33 / 64
33:別れと出発
しおりを挟むしばらく話を続けていると、室内にノックの音が聞こえてきた。
入ってきたのはジュノ。
眉尻を下げた切なげな表情をしており、プリシラが声を掛けるとおずおずと室内に入ってきた。そこには普段見せる溌剌さはなく、気弱を通り越して薄弱とした印象さえ受けかねない。
ジュノを見た瞬間プリシラの胸がズキリと痛んだ。今すぐに抱きしめて謝罪したくなる衝動さえ湧き上がるが、それをぐっと堪えて穏やかな声色で彼を呼ぶ。
「ジュノ、準備は出来た?」
「……はい」
「それならこっちに来て一緒にお茶をしましょう。お菓子もあるのよ」
出来るだけ優しい声でジュノを誘えば、彼は困惑の表情のままそれでもコクリと頷いた。
オリバーが立ち上がり、ジュノが手にしている大きなボストンバッグと肩掛け鞄を受け取り、己が座っていた椅子へと促す。
「準備は大変じゃなかった? 本当は手伝ってあげたかったんだけど」
「大丈夫です。ちゃんと準備できました。大事なもの全部は持っていけないけど、でも、お母様がくれた鳥の羽は持っていくことにしたんです」
母を前にして少し気が晴れたのか、ジュノの声に明るさが戻る。
だがすぐさま視線を落として「お母様は……」と小さくプリシラを呼んだ。
「お母様は一緒には来られないんですよね」
「ジュノ……。ごめんなさい、本当はお母様も一緒に行きたいんだけど、ここに残らないといけないの」
「……そう、ですよね。お母様が謝る必要はありません。僕、一人でも大丈夫です!」
気丈に振る舞おうとするジュノの姿も声も痛々しく、プリシラの胸が更に痛みを訴える。
そんなプリシラを気遣ってか、話を聞いていたイヴが「大丈夫ですよ」とジュノに声を掛けた。
「レッグ医師も一緒ですから、ジュノ様おひとりじゃありません」
「そうだね、それにイヴの家族もいるんだよね?」
「えぇ、みんなジュノ様にお会いできるのを楽しみにしています。それにオリバーの従兄弟もいますよ」
イヴが話しながら視線をオリバーにやれば、促されてジュノも彼を見る。
二人分の視線、そしてプリシラからも視線を送れば、一身に受けたオリバーがゆっくりと頷いた。まるでジュノの不安を取り払うような動きだ。
「従兄弟の家にはジュノ様と同い年の息子がいます。先日手紙が届きましたが、ジュノ様と一緒に鳥を見に行くんだと毎日図鑑を見ているそうです」
「本当?」
「はい。田舎なので娯楽は少ないですが、そのぶん自然に溢れてます。近くの池には渡り鳥も来るので、時期がきたらお連れしたいと手紙に書いてありましたよ」
オリバーが話せば、それを聞いたジュノの表情が次第に明るくなっていった。
同い年の少年が自分を待ってくれている。そのうえ向かう先では鳥の観察が出来る。それがジュノの気分を多少なり晴らしてくれたのだろう。
「鳥の絵を描いてお母様に送りますね」
「楽しみだわ。お母様も必ず返事を書くわね」
ジュノの言葉にプリシラの表情も次第に和らいでいく。
次いでイヴとオリバーに目配せで感謝を示せば、ほぼ同時に、再び室内にノックの音が響いた。
メイドが馬車の到着を伝えてくる。それを聞いた瞬間にプリシラの胸に寂しさが湧いたが、表情には出すまいと決めてカップに残っていた紅茶を一口飲み込んだ。
フィンスター家の敷地内は今も美しく保たれている。
だがどことなく白々しい空気が漂っている。まるで剥がれかけの張りぼてを必死で取り繕うような、中身の腐敗を建物と庭の花で覆い隠そうとしているような、そんな不快とさえ言える歪さだ。
そしてその不快さに拍車を掛けるのが、敷地の外からこそこそと中を覗こうとする影。
渦中のフィンスター家に張り付き、誰より先にゴシップを掴もうとする者達。
記事にするのか、もしくはあることないこと綴って本でも出すつもりか。それとも夫人達に面白おかしく話して小遣いでも稼ぐつもりなのか。
なんにせよ彼等にとってフィンスター家の崩落は今一番うまみのある飯のタネなのだ。恥も外聞もなく敷地の外からこちらの内情を探ろうとしている。
「……お母様」
「堂々としていれば大丈夫よ。それにこれから行く場所にはあんな人達は居ないから安心して」
ジュノの頭をそっと撫でて宥めてやる。
それだけでは足りないと今度は頬を擽るように撫でれば、ジュノが困ったように笑った。「僕はもう十歳ですよ」とプリシラからの子供扱いを否定するものの、手を避けたりはしない。
そんなやりとりを邪魔するまいと考えたのか、オリバーが荷物を持って馬車へと向かっていった。イヴもそれに続く。
きっと二人きりで話す時間を作ってくれたのだろう。察してプリシラは感謝を抱き、改めてジュノに向き直った。
フィンスター家の崩落は当主であるダレンだけに留まらず、息子ジュノにまで影響を及ぼした。
注がれる好奇の視線、囁かれる陰口。子供相手といえども容赦はなく、むしろ子供だからこそボロを出さないかと期待して近付く者すら現れる始末。
ジュノの人望はダレンと違い本物で、彼の元には友人からの励ましの手紙が幾つも届いている。だが友人達もまだ幼く、親が交流を禁止しているのだろう実際に会う事は出来ずにいた。
子を守ろうとする親の気持ちはプリシラも理解できる。彼等を責める気はない。
そんな環境からジュノを逃がすため、プリシラはジュノをレッグ医師の故郷に送ることにした。
フィンスター家がある王都から馬車で数日の距離にある、村と町の境目のような場所。
だが優れた医者を多く輩出しており、ジュノはそこにレッグ医師と共に移り住むことになった。『医療の勉強をするため』という名目である。
明らかな逃げだ。周囲もそう考えて陰口を叩くだろう。だがジュノに届かなければ良いのだ。
幸い、レッグ医師の故郷にはイヴとオリバーの親族も居り、この話を快く受け入れてくれた。
噂より当人の人柄を重視する性格の者が多いというのできっとジュノも穏やかに暮らせるだろう。レッグ医師が妻と共に暮らしてくれるというから生活も安心だ。彼等は一足先に村に帰り、ジュノを受け入れる準備をしてくれている。
それにイヴが同行してくれる。彼女は移動中のジュノの身の回りの世話を担い、村に着いてもすぐには帰らず一ヵ月ほどそばに居てくれるという。
「レッグ医師と奥様が待っていてくれているから、ちゃんとご挨拶してね。それと、村の皆さんにも」
「はい。僕、ちゃんと挨拶します」
「どんなお友達が出来たか教えてね」
「出会ったひとも見たことも、全部手紙に書きます。だからお母様も返事をくださいね」
「もちろんよ。いつも違う便箋と封筒を用意するわ」
正面に立つジュノの顔を見つめて告げ、それだけでは足りないとプリシラはジュノの体をそっと抱きしめた。
十歳になったばかりの彼はまだ線が細く、それでいて背は随分と高くなった。
大人という程ではないが、それでも大人になる兆しを見せた少年の体だ。今はまだプリシラの方が背が高いが、きっとあと数年で抜かされてしまうだろう。
そんなジュノはプリシラからの抱擁を受け、自らも手を回してきた。
温かな手が背に触れ、控えめに服を掴んだ。プリシラの胸が別れの切なさを覚える。
……それと、後悔。
「こうやって抱きしめてあげれば良かった……」
後悔の念を込めてプリシラが小さく呟く。
それを聞いたジュノが肩口に顔を埋めながら「お母様?」と尋ねてきた。
「お母様はいつも僕を抱きしめてくれましたよ?」
「……そうね。何度も抱きしめたわ。最近はあんまり抱きしめさせてくれなくなったけど」
「だって僕もう十歳ですよ」
気恥ずかしいのかジュノが笑う。そんな彼からそっと腕を放し、プリシラはよれてしまったジュノの上着の襟を直してやった。
この上着はジュノの誕生日に合わせて仕立てたものだ。大人びたデザインで、完成したのを見た時には本当にジュノの上着なのかと驚いたほど。だがジュノは立派に着こなしており、上着を纏い背筋を正す姿には洗練された精悍さがあった。
(子供の成長って本当に早いのね……)
ふとした瞬間にジュノの成長を実感する。
だがこれから彼は離れた場所で生活するのだ。成長を間近で見守ることは出来なくなる。
……だけど悲しむ資格は無い。始めたのは自分だ。
ジュノが傷付くと分かっていても、彼が今まで通りの伯爵家子息としての人生を歩めなくなると分かっていても、それでもフィンスター家を地の底に落とすと決めた。
そうプリシラは己に言い聞かせ、胸の内に湧き上がる切なさを押し留めた。
ジュノの頬を軽く撫でれば彼が青色の瞳を細めて笑う。なんて愛らしいのだろうか。
「次に会う時が楽しみだわ。きっと今より素敵な紳士になってるわね」
「はい」
「それじゃあいってらっしゃい。怪我や病気に気を付けて、元気でね」
「お母様もどうかお元気で」
別れの言葉を告げ合いジュノが馬車に乗り込む。すぐさま客車の窓を開けて顔を出してきた。
最後まで別れを惜しもうとしているのだ。プリシラも応えるため馬車に近付いた。
門の外に潜んでいた者達が近くの建物や物陰からこちらを見てくるが、そんな視線を今のプリシラが気に掛けるわけがない。
今はただ最後の一瞬までジュノを見ていたい。
……次にいつ会えるのか、また会えるのかすら分からないのだから。
488
あなたにおすすめの小説
死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」
公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。
死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」
目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。
「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」
隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。
そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……?
「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」
資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。
氷の貴婦人
羊
恋愛
ソフィは幸せな結婚を目の前に控えていた。弾んでいた心を打ち砕かれたのは、結婚相手のアトレーと姉がベッドに居る姿を見た時だった。
呆然としたまま結婚式の日を迎え、その日から彼女の心は壊れていく。
感情が麻痺してしまい、すべてがかすみ越しの出来事に思える。そして、あんなに好きだったアトレーを見ると吐き気をもよおすようになった。
毒の強めなお話で、大人向けテイストです。
【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。
銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。
しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。
しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……
【完結】私が愛されるのを見ていなさい
芹澤紗凪
恋愛
虐げられた少女の、最も残酷で最も華麗な復讐劇。(全6話の予定)
公爵家で、天使の仮面を被った義理の妹、ララフィーナに全てを奪われたディディアラ。
絶望の淵で、彼女は一族に伝わる「血縁者の姿と入れ替わる」という特殊能力に目覚める。
ディディアラは、憎き義妹と入れ替わることを決意。
完璧な令嬢として振る舞いながら、自分を陥れた者たちを内側から崩壊させていく。
立場と顔が入れ替わった二人の少女が織りなす、壮絶なダークファンタジー。
妹に一度殺された。明日結婚するはずの死に戻り公爵令嬢は、もう二度と死にたくない。
たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】
恋愛
婚約者アルフレッドとの結婚を明日に控えた、公爵令嬢のバレッタ。
しかしその夜、無惨にも殺害されてしまう。
それを指示したのは、妹であるエライザであった。
姉が幸せになることを憎んだのだ。
容姿が整っていることから皆や父に気に入られてきた妹と、
顔が醜いことから蔑まされてきた自分。
やっとそのしがらみから逃れられる、そう思った矢先の突然の死だった。
しかし、バレッタは甦る。死に戻りにより、殺される数時間前へと時間を遡ったのだ。
幸せな結婚式を迎えるため、己のこれまでを精算するため、バレッタは妹、協力者である父を捕まえ処罰するべく動き出す。
もう二度と死なない。
そう、心に決めて。
さようなら、私の愛したあなた。
希猫 ゆうみ
恋愛
オースルンド伯爵家の令嬢カタリーナは、幼馴染であるロヴネル伯爵家の令息ステファンを心から愛していた。いつか結婚するものと信じて生きてきた。
ところが、ステファンは爵位継承と同時にカールシュテイン侯爵家の令嬢ロヴィーサとの婚約を発表。
「君の恋心には気づいていた。だが、私は違うんだ。さようなら、カタリーナ」
ステファンとの未来を失い茫然自失のカタリーナに接近してきたのは、社交界で知り合ったドグラス。
ドグラスは王族に連なるノルディーン公爵の末子でありマルムフォーシュ伯爵でもある超上流貴族だったが、不埒な噂の絶えない人物だった。
「あなたと遊ぶほど落ちぶれてはいません」
凛とした態度を崩さないカタリーナに、ドグラスがある秘密を打ち明ける。
なんとドグラスは王家の密偵であり、偽装として遊び人のように振舞っているのだという。
「俺に協力してくれたら、ロヴィーサ嬢の真実を教えてあげよう」
こうして密偵助手となったカタリーナは、幾つかの真実に触れながら本当の愛に辿り着く。
夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします
希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。
国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。
隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。
「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」
婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!
みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。
幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、
いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。
そして――年末の舞踏会の夜。
「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」
エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、
王国の均衡は揺らぎ始める。
誇りを捨てず、誠実を貫く娘。
政の闇に挑む父。
陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。
そして――再び立ち上がる若き王女。
――沈黙は逃げではなく、力の証。
公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。
――荘厳で静謐な政略ロマンス。
(本作品は小説家になろうにも掲載中です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる