他人の婚約者を誘惑せずにはいられない令嬢に目をつけられましたが、私の婚約者を馬鹿にし過ぎだと思います

珠宮さくら

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ニヴェス・カスティリオーネは、この日、ぼんやりとしていた。この日だけだ。いつもは、こんなにぼんやりしてない。いつもは、いつもは……。

まぁ、うん。あれだ。時々、やらかす程度だ。そう、いつもじゃなくて、時々だ。正確にどのくらいの頻度でやらかしているかをよく覚えていないが。

いや、ほら、そんなのを覚えていて、ずっと落ち込んでいても、負の連鎖が止まらなくなるだけだ。

……まぁ、色々と言い訳すると尽きなくなるが、ニヴェスがこの日、ぼんやりしていたのは、具合が悪いわけではない。

だが、ぼーっとしているのを周りにあれこれ言われるたび、具合がいまいちだけど大したことないと答えていた。嘘ついて、ごめんなさいとニヴェスは、何度か思っていた。そのうち、それすら忘れたが。

本当のことを言いたくなかっただけだ。具合がいまいちだなんて言ったのは、最近ハマっている小説の新刊を手にしたことが発端だった。

ちょっとだけ。ちょっとだけ読んでやめようとした。休日になったら、一気に読もうと思っていたら、ついつい全部を読んでしまっていた。それこそ、シリーズで一番面白かった。発売が延期になって暴れたが、この本を読んで暴れた自分に色々言ってやりたくなったほどだ。

それだけで止まらず、これまでのシリーズを読み返したくなってしまって、夜更かしして全部を読んでしまったのだ。あの本を読んだ者ならわかるはずだ。

ニヴェスは、至福の時を満喫した。たとえ、束の間でも至福だった。後悔は、していない。後々、後悔が渋滞を起こすほど押し寄せて来るとは思いもしなかったが。そうなるまでは、至福だった。

そう、本来はこの日にこんなことをするはずではなかった。予定がグダグダになるのは、結構いつものことだが、ニヴェスはそれを都合よく忘れている。一々覚えたら、月の何日落ち込むことになるか。

次の日に普通に授業があることをすっかり忘れていなければ。読み返すのは、休日の前日まで待とうと思っていたのに我慢できなかったのは、ニヴェスだ。

そんな方向にさわりだけで済むとは、欠片も予測していなかったのだ。そのため、ついつい新刊を全部読んでしまい、これまでのシリーズを読み返したくなったのを止められなくなってしまったのだ。ニヴェスは、自分がどんな性格をしているかを把握しきれていなかった。

でも、読み返すのはとても楽しかった。誰かと語り合いたいが、今はそれよりもとにかく寝たい。

授業で眠れるようなのがあればよかったが、それもなかった。頑張って授業を受けたか、寝不足の頭では右から左に授業の内容が抜けていっただけなような気がする。

あまりにぼんやりしているから、具合が悪いと思われて大変だった。医務室に行ったら1日中寝ていそうで、ニヴェスが医務室で爆睡していたと噂になりかねないため、それもできなかった。

寝たら、寝汚く起きない自信しかなかったのだ。そこは意地で起きていた。変な意地のために頑張っていた。他の人からしたら、何で、そっちを頑張るの??となるところだが、ニヴェスにも言い分があった。

大した言い分ではなく聞こえるが、ニヴェスにとってはかなり重要なことだった。婚約したばかりのニヴェスには、そんなことをして変な噂がなされて、それが婚約者の耳に入ったら恥ずかしくて生きていけない。そう思ってのことだ。寝不足で、ニヴェスがおかしなことをしているとは思っていなかった。

でも、どんなに頑張っても眠気に贖うことはできそうもなかった。そもそも、そんなことをしているニヴェスに問題しかなかったが、本人は気づいていなかった。

そんな時だった。不意に後ろからニヴェスは声をかけられたのだ。

その日、具合うんねん以外では初めて全く関係ないことを聞かれた。


「ねぇ、ニヴェス。婚約者できたんだって?」
「……」
「どの人?」
「……」


ぼーっとしていたニヴェスは、聞かれるままに指さしていた。誰に話しかけられているかを深く考えず、いつも一緒にいる子息たちが見えたのもあり、きっとあの辺にいるはずだと思って、指を差した。

それより、今日は早く帰って休みたい。何なら帰りの馬車の中で爆睡したい。そんなことが頭の大半を占めていた。


「へぇー、格好いい人と婚約したのね」
「……」


そんなことが耳に入って来た。それにニヴェスは、思わず、格好よかったっけ? あ、お世辞か。ぼんやりする頭で、そんなことを思った。婚約者のことを貶してるつもりも、馬鹿にしているつもりもない。

ニヴェスの婚約者は格好いいというより、可愛らしいところが多々ある方だ。そう言うと怒るが、ニヴェスよりも年下だったりするため、可愛いところがまだある。それだけだ。

そんな子息のことをニヴェスの妹と婚約したら丁度いいと思ったのは、ニヴェスだけでなく両親もだった。

それなのに妹が……。


「私より可愛い婚約者なんて嫌よ!」
「っ!?」


そんなことを子息の前で平然と言ったのだ。いや、ニヴェスも思ってしまったが言葉にしなかった。

妹のその言葉を両親よりも先にフォローすべく、あれこれニヴェスが言っていたら、後日思いもしないことを両親がニヴェスに言ってきた。


「え? 私と婚約したい……?」
「そうだ。お前が、必死になって、フォローしていたのに感激したそうだ」
「感激……?」


されることを言った記憶はない。必死すぎて全く覚えていない。

そもそも、フォローされていたのに感激するって、どんな子息なのだろうか。可愛い方だと思っていたが、まじまじと見ていなかった。妹のやらかしたことに色々必死になっていたから、覚えていなかった。

子息のみならず、彼の家族も何やら感激しているようだが、何度も言う。ニヴェスは、全く覚えていない。何なら、次に婚約となってから見た彼の可愛さに隣に並ぶのが辛いと思ってしまったのは、内緒だ。

ただ、いつも心ない言葉を吐く妹に気が気じゃなかった。それにしても、毎回毎回よくやらかしてくれる。

その度、ニヴェスは両親が絶句している間にフォローしてしまうのが癖になっていた。今回は、そのせいで、こんなことになったのだ。

だというのに妹は……。


「あら、お姉様。よかったじゃない」
「……」
「自分より可愛い婚約者は、お嫌じゃないんでしょ?」
「……」


ニタニタして、嫌味なことを言っている妹に殺意が芽生えた。イラッとしたが、それもいつものことだ。だが、何も言わなかった。

そんな妹が、ニヴェスと婚約した子息に散々なことを言ったことが知れ渡ったのも、それから間もなくのことだった。

そのため、学園で2番目に婚約したくないと思われるまでになったのも、すぐだった。

ニヴェスが、それを広めたわけではない。流石に妹にそんなことしない。どんなに嫌な子だなと思っても、殺意を覚えるレベルでも、ニヴェスはやる気はなかった。やったのがバレたら、最悪すぎる。妹を気遣ったからではない。己を気遣って、そっちの心配をしただけだ。自分の身が可愛かっただけだ。

そのため、妹にそんなことをしたのは、ニヴェスではなくて、ニヴェスの婚約者の姉妹が、彼から聞いて広めたようだ。そんな彼の姉妹たちにニヴェスは好かれている。婚約者が、感激した内容を聞いたかららしい。

申し訳ないが、ニヴェスは感激した内容を一切覚えていない。もはや、婚約者が盛って伝えている気がしてならない。

だから、大歓迎されても何とも言えない顔しかできなかった。それが、そんな大したことしてないようにあちらからは見えたようだ。

誤解でしかない。もう何をしても好感が上がる仕様になっているかのようだった。

彼の両親も、姉妹たちも、あちらの家にニヴェスが行くと嬉しそうにされるが、申し訳ない気持ちを持っていることには全く気づいていなかったりする。

ある種の詐欺じゃないかとニヴェスは思っている。それこそ、ニヴェスだけが悪いわけではないはずだ。まぁ、婚約者の家族は婚約者以外、面白がってる気がしなくもないが……。

そんな、ニヴェスはぼーっとした頭で、格好いいと言われて、あらぬ方向に思考が向いていた。今考えることは、別のことのはずだが、どうにも眠らないようにするのに必死になりすぎていた。

そんなニヴェスだったが、現実に呼び戻されることになったのは、別の令嬢の声だった。


「ちょっと、ニヴェス。あの女にどの人と婚約したって話したんじゃないわよね?」
「え?」


ふと聞き慣れた幼なじみのマルチェッリーナ・オルランディの声がして、ニヴェスは目を瞬かせた。

婚約者やその家族に見初められたところを思い出していたが、何やら違っていた。そうだ。誰かに婚約者のことを聞かれて指さしたのだと思い出して、ニヴェスはマルチェッリーナを見た。


「あれ? さっきのマルチェッリーナじゃ……?」
「私じゃないわよ。あの女よ」
「っ、まさか、そんな……」


そこで、寝不足だったニヴェスは、辺りをきょろきょろしたが、もうどこにもその令嬢の姿はなかった。

そう、妹が2番目で、ぶっちぎりの1番が先程の令嬢だったりする。

この学園で一番婚約したくない令嬢と思われている。不動の1位が彼女だ。そんな令嬢に聞かれたまま、答えてしまったようだ。幼なじみが声をかけて来たと思い込んで答えてしまったが、そんなんけなかった。

幼なじみがそんなことする必要などないというのに。よく考えればわかるというのにやらかしてしまった。


「どうしよう」
「名前を言ったの?」
「ううん。名前、ど忘れして指さした」


そう、ニヴェスは名前をよくド忘れするのだが、婚約者やその家族の前でやらかしたことはない。知られたら、マルチェッリーナのような顔をされるだろう。今まさに美人な顔が台無しな顔をしている。そうさせたのは、ニヴェスだ。本当に申し訳ない。

流石に妹みたいに馬鹿笑いする者はいないだろう。それこそ、昔からド忘れするニヴェスのことを既に老化現象が見え隠れしていると妹に言われて頭にきたことがあったが、そんなようなことを他所でも平気でやっている。

だから、婚約者にとんでもない暴言を吐いたのをやり返しただけなのだが、それを絶賛されても困る。言った記憶がないなに褒めちぎられても、熱く語られてもわからない。

それにそんなことをしている妹に婚約者ができるわけがない。その辺も、妹は何もわかっていない。いつ気づくことになるのやら。気づいたところで大したことではないと直す気がそもそもなさそうに思えてならない。

そうなったら、姉のせいだとギャーギャー騒がれる気がする。……絶対やるな。

っと、今は妹のことよりニヴェスのことだ。

マルチェッリーナは、呆れた顔をしてニヴェスを見ていた。そんな顔で見られるのは、初めてではない。悲しいかな。結構よくある。

ニヴェスは、幼なじみに目を合わせられずに違う方を向いてしまった。そんなことしても、何も変わらないのだが。


「……あなた、またなの? 婚約者の名前くらい覚えなさいよ。いや、でも、それなら……。ちょっと、ニヴェス。あなたの婚約者、今日、休んでなかった?」
「あ、え、そうだった!? え?? 私、誰を指さしたんだろ……?」


いつも婚約者と一緒にいるグループだったはずだが、それすら定かではない。


「……ニヴェス。聞かれて、あの辺かもって、指さしたことにしときなさい」
「え、でも」
「言葉にしてないんだもの。何とかなるわ。大体、あなたの婚約者なんて、言わなくとも有名になってるようなものだし。知られてない方が奇跡みたいなものよ」
「……まぁ、そうなるのかな」
「それをわざわざ聞いて来たなら、知らないってことよ」
「……」


それで、何とかなっても、他の婚約を台無しにするかもしれない。

ニヴェスは、自分が眠さのあまり、とんでもないことをしたことに頭を抱えたくなった。

もはや強烈な眠気は、どこかに吹き飛んでしまっている。それをありがたく思えない。

それこそ、こんなことをしでかすのなら、無理せずに具合が悪いときに休めばよかったと思っても、後の祭りだった。

この時になり、ニヴェスはようやく後悔した。


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