【オリジナルBL】冷たい海の底(特攻隊員×軍医)

ラセル

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第四話『描き残したいもの』

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第四話 描き残したいもの


 竜輝たち船舶特別幹部候補生にも休日がないわけじゃないが、不定期で当日唐突に知らされることもしばしばあった。
 この日も上官たちに緊急招集をかけられたため、午後の訓練が休みになることを朝の集会で知らされ、昼食を終えた候補生たちは皆それぞれ休みを自由に過ごしている。といっても島外に出ることは禁じられていたので、ほとんどの候補生は訓練所の敷地内で過ごしていた。

「竜輝、俺は山に行ってくるけえ」

 竜輝が午後をどう過ごそうか考えていると、同室の友人である露木萬代がそう言った。

「久々に鳥たちの様子を見てこようと思う。竜輝はどうするん?」

 萬代は鳥が好きで、暇があればだいたい観察に出かけている。竜輝がその辺の鳥を指差せば、名前や生態系をすぐに答えられるほど鳥類に知識があり、同室の仲間たちには尊敬の意味を込めて鳥博士と呼ばれることもあった。徴兵されなければ野鳥の研究者になりたかったと前に言っていたが、今も十分にそれらしい活動をしていると、そばで彼を見守りながら竜輝は感じている。

「俺は海辺で絵を描いとるわ。道中、くれぐれも気をつけてな」
「竜輝も誤って海に落ちんようにな。冬の海は堪えるぞ~」
「わかっとるよ」

 萬代とは兵舎の玄関で別れ、竜輝はスケッチブックと鉛筆、消しゴムを手に目の前の海辺に向かって歩き出した。
 晴天の空を映し出した瀬戸内の海は、穏やかなさざ波を立てながら、陽の光を浴びて美しく輝いている。水面に立つ白波は、まるでそこで兎が跳ねているかのようだ。いつか自分がこの中に沈みゆく運命にあるとわかっていても、やっぱり海は好きだ。
 竜輝は整備された護岸の淵に腰を下ろし、愛用のスケッチブックを広げる。最後に描いたのは萬代の笑った横顔だ。やっぱり笑っていると、いつもよりも余計に幼く見える。
 そのページをめくって白紙のそれを開き、竜輝はさっそく鉛筆を走らせた。海の向こう、それほど遠くない距離に見えるのは広島の中心街だ。夜になると街の明かりが水平線上にぽわっと浮かび上がり、その景色もまた幻想的で好きだった。
 竜輝の生まれ故郷である岩国の町は、ちょうど山が邪魔してここからじゃ見えない。眺めたいときは島の西端まで行かなければならなかった。
 絵は幼い頃からよく描いている。目で見たものを形に残すことが楽しかったのと、母がそれをよく褒めてくれたのもあって長く続く趣味となっていた。最近は景色をそのまま描くのではなく、その一部をおもしろおかしく弄って遊ぶというのも密かに楽しんでいる。

「――上手いもんだな」

 絵を描くことに没頭していると、不意に声を掛けられる。聞き慣れたその声に振り返れば、すぐそばに日高中尉が立っていた。慌てて立ち上がると、背筋をピンと伸ばして敬礼する。

「郷治さ……じゃなかった、日高中尉! てっきり中尉も招集されたものだと……」
「嬉しいことに、軍医に用はないそうだ。邪魔じゃなければ隣に座っていいか?」
「もちろんです!」

 日高と一緒に再び護岸に腰かけると、石鹸のような清潔な香りが鼻孔をくすぐる。愛する人のいつもの香りだ。そばにいてくれることの嬉しさと興奮で胸を高鳴らせながら、竜輝は少しだけ日高のほうへ身体を寄せた。

「絵を描くとは知らなかったな。かなり意外だ」
「そういえば郷治さんにはお話ししたことがなかったですね」
「貴様に関してはもう結構知ったつもりでいたが、まだまだ知らないこともあるようだな。昔から描いているのか?」
「はい。幼い頃から描いております」
「なるほど。それにしても本当に上手い。画家になろうとは思わなかったのか?」
「なりたいと思っていた時期もあったのですが、親に反対されたり、徴兵されたりで泣く泣く諦めました」
「そうだったか……」

 昔は竜輝の絵を褒めてくれた母も、絵の道に進みたいと相談すると、冗談だろうとでも言いたげに笑った。父にもそれで食っていけるわけがないと反対され、更に徴兵が迫っていたのも相まって結局諦めた夢の一つだ。

「それだけ上手いんだ、この戦争が終われば改めて目指せばいい」
「……生きとったら、それもいいかもしれません」

 竜輝が生きている間に、出撃命令に怯えなくて済むようになる日なんて果たして来るのだろうか? 戦いのために日々備えるのではなく、己の意思でやりたいことをやり、自由に生きていける日なんて、来るのだろうか?
 そんな暗いことを考え始めていることに自分で気づいて、竜輝はハッとなる。日高の言葉につい投げやりな返事をしてしまった。気分を害していないだろうかと心配になりながら、すぐに頭を下げる。

「すみません、嫌な言い方をしてしまいました」
「いや、いい。今のは俺が無神経だったな。すまん」
「いいえ……」

 そういえば前にも日高と一緒にいてこんな雰囲気になったことがあった。せっかく愛する人と一緒にいられるなら楽しい時間にしたいのに、自分でそれを壊してしまった。

「……郷治さんは何かなりたいもの、ありましたか?」
「俺か? 俺は普通に医者になりたかったぞ。まあ今もそれは半分叶ってるようなものだが、軍医じゃなくて、田舎に診療所を持ってのんびりと暮らしたかった」
「医者には昔からなりたいと思ってらっしゃったのですか?」
「そうだな。父親が医者をやっていたから、それに憧れたというのもある」

 医者になるには相当な努力と賢さが必要だ。親が医者なら日高もその才能をある程度引き継いで生まれたのだろうが、何より本人の努力があっての今なのだろう。

「俺も郷治さんのことを知ったつもりでおったけど、まだまだ知らんことがあるようです。高光中佐のことも存じ上げなかったですし」
「兄さんのことはまあ、言われなければ誰も気づかないだろう。これからも秘密にしておいてくれよ?」
「もちろんです」

 あれから高光は、訓練のときこそ相変わらず鬼のごとく怒鳴り散らしてくるけれど、誰もいないところで二人きりで出会えば、優しく声をかけてくれたり、頭を撫でてくれたりすることもある。顔はあまり似ていない兄弟だが、自分のような年下の男に対する接し方は二人ともどことなく似ているものがあった。

「お、兄さんで思い出したが、そういえば貴様に分けてやろうと思ったものがあったのだったな」

 そう言って日高は外套のポケットから小さな箱を取り出した。

「キャラメルだ。兄さんがもらってきたんだが、あの人は甘いものが駄目でな。それで俺に回ってきた。竜輝も食え」
「よろしいのですか? 安くはないと思うのですが……」

 竜輝が幼い頃に比べればだいぶ値が下がったとはいえ、キャラメルもまだまだ準高級品の部類だ。甘いものは好きだけれど、無償でもらうのは少し気が引ける。

「もらいものだから気にするな。それに俺一人じゃ食いきれん」
「そういうことなら、いただきます」

 両手を差し出すと、日高が箱から一個、キャラメルを落としてくれる。竜輝は礼を言ってから包みを開け、小さなそれを口の中に含んだ。何度か噛むと、頬が落ちそうなほどの甘さが口いっぱいに広がる。久しぶりに食べたが、やっぱり何個でも食べられそうなくらい美味しい。

「美味いか?」
「はい! とても甘くて美味いです!」

 そうか、と日高は優しげな顔で笑う。そんな彼の横顔を目にした途端、キャラメルよりも甘い衝動が、竜輝の胸にじんわりと広がった。

「邪魔して悪いが、貴様が今まで描いた絵がそのスケッチブックにあるなら、見せてもらってもいいか?」
「大したものは描いておりませんが、それでもよければ……」

 竜輝がスケッチブックを手渡すと、日高は一枚一枚興味深そうに観ていく。好きな人に自分の絵に対して興味を持ってもらえるのは、少し気恥ずかしい反面でやっぱり嬉しい。

「これは誰だ?」

 日高がそう問いかけてきたのは、萬代の描かれたページに差し掛かったときだった。

「それは同室で仲のよい露木萬代です」
「こんな可愛い顔をしたやつがこの兵舎にもいたんだな。今まで全然気づかなかった」
「萬代が上官たちの稚児さんにされんかいつも心配です……」
「そういうのはうちの兄が嫌ってるから大丈夫だろう。もちろん兄さんの目の届かないところもあるだろうが、ここで上官が候補生を稚児さんにしたという噂は聞いたことがない。まあ俺は貴様に手を出してるし、兄さんもおそらく感づいているだろうがな。それを許されてるのは俺だからなのか、合意の上だからなのかわからんが」
「気を悪くされてなければよいのですが……」
「悪くしていたらとっくに貴様をどうにかしていただろうよ。何もされてないということは、許してるということだ」

 あの鬼の高光を敵に回すのはあまりにも恐ろしいので、許されているのだろうと言われてホッと胸を撫で下ろす。

「あの、よかったら郷治さんのことも描かせてもらえませんか?」
「別に構わないが、描いておもしろいものでもないと思うぞ?」
「そんなことはありません! 顔も身体も惚れ惚れするくらいカッコいいです!」
「まあ貴様がそう言うならいいんだが……」
「できれば裸を描きたいです」
「ヌードというやつか? まあいいだろう。今日なら時間もあるし、今からさっそく俺の部屋に来るか?」
「はい!」



 医務室に入ると、日高はさっそく着ているものを脱いでいく。最後に褌を取り去ると、いつも行為のときに目にする美しい裸体が露になった。正直、見ているだけで興奮に下半身が滾りそうだったけれど、それをどうにか沈めて竜輝はスケッチブックに鉛筆を走らせる。
 張った肩に膨らんだ胸板、腹筋もきっかりと描いたように割れていて、腕も脚も筋肉のラインがわかるほどに鍛えられている。ただ骨太なほうではないので絶対的な力強さみたいなものは感じないが、その分しなやかさがいい具合に相まって、まるで西洋の彫刻のような美しさがあった。
 日高のことはずっと絵に描きたいと思っていた。けれどいざ二人きりで逢うと身体を重ねたい欲求に駆られたり、時間の許す限りベッドの上でくっついて過ごしたいという気持ちが勝ったりして、なかなか鉛筆を握るに至らなかった。
 今日は気持ちが描くほうに傾いているし、日高も乗り気で脱いでくれた。やっとこの人を――愛する人を絵に描き残すことができる。
 描いた絵は、特攻に赴くことになったときにボートへ持ち込むつもりだ。日高本人を連れて行くわけにはいかないから、せめて紙の中の彼だけでも、最期の瞬間には手元に置いておきたかった。
 裸の絵だけじゃなくて、もっとこの人のいろんな姿を描いておこう。いつか逢えなくなるこの人をたくさん描いて、形に残して、そして――それらと一緒に冷たい海の底に沈もう。運命が変えられないというのなら、せめて後悔のないように今を生きたい。

「――竜輝?」

 不意に名前を呼ばれ、竜輝はスケッチブックから顔を上げた。その瞬間に自分の目から何かが零れ落ちて、スケッチブックの上で弾ける。――涙だ。その一粒に留まらず、次々と溢れ出してくる気配がして竜輝は慌てて袖で目を拭った。

「どうして泣いてるんだ?」
「わかりませんっ……わかりませんっ、郷治さんっ……」

 込み上げてきた、悲しみとも熱情ともつかない感情に自分で戸惑っていると、日高がゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。そして竜輝の隣に腰を下ろすと、柔らかく抱き締めてくれた。

「すみませんっ……すみませんっ」
「いいんだ、竜輝」

 一気に高ぶった感情は、なかなか落ち着くことがなかった。涙もなかなか止まらなくて、竜輝は抱き締めてくれた日高の身体にただただ縋りつく。竜輝が泣き止むまでのしばらくの間、温かい日高の手が、背中を優しく撫でてくれていた。
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