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189 兄の心痛と、ヴィムの受難
しおりを挟む思い出の路地に、青年が助けを求めるように座り続けたその日。
メントライン家の邸内では、フリードがイライラと私室の中をひたすら歩き回っていた。
「この俺様の愛を阻むとは……おのれ……グステルめ……!」
恨みがましく吐き出されたのは、なぜか彼が助け出したいと心底願った妹の名。
フリードは怒りのままに腕を振り上げると、固く握った拳を力任せに壁に叩きつける。と、その威力に負けた壁はベキッと悲鳴を上げ、無残な穴が。
壁板の割れる激しい音を聞いた青年ヴィムは、あああ……と、泣き顔で縮み上がった。
「お、おやめください閣下っ! お、お部屋が……お部屋がぼこぼこです!」
見ると部屋の中は、あちこちの壁に穴。もちろん犯人はフリード。その他にもテーブルの上には割れたカップが散乱。これは、家人が『落ち着いてください』と恐る恐る出してきたものを、彼が握りつぶした。
嫡男のこの有様に、家人たちは皆恐れおののき逃げ出して、現在室内には荒ぶるフリードと、泣くヴィムの二人だけ。
青年はそれでもフリードを止めようと言葉をかけるが、いら立ったフリードはそれを一蹴。
「うるさい!」
一喝されたヴィムは、ひっと青い顔。が、その青年に言われた次の一言がフリードを止める。
「そ、そんなことしていたら、ステラさんを悲しませますよ!」
「ぐ!?」
その名を聞いた途端、またもや壁を殴ろうとしていたフリードは、ぴたりと破壊行動を停止。
ヴィムは泣きながらもすかさず続ける。
「ス、ステラさんから、『兄様は大人しくして』と言われたのをお忘れですか!?」
この恐ろしい猛獣に、その伝言を伝える役目を与えられたヴィムは、もう本当に内心怖くて怖くてしかたない。
けれどもこれも大切なグステルのため。ひいては主ヘルムートのためと信じてやまない青年は、恐怖をギリギリのところでこらえ、猛獣フリードに忠言を繰り返す。
……若干怖すぎてキレ気味なテンションであるのは、致し方ないだろう……。
「お、お、王城に押し入ろうとしたことは大変な罪なんですよ! これ以上暴れては、メントライン家が大変なことになってしまいます! 今頃ステラさんは、この件の取りなしで大変苦労なさっているはずです……! お、お、お願いですから! 閣下は落ち着いてお待ちくださいぃっ‼」
「ぐ、ぐぬぬぬぬっ!」
嘆きの説得を繰り返すヴィムに、フリードは苦悶の表情。
さすがにこの脳筋わがまま息子も、愛しい妹が自分の為に大変な思いをして働いていると言われては、堪えるしかない。
それは昨日の城門前の騒動の最中のことだった。
睨みあうフリードと王妃の騎士の前に、このヴィムがあるものを持って駆けつけた。
彼は、グステルを拉致されたと怒り狂う公爵家の嫡男に、怯えながらも耳打ち。“グステル”の伝言をつたえた。
『自分は無事だ』
『望んで王城にいる』
『だから兄様は大人しく邸にお帰り下さい』
しかしその言葉を伝え聞いたフリードは、まったくもって意味が分からない。
妹の友イザベルからの報せでは、グステルは騎士たちに無理やり王城に連れていかれたという話であった。
それなのに、妹は、心配して駆けつけた彼に、姿すらも見せずに追い払うとするのだ。これには納得がいかなかった。
「っ意味が分からん! いったいどうなっている!?」
しかも、同じく王城に駆けつけたはずの男ヘルムート・ハンナバルトがいつの間にか姿を消し、その後はなんの報せもない。
事態が呑み込めず、心配もあって憤慨しきりの男を、しかしヴィムは必死になだめた。
「き、きっと、ステラさんにも何かお考えがあるはずです、きっと……」
しかしそうは言うものの、その実、ヴィムもグステルの考えを知っているわけではない。
ただ彼は、王城の一室に留まる娘に、あるペンダントを渡されて、この猛獣に渡して門前で騒ぐのを止めるよう指示された。
そのペンダントは公爵家の印の入ったもの。──例の領都での一件で、グステルが商人ロイヒリンに見せて謀ったアレである。
はじめはヴィムの言葉を疑ったフリードも、それを見せられては伝言が妹からのものと信じざるを得ない。
メントライン家が特注し、子供たちに与えるそのペンダントは、それぞれの親がデザインを決める。同じものを持つのは、彼と妹だけなのである。
そのペンダントを握りしめ、ヘルムートは唸る。
「くそ……顔すら見せず、こんなにも心配する兄を追い払うとは……あやつは俺様をいったいなんだと……!? あやつはせめて、この俺様に無事な姿を見せて、『お兄様心配してくれてありがとう』と、言うべきでは!? ぅ……!? な、なぜだ!? 昨日から腹が痛くて堪らん! い、いたたたた……!」
「か、閣下!? 大丈夫ですか⁉」
急に腹を抑えて苦しみだしたフリードに、彼に怯えて壁際ギリギリに立っていたヴィムが、慌てて駆けよる。
どうやらフリードは、グステルが心配過ぎて、ひどく胃が痛むらしい。
脳筋領地で鍛えられてからというもの、一度も病を得たことのない男は胃痛など初めての経験で。額に脂汗を掻きつつ、彼はこの世の終わりのような顔でヴィムを見る。
「俺様は……このまま死ぬのか……? かわいい妹の無事な姿を見ることも、かなわず……?」
「!? 閣下!? た、多分ただの胃痛ですよ⁉」
「いいや、この俺様が苦しむほどの痛みなど、ただの胃痛なわけがない! きっと……これは大病だ!」
「ぇ、えぇ……」
妹が心配なあまり重病を得たに違いない、と、真っ青な顔で言う男に、ヴィムは唖然。
そんなわけがあるだろうか。
昨日……というか、ついさっきまで、王城前であれだけ豪快に暴れておいて、そんな急に重病なんて。
しかしどうやら本人は本気のようで。信じられないことに、フリードの目には涙が。
「うわ!? か、閣下!?」
大男の頬に、滝のようにしたたりはじめた雫にヴィムは仰天。
思い込みの激しい兄は、身を折ってすすり泣いた。
「……死ぬ前に……グステルに、あい、たい……」
「そ、そんなに!? そんなに痛いんですか⁉」
ここは、そんな馬鹿な、と突っ込むところだが……残念なことに青年はとても純心であった。
真に迫るフリードの悲しみようを見た素直なヴィムは、しだいにこれは本当に病気なのではと不安になりはじめる。これは大変だとヴィムは真っ青になった。
「か、閣下大丈夫ですか⁉ すぐ横になってください! あ、あ、お、おおお医者様!」
「い……医者などいらぬ……グステル……グステルを今すぐ連れてこい……グステル………………」
「閣下―っっっ!?」
……と。
あれ以降、メントライン家の街邸はこのような騒ぎで。
フリードをなだめることにかかりきりであったヴィムは、先に王城を出たらしい主のことを心から心配しつつも、なかなか公爵邸から離れることができなかった。
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