでオルテンシアを見かけなくなった令嬢と夫人は多かったが、オルテンシアと母を呼ぶともれなくエルマンガルドもついて来るとわかっても、呼ばないという選択肢はなかったようだ。
それこそ、相手からしたら究極の選択のようなもののようだが、オルテンシアとしては姉と一緒に呼ばれても全く嬉しくないから、家に居たいのだが、そうなると母がエルマンガルドの相手をしなくてはならなくなる。1人でお茶会になんて行かせられるはずがない。
そうなると父は、母が心配になるようだ。何かあると父は書斎にオルテンシアを呼んだ。
「オルテンシア」
「……お茶会ですか?」
「そうだ。出てくれるか?」
母はオルテンシアに無理することはないと言ってくれているが、父はオルテンシアに命令はしない。ただ、じっと見つめて来て、こうして頼むようになった。
それでも、お茶会はまだマシだった。そこに姉がここまで暴れる気の合わない令嬢がいなければ、どうということはなかった。
オルテンシアは、姉のことを怖いと思うことはないが、とてつもなく面倒くさいと思っていた。
姉の言う“あんな女”とは、姉の親友のレティシア・アロンのことだ。彼女が、一緒のお茶会に呼ばれることは滅多にない。
おかしく聞こえるが、親友同士だとエルマンガルドとレティシアは至るところで吹聴している。だが、エルマンガルドの方が親友だとは、この通りに微塵も思っていない。
レティシアの方の本性までオルテンシアは知らないが、そっくりだったら人間不信になりそうだ。
そして、渡したくないと言っているのはキルペリク・オードランという名前の子息のことで婚約者だったりする。
「絶対に渡しちゃ駄目よ。オルテンシア」
「……」
そう、婚約しているのは、姉のエルマンガルドではなくて、妹のオルテンシアだったりする。
昨日まで、とんでもない子息とオルテンシアが婚約しているとエルマンガルドは言っていて、さっさと解消してもらえとオルテンシアに言っていたというのに。今日になって、オルテンシアとの婚約が解消なり破棄になったら、レティシアがキルペリクと婚約しそうだと耳にしたらしく、まるっきり違うことを言われて、げんなりしていた。
この姉はレティシアが絡むといつもこうなのだ。面倒くさすぎて迷惑だ。妹ですら、迷惑しているのだ。レティシアも、迷惑しているに決まっている。周りもそうだ。このエルマンガルドの妹というだけで、遠巻きに見られている。
それすら、この人は気づいていない。そんなのが、オルテンシアの姉なのだ。
「聞いてるの?」
「でも、もう、お父様が解消の手続きをしてくれているわ。お姉様が昨日、後押ししてくれたから、今日中にはしてくれるって言っていたのを聞いていたでしょ?」
「っ、大変だわ! お父様に連絡しなきゃ!!」
「……」
オルテンシアは、それは困ると思った。やっと婚約を解消できたのだ。もう、揉めたくない。そこで、とっさに出たのは……。
「なら、お姉様が婚約したいって、お父様に言ってみたら?」
散々、酷い子息がいるものだと言っていたエルマンガルドが、オルテンシアにそんなことを言われるとは思っていなかった。
「それだわ!」
「っ、!?」
オルテンシアの言葉にエルマンガルドは、急にウキウキしていた。ぽいっとぬいぐるみだったそれを投げ捨てて、オルテンシアの部屋から居なくなった。
「……」
何と言うか。レティシアに負けたくないからと言って、そんなことに必死になる姉にオルテンシアは、ため息しか出なかった。
こんなのが姉なのだ。居なくてもよかった。
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