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第2部2章プロローグ 恋するアンチノミー
第108話 『破綻すべき絆』
しおりを挟む「……眼帯、は?」
そこでベルチャーナは、エンツェンド監獄にて施された、あの金属の眼帯が外されていることに気が付く。
あらゆる外敵を断裂させる悪魔のギフト。万物停滞。
それを封じるための拘束が、なくなっている。ついでに言えば手錠の方も。
「ああ。外した」
こともなげにレツェリは答える。対し、ベルチャーナは全身を突き刺すような緊張に襲われた。
果ての海。海上にて、クラーケンの触手を一網打尽にしたのは記憶に新しい。
さらにベルチャーナが直接その現場に居合わせたわけではないが、レツェリはかつて葬送協会の誇る筆頭祓魔師であるミロウを易々と降し、片腕を切断した。
そんな眼が、今、自分に向けられている。
緊張を感じて当然だった。レツェリがその気になれば、ベルチャーナの首や胴体はごく簡単に、視線ひとつで泣き別れだ。
しかし幸いレツェリに殺意はなく、「そんなことよりも」と話題を転換する。
「どうやら、そちらもイドラとソニアとは再会できていないようだな。やはり方舟か……」
「そっちも一人、ですか。でも、拘束を解く鍵も必要ない以上、ベルちゃんを探す意味もなかったんじゃないですか?」
まだ大人と呼べない年とはいえ、ベルチャーナは一流の祓魔師だ。動揺を心の底に沈め、なるべく平静を装って黒衣に問う。
「そうとも限らん。君のような優秀な人間は、なるべく手元に置いておきたい」
「……わたしは、ボードゲームの駒じゃない。なんであなたに従わなきゃいけないの」
ミロウの腕を切り落とした相手だけに、つい口調が強くなる。
同時に、やってしまった、とベルチャーナは思う。今は喉元にナイフを突きつけられているに等しい状況だ。そんな中、刺激するような物言いをするべきではなかった。
ベルチャーナの不安をよそに、レツェリはもっともだとばかりにうなずいてみせる。
「無論、そうだとも。しかし、助言くらいならできると思ってな」
「助言?」
「このままイドラと再会しても、イドラは君を選ばないぞ」
「……ぁ、え? なっ——な、選ぶ、ってなんのこと?」
レツェリのギフトに対する動揺は隠し通せたのに、恋の動揺についてはまるでダメだった。頬を染め、視線を泳がせるベルチャーナの姿に、レツェリは呆れをありありとにじませる。
「それで隠しているつもりかね……」
「う——ま、まさか、イドラちゃんにも?」
「いやァ、どうだろうな。そこまではわからん。なにせ、君はイドラの眼中にない」
「——っ」
あまりに率直な物言いにベルチャーナはたじろいだ。そこへ、畳み掛けるようにレツェリは続ける。
「ソニアにとって、イドラは必要不可欠な存在だった。詳細は知らんが、不死憑きの発作を抑えるのにイドラの青いナイフが役立ったのだろう。そんな深い関係に、後から割って入るのは難しい」
「そんなの……わかってる。わかってるよ!」
気付けば声を荒げていた。
今さら、このような男に言われるまでもない。
イドラとソニアの間に、ベルチャーナの居場所はない。もちろん仲間や友人としてはそばにいさせてくれるだろうが、恋し合う、そして愛し合う相手としてイドラの隣に立つことは決してない。
あの透明な方舟の中で、そんなことはとうに気付いている!
「しかし、あの二人の関係は早晩崩れるだろうな」
「……は? 今、なんて?」
冷や水を浴びせられたような気持ちで、ベルチャーナは聞き返す。
男の言葉に、あふれかけた激情が引いていく。
崩れる? イドラとソニアの関係が? 馬鹿な、と反射的に思うも、その真意に関心が向く。
レツェリは、もったいつけるような笑みを口元に浮かべ、それから諭すように言った。
「必要不可欠な存在だった、と言っただろう。既に過去形なのだ、あの二人のつながりは」
「それって、ソニアちゃんが不死憑きじゃなくなったってことでしょ? そんなの知ってるよ。だけど、それくらいで離れ離れになる間柄じゃないよ、あの二人は。馬鹿にしないで!」
「結論を急ぐな。前提として必然性を欠いているのが重要なのだ。イモータルの力を喪失したソニアは、晴れてただの少女に戻るだろう。プレべ山の集落で過ごす、どこにでもいる非力な田舎娘に」
ソニアの人生を滅茶苦茶にした当人が、涼しい顔で語る。
「だがそれでも、ソニアはイドラのそばにいようとする。力のない身で、不死殺したる男のそばに。それが本当に可能だと、ベルチャーナ君は思うかね?」
「力のない身って……こっちの世界に来るまで、ソニアちゃんは十分に戦えてたはずだよ」
「そうだな、まだ残滓とも呼ぶべき、不死憑きの恩恵があの体には残っている。だが、それが消えつつあるのも確かだ。今はよくとも、一週間後、一か月後、半年後、あるいは一年後……ソニアはいつか間違いなく、ただの少女となった己に絶望する。イドラの隣の足を引っ張る、弱い自分に失望を抱く」
その赤い瞳で未来まで視ているかのごとく、レツェリは断定した。
ソニアは絶望する。不死の力を完全に失い、イドラの重荷となって。
そんなはずはない、とベルチャーナの感情が叫ぶ。恋心とは別に、イドラとソニアは大切な仲間だ。なにがあっても、強固な二人の絆が切れてしまうことなど——
——けれど、まさにその強固さのせいで、自身の割って入る余地がないのだ。
「そんな……」
続く言葉が出てこない。どうして?
自分の気持ちがわからない。背反する二律の感情が胸の中で渦巻いている。
こんなことは、ベルチャーナにとって初めてだった。
だが、頭の中の冷静な自分が、魔物を狩りイモータルを葬送する祓魔師のベルチャーナが、レツェリの述べた未来の可能性を『ありえなくはない』と判断する。
この世界が、まったき平和のもとにあれば、なんの憂いもなくイドラとソニアは過ごせただろう。
しかし——この現実は、地底よりもなお過酷な状況下にある。
魔物はおらず、不死の怪物もいない。けれどこの地表では、黒い体表に赤い眼を持つ、終末の死者たちが闊歩する。
現存人類の生存圏は、地底世界のデーグラムの街と広さで言えばそう変わらない。
方舟とは、その滅びに抗うための施設だ。もし予測通りイドラとソニアが方舟にいるのであれば、彼らもまた、アンゴルモアと戦うことになるだろう。
もとよりイドラは、怪物殺しの専門家なのだから。
「想像できたか? よしんばイドラたちが我々の元いた世界に帰れたとしても、同じことだ。イドラは不死殺しで、あそこにはイモータルがいる。あの二人の絆は一見固いが、いつか亀裂が生じるのは決定事項だ——雨風を受けた家の外壁が、いずれひび割れていくようにな」
「……っ」
昨日ベルチャーナが修復したばかりの、家の外壁に視線をやりながら言う。病的なまでの目ざとさだった。
「仲たがい、で済めばまだマシだ。アンゴルモアやイモータルとの戦闘で足手まといを抱えるのがどれほど危険か、君に問うまでもない。最悪、死ぬことになるだろう。片方か、それとも両方か」
不死の力を完全に喪失し、どこにでもいる少女となったソニア。それでも彼女は、イドラの隣にいようとして——
例えば力不足から深手を負い、それをイドラが庇って死ぬ。
仲睦まじき共倒れ。そんな悲劇を、レツェリの言葉は嫌でも脳裏に描かせた。
「不安を煽るようなこと、言わないで。まだそうなるって決まったわけじゃない」
「だが、そうならないとも決まるまい? 語るに落ちたな、ベルチャーナ。それはあの二人の関係が抱えるいびつさを、いくらかは認めたのと同義だ」
「……じゃあ、なに。それをベルちゃんに言って、どうなるっていうのさ。なにが目的でこんなことをわたしに話すの」
「言ったはずだ。私はただ、助言をしに来たのだ。なに、ちょっとした親切心だとも」
「親切心? そんなものがレツェリ元司教にあるなんて思えないですよぉ。それに助言をするにもお門違いでしょう? イドラちゃんとソニアちゃんの問題を、ベルちゃんに言うなんて」
「いいや、助言はあくまで君へのものだ。最悪の結果になる前に、誰かがソニアに無力さを教えてやればいい。挫折させるのだ。つまり死の間際ではなく、取り返しのつく段階でソニアに自身の非力さを気付かせてやる。そうなれば——イドラの隣は空くだろう?」
「イドラ、ちゃんの?」
かちり、と。
なにかの歯車が、はまるような音がした。
「そうだ。もちろんこれはソニアのためでもある。命が無事に済むというのもそうだが……どうせ心を折るなら、早い方がいい」
「……どうして」
「諦めがつかなくなる。叶わない望みは、早めに棄ててしまわねばな」
ひょっとするとそれだけが、今日この場で、唯一レツェリが本心から吐露した言葉だったのかもしれない。
叶わない望み、報われない想いなど虚しいだけだ。
だが、なぜそうなのかは誰にもわからないが、時間というものは放たれた矢のようにしか進まない。だから、鮮烈な望みがあったとして、抱く想いがあったとして、それが成就するかどうかは結果が出るまで知りようがない。
ゆえにレツェリは、不死を希求し。
ベルチャーナは、恋患う。
「言いたいことは、それくらいだ。もしベルチャーナ君が望むなら、私はきっと、君がイドラの隣に立つ『機会』を提供できるだろう。興味があれば訪ねてくれたまえ」
「訪ねるって、どこへ?」
「西のはずれの教会だ。中に残っていた資料によると、黒神会、という宗教組織のものだったらしい。とうに放棄されていたので、有効に使っているというわけだ」
「こくしん? ……また教会ですか。好きですね」
「偶然に過ぎん。皮肉な偶然だ」
そういったものとつくづく縁のある男らしかった。
「まあ——ゆっくりと考えてみることだ。あまり、猶予はないのやもしれんが」
あっさりと踵を返し、レツェリは去っていく。
昼下がりの雑踏にまぎれる黒衣の背を見送っても、ベルチャーナはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて家の中に戻っていった。
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