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27:モトカノの話
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とある日曜日の朝。
和室に二組並べて敷いた布団の一組に裸のまま潜り込み、二人はだらだらと過ごしていた。
付き合い始めて2か月と少し。土曜日は外に遊びに行って、日曜日は有馬の家でのんびりするのが二人の定番の過ごし方になっている。
昨日は奥多摩まで釣りに行った。ヤマメとイワナが数匹連れただけだったが、渓谷で釣り糸を垂らしながら話すのは楽しかった。
「航平。今月は、いつ美津子さんのとこ行く?」
寝そべったまま昨夜の残りの日本酒を舐めながら、有馬が訊いた。
有馬は育ちが良い割に、行儀が悪いことにうるさくない。昼前から布団の中で酒を飲むことくらい平気でやってのける。
航平は日本酒の気分ではなかったが、口に含んでみると華やかな香りが広がって、悪くない。
障子越しの朝の光がぼんやりと室内を照らしていて、なんだか時代劇の中にいるようだ。
「あんた、うちの母親好きだよな」
「うん、美津子さん楽しい人だし、鎌倉も好きだし。この前、葉梨に美味しいジャムの店を教えてもらったんだ。今度鎌倉に行く時、美津子さんにも買っていきたいなって思って」
有馬のこういう心遣いは素直に嬉しい。
そう思ったので、そのまま口にした。
「いつも悪いな。あんたといると、母親のための買い物に全然気を遣わなくていいから楽だ」
「どういうこと?」
「昔付き合ってた子がさ、そういうの嫌がる子だったんだよ。デートで水族館に行った時だったかな。土産物屋で母親への土産に何がいいと思うか彼女に聞いたんだ。そしたら、「航平君、お母さんにお土産なんて買うの? 結構マザコンなんだねー」とかなんとか言われてさ。悪気はなかったんだろうけど、微妙な空気流れたわ」
今だったら、その手の言葉をどう受け流せばいいか知っているが、その時の航平は、沸き上がった怒りと羞恥の扱いが分からず、ただ黙ってしまった。
買おうとしていた、イルカと貝殻が詰め込まれたスノードームを気まずく棚に戻したのを覚えている。
「マザコンかどうかはともかく、航平はお母さん大好きだよね」
「そりゃ、母親だからな」
「良い母親でも、どうしても好きになれないこともあるからさ。お母さん大好きって言えるのは、幸せなことだよ」
それは多分有馬自身のことだ。
返答に困った航平を気遣ったのか、有馬は明るい声で言った。
「じゃあさ、来週は水族館に行こうよ。それで、お土産沢山買おう」
「あ、それなんだけど」
有馬の提案に、航平は本題を思い出す。
「俺、来週からしばらく出張なんだ」
「しばらくって、どれくらい?」
「1か月弱」
「長いね。また海外?」
有馬が酒器に冷酒を注ぎいれながら確認する。
航平は受け取った猪口に口をつけた。朝の日本酒は思いのほか美味くてするすると喉を通っていく。
「海外だけど、護衛艦に乗っていくから、行き先は言えないんだ。再来週の月曜日に某国まで民航機で行って、そこからヘリで護衛艦に着艦して、2か国くらい回った後に某国で離艦して、民航機で日本に戻ってくるのが10月末」
航行の安全を確保するため、海上自衛隊の艦船の航路は原則として事前に公表されない。寄港する場所や日時は、家族や友人にも教えられないことになっている。
「そっかあ。航平、航海に出るのって久しぶりじゃない? 楽しみだね」
「海幕勤務になってからは初めてかな。今回は、寄港先での防衛交流や行事の対応がメインだから、艦艇クルーとして勤務するわけじゃないけど、それでも楽しみだよ。艦艇勤務は俺の本職だしな」
「海の男だね」
「茶化すなって。しばらくは完全に音信不通になるけど、便りがないのは良い知らせだと思ってて」
「携帯って全く使えないんだっけ」
「海の上ではな。陸地に近づいたら電波が入るから、見計らってメールか電話するよ」
「待ってる。あ、護衛艦に乗ってる時って、魚とか見える?」
「タイミングが良ければ、クジラやイルカが見えることもあるよ」
「じゃあ、写真待ってる」
「あんた、動物だけじゃなくて魚も好きなんだな」
「クジラもイルカも哺乳類だよ」
こういう時、有馬は存外あっさりしていて、前向きに応援するような言葉をくれるので助かる。
残業や出張といった仕事上の不可抗力に対して、身近な人から文句を言われるのは精神的にきついものだ。
有馬は自身も出張の多い仕事をしているせいか、距離を置くことを怖がらない。
防衛省の番記者で自衛隊の運用にも理解があるので、行き先も日程も教えられなくても不満を口にしたりしない。
佐世保勤務の時に付き合っていた彼女は、航平が航海で度々長期不在になることに不安を訴え、涙し、しかしそのうち泣くこともなくなり、他の男に走ってしまった。
苦い思い出を語ると、有馬はふうんと口を尖らせた。
「航平。今日はよくモトカノの話をするけど、それ、僕に妬かせたいの?」
「妬くって、こんなの単なる黒歴史だろ。けど、モトカノの話とかマナー違反だったよな。悪い」
咄嗟に謝ると、有馬は意味ありげに日本酒を舐めた。
「ま、こういうスパイスも嫌いじゃないけど」
何を言っているんだ?
発言の趣旨を計りかねていると、有馬はすいっと日本酒を口に含み、そのまま口づけてきた。
和室に二組並べて敷いた布団の一組に裸のまま潜り込み、二人はだらだらと過ごしていた。
付き合い始めて2か月と少し。土曜日は外に遊びに行って、日曜日は有馬の家でのんびりするのが二人の定番の過ごし方になっている。
昨日は奥多摩まで釣りに行った。ヤマメとイワナが数匹連れただけだったが、渓谷で釣り糸を垂らしながら話すのは楽しかった。
「航平。今月は、いつ美津子さんのとこ行く?」
寝そべったまま昨夜の残りの日本酒を舐めながら、有馬が訊いた。
有馬は育ちが良い割に、行儀が悪いことにうるさくない。昼前から布団の中で酒を飲むことくらい平気でやってのける。
航平は日本酒の気分ではなかったが、口に含んでみると華やかな香りが広がって、悪くない。
障子越しの朝の光がぼんやりと室内を照らしていて、なんだか時代劇の中にいるようだ。
「あんた、うちの母親好きだよな」
「うん、美津子さん楽しい人だし、鎌倉も好きだし。この前、葉梨に美味しいジャムの店を教えてもらったんだ。今度鎌倉に行く時、美津子さんにも買っていきたいなって思って」
有馬のこういう心遣いは素直に嬉しい。
そう思ったので、そのまま口にした。
「いつも悪いな。あんたといると、母親のための買い物に全然気を遣わなくていいから楽だ」
「どういうこと?」
「昔付き合ってた子がさ、そういうの嫌がる子だったんだよ。デートで水族館に行った時だったかな。土産物屋で母親への土産に何がいいと思うか彼女に聞いたんだ。そしたら、「航平君、お母さんにお土産なんて買うの? 結構マザコンなんだねー」とかなんとか言われてさ。悪気はなかったんだろうけど、微妙な空気流れたわ」
今だったら、その手の言葉をどう受け流せばいいか知っているが、その時の航平は、沸き上がった怒りと羞恥の扱いが分からず、ただ黙ってしまった。
買おうとしていた、イルカと貝殻が詰め込まれたスノードームを気まずく棚に戻したのを覚えている。
「マザコンかどうかはともかく、航平はお母さん大好きだよね」
「そりゃ、母親だからな」
「良い母親でも、どうしても好きになれないこともあるからさ。お母さん大好きって言えるのは、幸せなことだよ」
それは多分有馬自身のことだ。
返答に困った航平を気遣ったのか、有馬は明るい声で言った。
「じゃあさ、来週は水族館に行こうよ。それで、お土産沢山買おう」
「あ、それなんだけど」
有馬の提案に、航平は本題を思い出す。
「俺、来週からしばらく出張なんだ」
「しばらくって、どれくらい?」
「1か月弱」
「長いね。また海外?」
有馬が酒器に冷酒を注ぎいれながら確認する。
航平は受け取った猪口に口をつけた。朝の日本酒は思いのほか美味くてするすると喉を通っていく。
「海外だけど、護衛艦に乗っていくから、行き先は言えないんだ。再来週の月曜日に某国まで民航機で行って、そこからヘリで護衛艦に着艦して、2か国くらい回った後に某国で離艦して、民航機で日本に戻ってくるのが10月末」
航行の安全を確保するため、海上自衛隊の艦船の航路は原則として事前に公表されない。寄港する場所や日時は、家族や友人にも教えられないことになっている。
「そっかあ。航平、航海に出るのって久しぶりじゃない? 楽しみだね」
「海幕勤務になってからは初めてかな。今回は、寄港先での防衛交流や行事の対応がメインだから、艦艇クルーとして勤務するわけじゃないけど、それでも楽しみだよ。艦艇勤務は俺の本職だしな」
「海の男だね」
「茶化すなって。しばらくは完全に音信不通になるけど、便りがないのは良い知らせだと思ってて」
「携帯って全く使えないんだっけ」
「海の上ではな。陸地に近づいたら電波が入るから、見計らってメールか電話するよ」
「待ってる。あ、護衛艦に乗ってる時って、魚とか見える?」
「タイミングが良ければ、クジラやイルカが見えることもあるよ」
「じゃあ、写真待ってる」
「あんた、動物だけじゃなくて魚も好きなんだな」
「クジラもイルカも哺乳類だよ」
こういう時、有馬は存外あっさりしていて、前向きに応援するような言葉をくれるので助かる。
残業や出張といった仕事上の不可抗力に対して、身近な人から文句を言われるのは精神的にきついものだ。
有馬は自身も出張の多い仕事をしているせいか、距離を置くことを怖がらない。
防衛省の番記者で自衛隊の運用にも理解があるので、行き先も日程も教えられなくても不満を口にしたりしない。
佐世保勤務の時に付き合っていた彼女は、航平が航海で度々長期不在になることに不安を訴え、涙し、しかしそのうち泣くこともなくなり、他の男に走ってしまった。
苦い思い出を語ると、有馬はふうんと口を尖らせた。
「航平。今日はよくモトカノの話をするけど、それ、僕に妬かせたいの?」
「妬くって、こんなの単なる黒歴史だろ。けど、モトカノの話とかマナー違反だったよな。悪い」
咄嗟に謝ると、有馬は意味ありげに日本酒を舐めた。
「ま、こういうスパイスも嫌いじゃないけど」
何を言っているんだ?
発言の趣旨を計りかねていると、有馬はすいっと日本酒を口に含み、そのまま口づけてきた。
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