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Yukito: そっち行ってもいいか?
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「コンビニ行くけど、欲しいものある人ー」
神谷砂羽が呼びかけると、殺伐とした職場のあちこちから声が上がる。
「サンキュー神谷、俺、なんかサンドイッチ」
「なんでもいいから食うもん」
「栄養ドリンク3本。一番きっついヤツ」
どの声も半ばやけっぱちだ。
残業に次ぐ残業で、東京国税局資料調査第一課の面々は疲労を通り越してハイテンションの域に達している。
「神谷、俺も行く」
見かねた行人は、砂羽の背中を追って席を立った。
「いやー、やばいね、これ死人でるね」
多くの中央省庁同様、東京国税局の中には職員向けのコンビニが入っている。
砂羽は食べ物や菓子を手当たり次第にレジカゴに放り込んだ。
行人と砂羽が勤務する資料調査第一課(略して料調)は、早い話が、情報をかき集めて分析して、脱税の証拠を押さえるのが仕事だ。
現在、課員総出で取りかかっているのは、大手芸能プロダクションの脱税疑惑だ。脱税額5億超えの大型案件。資料の量も半端ではない。
それと平行して、行人も砂羽も複数のヤマを抱えている。
9月半ばにして、今月の残業時間は50時間をとうに超えた。空乃と付き合い始めたばかりというのに、浮かれている暇もない有様だ。
二人は会計を済ませるついでに、アイスコーヒーを注文して、イートインスペースで一息つくことにする。
「立派な社畜だな。公務員の場合でも社畜って言うのかな」
「省畜とか庁畜とか言わないしね。あー、夏休みにタイムスリップしたい」
「右に同じ」
お盆に合わせて取った休暇は、実家の金沢に帰省した以外は、ずっと空乃と一緒にいた。
休みが明けたら怒濤の業務が押し寄せ、早朝出勤深夜帰宅の毎日だ。
空乃の方も二学期ーこんな言葉、久しぶりに使ったーが始まって、学業とバイトと料理教室とで相変わらず忙しそうだ。
隣に住んでいるのに、まともに顔を合わすのは朝だけ。夕食は職場で取るし、帰ったらシャワーもそこそこに倒れ込むように寝る毎日。
「まあ、私らなんていわば専門職だし、まだマシな方よね」
「そうなのか」
「同級生で財務省に就職した子、毎月120時間超えの残業で、生理止まったって」
霞ヶ関はブラックだ。
「それは、辞めた方がいいんじゃないか」
「辞めても再就職難しいしね。しんどいけど、やりがいがあって楽しいから辞めるに辞められないって」
暗い会話を交わしながらコーヒーをすする二人である。
「三沢君は元気?」
思い出したように砂羽が話題を変えた。
「元気、だと思う。お互い忙しくて、あんまり話せてない」
空乃と付き合い始めたことは、成り行きもあって、砂羽にだけは話している。
打ち明けた時は手放しで喜んで、応援すると約束してくれた。
人に大っぴらに話せる関係ではない。だからこそ、一人でも知ってくれている人がいることが、安心する。
かけがえのない同期だ。
「そっかー」
砂羽はストローでアイスコーヒーの氷をかき回しながら、小首を傾げた。
「私が言うのもなんだけどさ」
「いいよ、言って」
「ちょっとくらい無理しても、セックスする時間は惜しまない方がいいよ」
思わずアイスコーヒーを吹き出すところだった。砂羽はいつも明け透けでストレートだ。
「いや、まあ、でも、あいつも学校あるし。もうすぐ文化祭で、準備忙しいらしいし」
毎日きちんとやりとりをするラインの中で、そんなことを言っていた。
セックスどころか、朝ご飯の時にいってらっしゃいのキスをする以外、触れあっていない。
砂羽は、そんなの言い訳だよと言う。
「してる仲なんでしょ?」
「そりゃ、まあ」
「だったら時間作った方がいいよ。案外、向こうも同じこと考えて遠慮してるかもしれないし。男子高校生なんてやりたい盛りだと思うよー。チカの疲れた顔見て、言い出せないだけじゃないの」
「そうかな」
「そうよ。愛こそ栄養。セックスは元気の素」
したり顔で宣う砂羽に、行人は吹き出す。
「なんの標語だよ」
まあでも確かに。朝のキスだけではチャージ不足なのは確かだ。
独り身の時は一人で全く平気だったのに、誰かのぬくもりを知ると、それがなくてはならなくなる。触り心地のよい毛布みたいに。不思議なものだ。
今日は早めに切り上げて、空乃の部屋に行ってみようか。
そう思っていたのに。
「結局終電か」
書類仕事はテトリスのごとく降ってきて、腕時計は空しく日付を変えている。
9月に入って、暑さの中に涼しさを感じる日が混じるようになった。
道路から見上げたコーポアマノの上には、ぽっかりと丸い月が浮かんでいる。
2階の部屋は、空乃がいる202号室だけが明かりを灯していて、蛍光灯の明るさにほっとする。
カーテン超しに見え隠れする影は、踊っているような妙な動きをしている。
何してんだ、あいつ。
コミカルな影にぼんやりと窓を見上げていると、その窓が突然がらりと開いた。
「あっちー」と言いながらTシャツ姿の空乃が顔を出し、佇む行人と目があった。瞬間に、破顔する。
「ユキ! お帰り」
「ただいま」
「ははっ、超疲れてんな。こっから見てもクマ、すげえ」
笑いながらも、空乃の声音は心配そうだ。
「空乃」
胸が高鳴る。今、いちばん欲しかったものが、目の前にある。
「ん?」
「そっち行ってもいいか?」
尋ねると、空乃は満面の笑みを見せた。
「勿論。早く来いよ」
神谷砂羽が呼びかけると、殺伐とした職場のあちこちから声が上がる。
「サンキュー神谷、俺、なんかサンドイッチ」
「なんでもいいから食うもん」
「栄養ドリンク3本。一番きっついヤツ」
どの声も半ばやけっぱちだ。
残業に次ぐ残業で、東京国税局資料調査第一課の面々は疲労を通り越してハイテンションの域に達している。
「神谷、俺も行く」
見かねた行人は、砂羽の背中を追って席を立った。
「いやー、やばいね、これ死人でるね」
多くの中央省庁同様、東京国税局の中には職員向けのコンビニが入っている。
砂羽は食べ物や菓子を手当たり次第にレジカゴに放り込んだ。
行人と砂羽が勤務する資料調査第一課(略して料調)は、早い話が、情報をかき集めて分析して、脱税の証拠を押さえるのが仕事だ。
現在、課員総出で取りかかっているのは、大手芸能プロダクションの脱税疑惑だ。脱税額5億超えの大型案件。資料の量も半端ではない。
それと平行して、行人も砂羽も複数のヤマを抱えている。
9月半ばにして、今月の残業時間は50時間をとうに超えた。空乃と付き合い始めたばかりというのに、浮かれている暇もない有様だ。
二人は会計を済ませるついでに、アイスコーヒーを注文して、イートインスペースで一息つくことにする。
「立派な社畜だな。公務員の場合でも社畜って言うのかな」
「省畜とか庁畜とか言わないしね。あー、夏休みにタイムスリップしたい」
「右に同じ」
お盆に合わせて取った休暇は、実家の金沢に帰省した以外は、ずっと空乃と一緒にいた。
休みが明けたら怒濤の業務が押し寄せ、早朝出勤深夜帰宅の毎日だ。
空乃の方も二学期ーこんな言葉、久しぶりに使ったーが始まって、学業とバイトと料理教室とで相変わらず忙しそうだ。
隣に住んでいるのに、まともに顔を合わすのは朝だけ。夕食は職場で取るし、帰ったらシャワーもそこそこに倒れ込むように寝る毎日。
「まあ、私らなんていわば専門職だし、まだマシな方よね」
「そうなのか」
「同級生で財務省に就職した子、毎月120時間超えの残業で、生理止まったって」
霞ヶ関はブラックだ。
「それは、辞めた方がいいんじゃないか」
「辞めても再就職難しいしね。しんどいけど、やりがいがあって楽しいから辞めるに辞められないって」
暗い会話を交わしながらコーヒーをすする二人である。
「三沢君は元気?」
思い出したように砂羽が話題を変えた。
「元気、だと思う。お互い忙しくて、あんまり話せてない」
空乃と付き合い始めたことは、成り行きもあって、砂羽にだけは話している。
打ち明けた時は手放しで喜んで、応援すると約束してくれた。
人に大っぴらに話せる関係ではない。だからこそ、一人でも知ってくれている人がいることが、安心する。
かけがえのない同期だ。
「そっかー」
砂羽はストローでアイスコーヒーの氷をかき回しながら、小首を傾げた。
「私が言うのもなんだけどさ」
「いいよ、言って」
「ちょっとくらい無理しても、セックスする時間は惜しまない方がいいよ」
思わずアイスコーヒーを吹き出すところだった。砂羽はいつも明け透けでストレートだ。
「いや、まあ、でも、あいつも学校あるし。もうすぐ文化祭で、準備忙しいらしいし」
毎日きちんとやりとりをするラインの中で、そんなことを言っていた。
セックスどころか、朝ご飯の時にいってらっしゃいのキスをする以外、触れあっていない。
砂羽は、そんなの言い訳だよと言う。
「してる仲なんでしょ?」
「そりゃ、まあ」
「だったら時間作った方がいいよ。案外、向こうも同じこと考えて遠慮してるかもしれないし。男子高校生なんてやりたい盛りだと思うよー。チカの疲れた顔見て、言い出せないだけじゃないの」
「そうかな」
「そうよ。愛こそ栄養。セックスは元気の素」
したり顔で宣う砂羽に、行人は吹き出す。
「なんの標語だよ」
まあでも確かに。朝のキスだけではチャージ不足なのは確かだ。
独り身の時は一人で全く平気だったのに、誰かのぬくもりを知ると、それがなくてはならなくなる。触り心地のよい毛布みたいに。不思議なものだ。
今日は早めに切り上げて、空乃の部屋に行ってみようか。
そう思っていたのに。
「結局終電か」
書類仕事はテトリスのごとく降ってきて、腕時計は空しく日付を変えている。
9月に入って、暑さの中に涼しさを感じる日が混じるようになった。
道路から見上げたコーポアマノの上には、ぽっかりと丸い月が浮かんでいる。
2階の部屋は、空乃がいる202号室だけが明かりを灯していて、蛍光灯の明るさにほっとする。
カーテン超しに見え隠れする影は、踊っているような妙な動きをしている。
何してんだ、あいつ。
コミカルな影にぼんやりと窓を見上げていると、その窓が突然がらりと開いた。
「あっちー」と言いながらTシャツ姿の空乃が顔を出し、佇む行人と目があった。瞬間に、破顔する。
「ユキ! お帰り」
「ただいま」
「ははっ、超疲れてんな。こっから見てもクマ、すげえ」
笑いながらも、空乃の声音は心配そうだ。
「空乃」
胸が高鳴る。今、いちばん欲しかったものが、目の前にある。
「ん?」
「そっち行ってもいいか?」
尋ねると、空乃は満面の笑みを見せた。
「勿論。早く来いよ」
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