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しおりを挟むオルテンシアは、お気に入りだったそれを拾い上げて立ち尽くしていた。
また、姉の犠牲になったぬいぐるみが増えてしまった。何をどう振り回したら、こんなことになるのだろうか。
最近、買ってもらったばかりだったが、手触りがよくて落ち着くので撫でていたのを取り上げられるとは思わなかった。
そもそも、ノックもなしに入って来るのもやめてほしいが全く直りそうもない。
「オルテンシア。疲れた顔をして……、またやったのか?」
扉が開いたままになっているのに気づいた兄が、オルテンシアに声をかけて来た。
そして、何とも言えない顔をしている妹の手元を見て眉をしかめた。こんなことをやるのは、エルマンガルドしかいない。
兄のマクシミリアン・バロワンは、部屋の中を見渡して更に眉をしかめた。ぬいぐるみの中身がぶちまけられていたが、他に壊れているものは見当たらなくとも、オルテンシアのお気に入りだったはずのそれが無残な状態になっているのに静かに怒っていた。
オルテンシアが抱きかかえられるくらいの大きさのぬいぐるみの中身だ。それなりに詰まっていた中身が、飛び散っていてマクシミリアンが入って来ただけでは、宙を舞っていた。
でも、それをオルテンシアは俯いていて見ていなかった。ただ、先ほどのことをぽつりと呟いた。
「……お姉様が、キルペリクと婚約するって言い出したんです」
「は? 昨日は、お前に加勢して婚約解消させてやれと父上に物申していたのは、エルマンガルドだっただろ?」
「そうなんですけど」
「……なんだ。自分が婚約したくて、お前の婚約を解消させたのか」
「……」
マクシミリアンは、何やら誤解してしまっていた。オルテンシアは、それをちゃんと説明する気力がなかった。
つい先日、兄に買ってもらったぬいぐるみだった。 それを悲しげに見つめるのに忙しかった。
そもそも、あの婚約者をオルテンシアに選んだのも、エルマンガルドが嫉妬して暴れることにならないようにそこそこの子息を選んだはずだった。
それが、そこそこどころではなかったようで、オルテンシアが姉のこと以上に疲れ果ててしまった相手が、婚約者のことだった。
それを知ったエルマンガルドが、オルテンシアを擁護していたのも、妹がそんなのと婚約しているのが恥ずかしいと思ってのことだったが、あっさりと翻したことで、マクシミリアンからは完全に誤解されることになった。
「オルテンシア様」
「……直してあげられる?」
「手術が上手くいくかは何とも……」
ぬいぐるみが酷いことになって、それをできるだけ元通りに直そうとしてくれるメイドは、この家には何人もいた。
こうして、悲しげにしても泣いたところを見たことはなかった。幼い頃から同じような目にあってきているオルテンシアは、それで泣きわめくことをしたことがなかった。
それをメイドたちは、ずっと見てきた。それをやめさせることが困難なのは見ていればわかるが、それでも好き勝手なことをさせ続けることに何とも言えない顔をよくしていた。この家で、オルテンシアのことを心配する使用人は多かった。
兄としては、すぐにでも新しいのを買ってやると言いたいところだが、オルテンシアは傷だらけになっても、手術を終えたぬいぐるみの方をより大事にした。
傷だらけになったぬいぐるみには、二次被害はない。新しく買ってもらったものにあんなことをするのだ。絶対にわざとだ。それをオルテンシアは自分が出しっぱなしにしたせいや持っているのを見つけたせいだと落ち込むのはいつものことだった。
そのため、メイドにマクシミリアンは目配せして片付けもあるからとオルテンシアを部屋から連れ出すことしかできなかった。
父がそんなことできるわけないだろうと言ってくれるものと思っていたが、エルマンガルド本人はこの家の子供の中でも言葉巧みに父に話せていると思っていた。本当のところは、暴れまわることになるのは目に見えている。
それが父は怖いのではない。それで、オルテンシアや妻が怪我をすることになるのが怖いのだ。たが、オルテンシアは娘よりも妻の方にベクトルが傾いていると思っていたりするが、何にせよ。エルマンガルドの暴れっぷりを止めきれないと思っているのは明らかだった。
あっという間にエルマンガルドがキルペリクの婚約者になっていた。それは、驚くほど早くて、その早さにオルテンシアは首を傾げずにはいられなかった。
レティシアの家からも、キルペリクの家に婚約の打診があったら迷いなく、そちらを選んでいたはずだ。
元婚約者とその両親は、そういう人たちだ。身をもって知っているオルテンシアは、それが気になっていたがエルマンガルドはレティシアに取られなかったことにご機嫌だった。
「え? 留学ですか?」
「そうだ」
「……なぜ、急に?」
父から呼び出されたオルテンシアは、またお茶会に母と姉と一緒に行かないかと言われると思っていた。
でも、父はオルテンシアが予期していないことを言ってきて、それに首を傾げていた。
「婚約が解消になって、元婚約者がエルマンガルドと婚約したんだ。どこにいても、この国にいたら色々言われるだろうからな」
「でも、私がいなくなったら……」
「エルマンガルドには婚約者もいるんだ。婚約者に任せる」
「……」
そこは、父親として自分が何とかすると言うところではないかとオルテンシアは思ったが、言葉にしなかった。
ただ、姉が浮かれていて、親友に勝ったと喜んでいる今なら、オルテンシアが留学しても気にもとめないかもしれない。
まぁ、どう反応するかを見てからにしようとオルテンシアが、エルマンガルドに留学しようかと思っていると話すことにした。それこそ、聞いていないと言われるよりは、言ったと伝えた方がまだマシだと思ってのことだ。
「あら、いいんじゃない? 婚約が解消されて、私が婚約者を取っちゃったようなものだし、周りにあれこれ言われるのは、あなただもの」
「……」
どう考えても、この状況ならあれこれ言われるのは姉の方だと思っていたが、オルテンシアはこれまた言葉にしなかった。
どうにも、自分に関するのは良い話題のみで、悪く言われるのは周りとエルマンガルドは思っているようだ。わかりやすいようで、どんな割り振りをしているのかがわからなかったが、こんなことを言っているなら大丈夫だとなって、オルテンシアは隣国に留学することにした。
でも、留学を父から振られて、深く考えなかったわけではない。これまで、母を優先していて、オルテンシアなことを蔑ろにしてきた人だ。
エルマンガルドの婚約者に任せると言っていたが、オルテンシアは何かありそうだと思っていた。だが、留学先のことで、どこにするかと聞かれていないのに一択のように留学先を決められているのを見て、妙な胸騒ぎを覚えてしまった。
だから、留学先について父から詳しく言われていないのもあり、別の留学先に変更したが、それについてとやかく言われることはなかった。
「……気にしすぎたかな」
ただ、父親としてオルテンシアのためにしてくれたのかもしれないと思い始めた。考えすぎて、父親のやることに優しさなんてないと思ったオルテンシアは、自分が嫌な子になったみたいで、留学先でしばらく沈んでいた。
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