不死殺しのイドラ

彗星無視

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第3章 断裂眼球

第52話 断裂眼球

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 イドラは左手をナイフに伸ばした。右手に持つマイナスナイフに、ではない。未だ右腰のケースに収まったままの、ただの、ギフトでもなんでもない通常のナイフにだ。
 それを抜き放つと同時に投擲する。一応は顔を狙うものの、利き腕ではないため当てられる自信はさしてない。

「ぬ……ッ、悪あがきを! こんなもの、せいぜい数秒の時間稼ぎだ!」

 野営から魔物殺しまで担うその刃は、レツェリが体を軽く傾けるだけで簡単に避けられる。よしんば当たったとて致命傷には程遠い。

「それが欲しいんだろ。——今だ、ソニアぁあああッ!」

 視界の端。血溜まりを作り、立ち上がれず、瞳からも活力が失せ——それでも虎視眈々と顔だけは向け続けて機会を窺っていた少女へ、イドラは声を張り上げる。

「は……いっ!」

 そうして、最後の力を振り絞り、その天恵が投げ渡された。
 七十センチほどになる、緩く湾曲した、切断力を追求した細身の刀身。風のある海に押し寄せる波濤はとうのような、波打った刃文はもん。その側面、鎬地しのぎじに一本のみ彫られた棒樋ぼうひ
 それは中でも太刀に分類される、一種の日本刀の形をしていた。
 藍色の柄巻に覆われた、その柄をつかみ取る。最悪体のどこかに刺さってでも受け止める覚悟だったが、うまく手に収まってくれた。
 ワダツミ。今はソニアが使い、以前はイドラが三年の旅をともにし、その前はウラシマが使ってきたギフト。不壊の刀身に劣化はありえず、常に曇りのない刃を備える。

「カタナだと? だが、そんな棒きれでなにができる! この万物停滞アンチパンタレイを止められるとでも思ったかッ!」

 刀を受け取るも、右腕は依然使えない。
 あと二秒もすればレツェリの眼が『箱』の範囲を指定し終えるだろう。それと同時にイドラの命は切り離される。片腕でそれよりも早く振るうには、ワダツミはイドラの手には重すぎた。
 けれど。振るうまでもなく、イドラの一手は一秒あればこと足りた。

「イドラさん……初めて会った日の夜のこと、思い出して……!」
「忘れるものか。——氾濫フラッディング
「……な、に?」

 呟きに応じ、刀身から突如として水流が生まれる。棒樋から湧き出たその水は、イドラの意思に従い舞い上がり、レツェリの目の前で降り注ぐ。水滴のカーテン。

「お前は間に邪魔なものが入ると、空間を正しく認識できない。能力の範囲に狂いが生じる。よく見えないものは、わからないんだ」

 眼のギフトは、どこまでも視認に頼っている。だからこの部屋で戦闘が始まってすぐ、ソニアが放った水流を大きく下がって避けた。
 それが弱点であると気づけたのはミロウのおかげだ。地下で彼女が聖水の煙幕を発した時、階段に逃げるイドラたちを白煙越しに追撃しなかったことが初めから引っかかっていた。

「バカな……バカな。それは……ブレストギフト! どこでッ、誰の!」
「恩人の形見だ。名を教える義理はない」

 仮想の箱が雲散する。水滴が降り注ぐこの瞬間、それらに阻まれ、その向こう側の空間をレツェリは正確に視認できない。ワダツミはアイスロータスと同じ、レツェリの言うところの祝福された天恵ブレストギフト。ソニアのギフトだと思っていたレツェリに、この一手を読めるはずもなく。
 イドラは片腕に全力を込め、その切っ先を持ち上げ——

「破断してやる! その目論見ごと!!」

——男の、赤い左眼に向けて振り抜いた。
 縦の一閃。振り下ろされた一刀はレツェリの顔もろともその目を断裂する。

「ぐぁああああああああああァァッ!!」

 吹き出る鮮血は、まるで赤い眼の中身が弾け出たかのようだ。
 ギフトは不壊、その眼球が実際に砕けてしまうことはない。しかしながら眼球として体の一部になっている以上、その周辺の人体を破壊することで、間接的に使えなくすることはできる——

「終わりだ。その目はもう、使えない……!」
「き……さまァ! ぐ、ぉ——見えん、見えんぞ……目が開かんッ」

 まぶたを開くには、眼球の上にある上眼瞼挙筋じょうがんけんきょきんを使う必要がある。眉の下から頬に至るまで深く切り込んだ傷は、その筋肉とさらに下にあるミュラー筋まで断ち切っている。少しくらいなら無理やり開くこともできるかもしれないが、溢れだす血液が視界を遮り、空間の認識など到底できないだろう。

「はっ!」

 左眼を抑えレツェリがよろめく間に、イドラは床に思いっきり右腕を叩きつけた。表面を覆っていた氷が砕け、拘束がなくなる。冷え切った腕は凍傷で真っ白になってしまっていたが、マイナスナイフを叩きこめば一瞬で元の色を取り戻し、腫れなどもない。

「もう一度言うぞ。終わりだ、レツェリ。あんたの負けだ」
「なにを……認めるものかッ!」

 往生際悪く、レツェリはアイスロータスの先をイドラに向ける。冷気が放たれるより先にワダツミでその花開く杖先を弾き飛ばすと、黄金の杖はレツェリの手を離れ、後方に落ちてカラカラと音を立てて転がっていった。
 英雄の杖も頼りの眼球も使えない。優位性を失い、ぼたぼたと血を垂らす顔の痛みにうめく。
 イドラはその隙にと、素早くソニアの方へ駆け寄った。

「傷、治すぞ。歯食いしばれ」
「お願いします……っ、ん——くぅ、あぁッ!」

 骨さえ剥き出しの傷口に、青い負数を刺し入れる。それは普段からマイナスナイフで負傷を治してきたイドラでさえ滅多にないくらいの、強烈な痛みだろう。ソニアはびくりと浮くくらいに痙攣して苦痛に喘ぐ。
 だがそれだけだ。血の足りない頭に、神経を通して注がれる痛烈な感覚を、彼女はなんとか意識を保ったままで耐えてみせた。

「よく耐えたな、肩を貸そうか」
「いえ……立てます。立たなきゃいけません、から」

 青白い顔のまま、脚を振るわせて立ち上がる。
 決着はついた。イドラとソニア、歩み寄る不死殺しと不死宿しにレツェリが後ずさる。顔から流れ出た血液を踏んで滑ったのか、床に後ろから倒れて尻餅をつく。真っ白いローブの布地が赤く汚れた。

「ソニア。どうする、殺すか。キミが自分でやってもいいし、それが嫌なら、僕にはキミの怒りを振り下ろす準備がある」
「わたしは——」
「ま……待て! 待て……助けろ! 私は死なん! 絶対に死なんぞ!」
「見苦しいぞレツェリ! お前は裁かれるべき人間だ。報いを受けるべき、悪だ!」
「不死をくれてやる! もとより方途さえ手にできれば秘するつもりはない、貴様らにも永遠を分けてやる! 私の悲願、百年を超える研究の上澄みを労せずして得られるのだ! 悪い話ではないだろう!」

 レツェリの叫びを二人は黙殺した。ひどく今さらで、的外れな命乞いだ。

「いらないとでも言うのか、不死を! 永遠を……!? なぜだ! お前たちは狂っている! おかしいぞ!」
「……おかしいのは、あなたの方ですよ。司教さま」
「どこがだァ! 貴様らの方が……定められた命を受け入れる者たちの方がよっぽどイカれてるじゃないか! まともなのは私だけだ、この世界で狂っていないのは私だけだ! おかしいのは果てを受け入れ、人生を諦めている生命もののすべてだろうがァ!!」
「限りある命を受け入れることは、諦めとは違います。あなたがどんな百年を過ごしたのかわたしには想像もつきませんが、終わる人生のすべてが間違いだなんてことは絶対にないはずです」
「なぜわからん! 神は我々を造りたもうた、だがそれだけだ! なんの道も示さず、導きもしない……ならば悲劇の定められた運命を変えられるのは、ほかでもない人の子自身の手だけだ! 我々が、手を伸ばさなければならないのだ! 不死に! 星に! そらに!!」

 礼拝室の高い天井、その向こうにある夜空。さらにその先にあるというロトコル神の住処を見上げるように、司教の男は吼えた。
 どんな言葉も、切迫した命乞いも、イドラの胸にはなにも響かない。そもそも初めからイドラにとって、レツェリの考えなどどうでもよかった。

「命だの、神だの……あんたの思想はどうだっていい。あんたはソニアの人生をねじ曲げた。僕にとってはそれだけだ」

 もしかすると、この男の言うことは正しいのかもしれない。正義とは言わずとも一定の理があって、探せば賛同する人間もいるのかもしれない。
 だがどれだけその考えが深遠で、大きなものだったとしても。今そばにいる少女を踏みにじった時点で、イドラの立場は決まっていた。

「さあ、どうする。ソニア」

 イドラは片手に下ろしたワダツミを、ソニアへと差し出す。この刀は、今はソニアのものだ。
 ソニアは報復の権利がある。ほかならぬ、穏やかな日々を砕かれた彼女には。
 しかし黄金の眼の彼女は、ゆっくりとかぶりを振った。

「いえ。わたしは……やっぱり人を殺せません。イドラさんにも、殺してほしくないです」
「いいのか? キミの人生はこいつに大きくねじ曲げられた。この男さえいなければ、今も家族といっしょに過ごせていたはずだ」

 言いながら、イドラも家族のことを思い出した。今も故郷の村でひとり待っているのであろう、大切な母を。
 今のソニアにはそれさえない。両親はおそらくどこかで生きていると言っていたが、安否も行方もわからず、帰る家をなくしてしまった。

「そうですね。だけどこの人を殺して、時間が戻るわけじゃないですから」
「後悔、しないか?」
「しません。命を奪ってつける区切りなんて、わたしには必要ありません」
「……そっか。強いな、ソニアは」
「イドラさんがいるからですよ。失ったものが多くとも今のわたしは幸せです」

 息を吐く。差し出したワダツミを、イドラはもう一度下ろす。
 明確な区切りはなく。ソニアは微笑んだまま、短絡的でない、険しい道を選んだ。ならばイドラもそれを尊重するまでだ。
 黙り込むと、礼拝室に静寂が戻る。月明りだけが初めから変わることなく、ステンドグラスから注がれる。
 左目から血を流す男は、残った黒色の右目も閉じ、敗北を認めたかのようにがくりとうなだれた。冷たい月光が、蔑むかのごとくその有り様を照らしていた。


第三章 『断裂眼球』 了
第三章エピローグ 『別れと再会の物語』 へ続く
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