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“恩人様”の捜索 6 告白
しおりを挟む落ちてくるエミリアを受け止めることは、彼にとってはさして難しいことではない。
ただ、彼女が危機にある姿は、彼を大きく震撼させた。
一瞬の間にさまざまな不安が駆け巡り、恐ろしい予感に気が動転する。
おそらく他の者が落ちたのであれば、こうはならなかった。
竜人族の永い生命のなかでは、もっと悲惨で困難な状況にも出会うことが幾度となくあった。
そうした死線をくぐるたびに、彼ら種族は強くなり、鋼の肉体に見合う強靭な精神を作り上げていく。
これがもしエミリアでなかったら。
彼はきっともっと冷静に状況を受け止められただろう。
グンナールはエミリアの無事を確認すると、あまりにホッとしたせいか脱力。全身には冷たい汗がドッと噴き出ていた。擦り切れるような息を吐き、『本当によかった』と繰り返す。
その大きな安堵には、彼に抱きしめられたエミリアは戸惑いを見せたが、グンナールはそれを気遣ってやれるような余裕はとてもない。
本当に、心臓に悪いとはこのこと。無事受け止めることができてよかったと、グンナールはほとほと痛感しながらも、苦悩する。
……自分は本当に大丈夫なのだろうか。
この程度のことでここまで動揺してしまうのに……果たして自分は本当にこの娘と離れることができるのだろうか……?
もしこれが、自分がいないところで起こった出来事だったらと考えると、想像だけでも冷や汗が出る。
もちろんそうなったとしても、彼がエミリアを守るために与えた血紋ウロコがある程度の力を発揮するだろう。
しかし、今や彼は、エミリアの身が危険にさらされたとき、それをすぐに察知できない場所に自分がいること自体が許容できそうになかった。
(……、……離れたくない)
ふとその想いが彼のなかでせり上がり、今にも喉から出てしまいそうだった。
しかし言葉には出来ず、代わりに堪えるように奥歯を噛む。
言葉に枷をつける原因は多々あり複雑。叔父や母や、大勢の同胞たちの顔が浮かび、気がふさぐ。
今まではそれを窮屈だと思ったことはなかったが、今日はやけにそれが重たく感じられた。
どうにもならない思いが苦しくて、つい顔をゆがませる、と。
ふいに、腰のあたりで何やらもぞもぞと動くものがある。
(──ん……?)
と、彼はここで目を点にした。
気がつくと、彼の腕の中のエミリアがものすごい顔をしている。
目を固くつむり、眉間にも鼻の付け根にもしわがよりまくっている。歯を食いしばって、何をそんなに必死にしているのかと思ったら……。
どうやら彼女は、グンナールの背に手を回し、彼の背中をなでようとしているらしい……。
しかしどうやら体格差のせいで、めいっぱい腕を伸ばさねば手が届かないようす。
口をいーっと食いしばった顔は、まるで、どこかの隙間に手を突っ込んで、見えない何かを手探りで必死に探しているよう。その顔はどこか悔しげで。奮闘する顔がまた険しくて険しくて……。
自分のことを深く心配してくれたらしい青年に、礼の言葉と共に“もう大丈夫ですよ”“ありがとう”という気持ちを伝えようとしたエミリアだったのだが……。
いかんせん体格差がありすぎて、伸ばした手は彼の背をなでるつもりがどうにもこうにも届かない。
相手は立派な体格の竜人族。自分は人族のなかでも小さめサイズ。腕の長さがぜんぜん足りないのである……。
この悲しい事実に、一瞬己の矮小さに愕然としたエミリアではあったが……。
(……、……なんたること……いや……大丈夫! いける! 成せば成る、何事も!)
尻込みする自分を振り払い、エミリアは踏ん張った。
ここは頑張りどころだと思った。自分を何度も助けてくれた青年に、悲しい顔をさせたままでいいわけがない。
めいっぱい腕を伸ばすと、なんだか肩も腕もつってしまいそうだったが、エミリアは限界に挑む。
(し、知らなかった……誰かの背中をなでるのって、こんなに節々に負担がかかることだったのね?)
──と、いう瞬間の彼女の苦悶の表情を上から見ていたグンナール。
彼をなぐさめたいらしいエミリアは、もはや彼の背中をなでることに一生懸命で、かなりべったりと彼と密着していることには気が回っていないようだ。……もしこの状況をグネルが見たら、きっと彼女は発狂するだろう……。
(……、……、……ふ……)
ふいに、グンナールの顔がほころんだ。
彼女を見ていると、彼の中に凝り固まっていた苦悩がほろりほろりと崩れていくようだった。
ああ、なんてかわいいらしいのだろうか。
彼女を見ていると、あんなに不安だった気持ちが和らいで。しかし、離れがたさは加速して、どうにも堪らない気持ちになった。
と、エミリアが、はたと彼を見た。
グンナールが自分を見つめて微笑んでいることに気がついた彼女は、一瞬バツの悪そうな顔をする。……どうやら必死過ぎる自分を笑われたと勘違いしたらしかった。
それでも彼女はすぐに気を取り直したようにかしこまり、グンナールの腕の中からぬけだして草の上で正座。
彼女が離れていったことを名残惜しく感じつつも、グンナールはそんな彼女を黙って見つめる。
「急に落ちたりしてごめんなさい。驚かせてしまいましたね。……大丈夫ですか?」
……それはこちらのセリフでは? と思ったが。彼女があまりにも生真面目に訊いてくるもので、グンナールはひとまず「ええ」と頷いてやる。思ったよりもエミリアが落ち着いていてホッとした。
「腕が痛かったですよね? 本当に申し訳ありません……ぜひ我が家で休んでいってください。そうだわ……すぐにお医者様に来てもらいましょう!」
エミリアはそう言うが早いか邸のほうへ戻ろうと腰を浮かせる、が、それを大きな手が引き留めた。
「?」
突然自分の手首に固く繋がれた手を、振り返ったエミリアがきょとんと見下ろす。
「? あの……?」
ぱちくりとまるくなったミントグリーンの瞳をまっすぐに見つめながら、グンナールは焦がれる気持ちを吐露した。
「……もうしばらく、ここにいてくれませんか」
「え?」
思いがけない申し出に、エミリアがまた瞳を瞬く。
まだそれがどんな意味か分かっていないらしい瞳に見つめ返されたグンナールは、静かに息を吐く。
「今は、離れたくありません」
「!」
その瞬間エミリアは、なんだか気持ちがぴょんっと跳ねた気がして驚いた。
頭の片隅が焦げるように熱くなって。でもエミリアは、ハッとしてその気持ちを慌てて打ち消した。
彼の言葉の意味が分からなかった。
もしかしたら……? と、うっすら思いもしたが……彼と自分はまだ二度しか会ったことがない。
そういう意味だと解するのは、いささか図々しい気がしたのである。
(……でも、ならどういう意味だろう……?)
青年はまだ自分を見ている。その瞳は真剣で、彼女が答えるのを待っているようである。
これにはエミリアは焦った。
何か言わねばならない。
(でも……なんて!?)
何か、今自分が彼のそばを離れたらまずいことでもあるのだろうか。
困ったあげく、エミリアは訊ねる。
「……、……、……なぜですか?」
素直な彼女らしい問いだった。
しかしその眉間には不可解さと焦りで深いしわ。三白眼はまたもや睨むように鋭いが、これは戸惑いのためである。
緊張した面持ちで訊ねられたグンナールは、もはやこの場で気持ちを隠そうとは思わなかった。
ただ、相応しい言葉には迷う。
過不足なく今の自分の気持ちを伝えるに相応の言葉はと考えて、彼は静かに答える。
「……愛しいから、」
つぶやくように言うと、目の前の瞳がぱちぱちと幾度も瞬く。え? と表情が訊ねてきた瞬間に、彼は重ねて答える。自分の言葉が彼女への最上の贈り物になることを祈るような気持ちで。
「離れがたきほどに愛しいから、です」
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