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Yukito: 帰ってくるから。
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8月13日。
有給休暇を取った行人は贅沢に二度寝を楽しんでいた。
遮光カーテンの隙間からは明るい陽射しが細く差し込んでいるが、見ないふりをして惰眠を貪る。
部屋はクーラーでひんやりとして、布団はさらさらと気持ちよい。
うとうとしていると、玄関の呼び鈴が鳴った。
高校生の空乃は夏休みだが午前中は夏期講習があると言っていた。宅配は頼んでいないし、なにかの勧誘だろうか。
居留守を決め込むことにして、行人は目を閉じる。
がちゃんとドアが開く音がする。
え、なに。そういえば、昨夜、鍵を閉め忘れた気がする。
「こらユキ! 鍵閉めろって言ってんだろ!」
怒ったような声は空乃だ。軽やかな足音が寝室にしている8畳間の前で止まる。
「ユキちゃん、いるんだろ。開けるぞ?」
「んむー」
返事と同時に部屋が明るくなる。布団の中で身じろぎする行人に、空乃は笑った。
「なんて声出してんだよ。まだ寝てたん? もしかして具合悪い?」
「んー、や、寝てただけ。あれ、おまえ、学校は?」
「終わった。もう12時だかんな。てか冷やしすぎだろ、この部屋。一回空気入れ替えんぞ」
空乃は容赦なくクーラーを切ると、カーテンと窓を全開にした。
窓越しに見る空は絵の具で乗り潰したように青く、浮かぶ雲は白く厚い。夏の熱気と蝉の声が流れ込んでくる。
さすがにもう寝てはいられない。寝すぎてちょっと身体も痛い。
行人は大きく伸びをすると、流しで顔を洗った。夏の水道水は生温い。
渡されたタオルで顔を拭いていると、うなじに柔らかいものが触れる。
キスされたのだと分かり、慌てて首筋を押さえた。
「急に、なにっ」
「なにって。目の前にうなじがあったらキスするだろ」
空乃は笑いながら、行人の寝ぐせを直すように髪をなでてくる。
「しないだろ。吸血鬼か」
「ユキの血、甘そう」
言うなり、今度は甘噛みするように首に歯を立ててくる。
空乃の匂いが鼻を掠める。汗と、グレープフルーツみたいな爽やかな香り。起きがけの股間は敏感だし、変な気持ちになってしまいそうだ。
「おい、やめろって」
くすぐったがるフリをして、行人は空乃から逃れる。
空乃は楽しそうに笑うと、戸棚からバスタオルを出して、行人に渡した。
「シャワー浴びてきなよ。昼飯作っとくから」
お昼は素麺だった。
ガラスの器に盛られた素麺は絹糸のように輝き、陶器の皿には茄子の煮びたしと卵焼き、胡瓜とタコの酢の物が盛られている。
菜食メインの行人だが、空乃の作る酢の物は美味くて、酢の物だったら魚介でも食べるようになった。
空乃は惣菜を小皿に取り分けてくれる。その仕草を目で追う。
菜箸を持つ指が長い。爪は短く切られていて清潔だ。
すすった素麺はびっくりするほどうまかった。コシがあって滑らかで喉越しが尋常ではない。
「うま。これ、本当に素麺か?」
「素麺っす。親がお中元横流ししてくれた。揖保乃糸の最高級品。なんと桐箱入り」
「桐箱。すごいな」
「他にも、カニ缶とか神戸牛とか入ってたから、おいおい食おうぜ」
高校生が食べていい食材ではない。
「君、ご両親って何してる人? お姉さんはCAさんって言ってたよな」
尋ねると、空乃はおかしそうに笑った。
「面白いよ? うち、父親が弁護士で、母親が警察官。しかも刑事」
「それは、家庭の会話がなんか凄そうだな」
「自分らの仕事の話は家ではしねえけど。サスペンス系のドラマ見てると夫婦で白熱してんな」
「ははっ、それは楽しそうだ」
空乃は素麺をすすりながら、両親の話を面白おかしく語っている。
制服の白シャツに黒いズボン。長めの金髪をカチューシャで止めているので、額が丸出しだ。
肌も瞳も水気が多くて、行人とは全然質感が違う。だってまだ17歳だ。
身体中からエネルギーが溢れてくるような。熱。若くて、眩しくて。
目尻が上がった目は鋭くて、それが行人を見る時にはやわらかくほころぶ。
好きだ。
俺は、この子が好きだ。
自覚した思いは膨れ上がるばかりで、胸が熱くなる。鼻の奥とこめかみが痛くなるくらい。
「ユキ? そんな見つめられると穴あくけど」
「あ、ごめん」
「いや、謝んなくていいし。なに、見惚れてた?」
空乃が意地悪そうに首を傾げる。
「うん」
「うんって、ユキちゃん、まだ寝ぼけてんの」
いつもは塩対応で返すからか、空乃は不思議そうな顔をしている。
いつの間にか、素麺の器は空になっている。行人は箸を置いて、麦茶を一口飲んだ。
「なあ、空乃。今日の夜、空いてるか?」
「5時まで料理教室だけど、そのあとなら」
「このあと、藤森と墓参りに行ってくる」
誰のとは言わなかった。空乃も聞かなかった。
「お盆だもんな。気いつけてな」
「ありがとう。その後、迎え火を焚いたら、ここに帰ってくる」
「おう。俺の方が早かったら、待ってるから。一緒にメシ食おうぜ。今日のレッスン、インド料理なんだ。ユキちゃん、カレー好きだろ」
話す空乃の手はテーブルの上におかれている。行人は指先を絡めるように、その手に触れた。
「ユキ?」
空乃の目は色素が薄くて明るくて優しい。その目を真正面から見返して、行人は告げた。
「帰ってくるから。そしたら、付き合おう」
有給休暇を取った行人は贅沢に二度寝を楽しんでいた。
遮光カーテンの隙間からは明るい陽射しが細く差し込んでいるが、見ないふりをして惰眠を貪る。
部屋はクーラーでひんやりとして、布団はさらさらと気持ちよい。
うとうとしていると、玄関の呼び鈴が鳴った。
高校生の空乃は夏休みだが午前中は夏期講習があると言っていた。宅配は頼んでいないし、なにかの勧誘だろうか。
居留守を決め込むことにして、行人は目を閉じる。
がちゃんとドアが開く音がする。
え、なに。そういえば、昨夜、鍵を閉め忘れた気がする。
「こらユキ! 鍵閉めろって言ってんだろ!」
怒ったような声は空乃だ。軽やかな足音が寝室にしている8畳間の前で止まる。
「ユキちゃん、いるんだろ。開けるぞ?」
「んむー」
返事と同時に部屋が明るくなる。布団の中で身じろぎする行人に、空乃は笑った。
「なんて声出してんだよ。まだ寝てたん? もしかして具合悪い?」
「んー、や、寝てただけ。あれ、おまえ、学校は?」
「終わった。もう12時だかんな。てか冷やしすぎだろ、この部屋。一回空気入れ替えんぞ」
空乃は容赦なくクーラーを切ると、カーテンと窓を全開にした。
窓越しに見る空は絵の具で乗り潰したように青く、浮かぶ雲は白く厚い。夏の熱気と蝉の声が流れ込んでくる。
さすがにもう寝てはいられない。寝すぎてちょっと身体も痛い。
行人は大きく伸びをすると、流しで顔を洗った。夏の水道水は生温い。
渡されたタオルで顔を拭いていると、うなじに柔らかいものが触れる。
キスされたのだと分かり、慌てて首筋を押さえた。
「急に、なにっ」
「なにって。目の前にうなじがあったらキスするだろ」
空乃は笑いながら、行人の寝ぐせを直すように髪をなでてくる。
「しないだろ。吸血鬼か」
「ユキの血、甘そう」
言うなり、今度は甘噛みするように首に歯を立ててくる。
空乃の匂いが鼻を掠める。汗と、グレープフルーツみたいな爽やかな香り。起きがけの股間は敏感だし、変な気持ちになってしまいそうだ。
「おい、やめろって」
くすぐったがるフリをして、行人は空乃から逃れる。
空乃は楽しそうに笑うと、戸棚からバスタオルを出して、行人に渡した。
「シャワー浴びてきなよ。昼飯作っとくから」
お昼は素麺だった。
ガラスの器に盛られた素麺は絹糸のように輝き、陶器の皿には茄子の煮びたしと卵焼き、胡瓜とタコの酢の物が盛られている。
菜食メインの行人だが、空乃の作る酢の物は美味くて、酢の物だったら魚介でも食べるようになった。
空乃は惣菜を小皿に取り分けてくれる。その仕草を目で追う。
菜箸を持つ指が長い。爪は短く切られていて清潔だ。
すすった素麺はびっくりするほどうまかった。コシがあって滑らかで喉越しが尋常ではない。
「うま。これ、本当に素麺か?」
「素麺っす。親がお中元横流ししてくれた。揖保乃糸の最高級品。なんと桐箱入り」
「桐箱。すごいな」
「他にも、カニ缶とか神戸牛とか入ってたから、おいおい食おうぜ」
高校生が食べていい食材ではない。
「君、ご両親って何してる人? お姉さんはCAさんって言ってたよな」
尋ねると、空乃はおかしそうに笑った。
「面白いよ? うち、父親が弁護士で、母親が警察官。しかも刑事」
「それは、家庭の会話がなんか凄そうだな」
「自分らの仕事の話は家ではしねえけど。サスペンス系のドラマ見てると夫婦で白熱してんな」
「ははっ、それは楽しそうだ」
空乃は素麺をすすりながら、両親の話を面白おかしく語っている。
制服の白シャツに黒いズボン。長めの金髪をカチューシャで止めているので、額が丸出しだ。
肌も瞳も水気が多くて、行人とは全然質感が違う。だってまだ17歳だ。
身体中からエネルギーが溢れてくるような。熱。若くて、眩しくて。
目尻が上がった目は鋭くて、それが行人を見る時にはやわらかくほころぶ。
好きだ。
俺は、この子が好きだ。
自覚した思いは膨れ上がるばかりで、胸が熱くなる。鼻の奥とこめかみが痛くなるくらい。
「ユキ? そんな見つめられると穴あくけど」
「あ、ごめん」
「いや、謝んなくていいし。なに、見惚れてた?」
空乃が意地悪そうに首を傾げる。
「うん」
「うんって、ユキちゃん、まだ寝ぼけてんの」
いつもは塩対応で返すからか、空乃は不思議そうな顔をしている。
いつの間にか、素麺の器は空になっている。行人は箸を置いて、麦茶を一口飲んだ。
「なあ、空乃。今日の夜、空いてるか?」
「5時まで料理教室だけど、そのあとなら」
「このあと、藤森と墓参りに行ってくる」
誰のとは言わなかった。空乃も聞かなかった。
「お盆だもんな。気いつけてな」
「ありがとう。その後、迎え火を焚いたら、ここに帰ってくる」
「おう。俺の方が早かったら、待ってるから。一緒にメシ食おうぜ。今日のレッスン、インド料理なんだ。ユキちゃん、カレー好きだろ」
話す空乃の手はテーブルの上におかれている。行人は指先を絡めるように、その手に触れた。
「ユキ?」
空乃の目は色素が薄くて明るくて優しい。その目を真正面から見返して、行人は告げた。
「帰ってくるから。そしたら、付き合おう」
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