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しおりを挟む咄嗟に叫んでしまって。その大きな声を浴びせられた青年が、目をまるくしたのを見てグステルはまずはしまったと思った。
でも、あまりにもおかしな話が聞こえたのだ。
見知らぬ青年の口からは、到底聞くはずのない名前──グステル自身が家出という手段で世間から抹消したはずの令嬢名が。
しかも、それが王太子やラーラに関係するものとして語られていたような気がして。
グステルはかなり気が動転してしまっていた。
瞳を見開いて、大きく開いた両手をヴィムに向け、今にもつかみ掛かるかという鬼気迫る形相で、青年に問う。
「あ、あ、あの……お坊ちゃん……? 今……なんとおっしゃいましたか……? あ、も、もしかして私めの聞き間違いでしょうか? グ、グステル・メン……めんどりライン……とか⁉︎」
「雌鳥……」
言った途端、そばでヘルムートが神妙な顔でそうつぶやいた。
いや、グステルだって彼が呆れる気持ちは分かったが。焦ってしまった口を止められない。おかしくて滑稽極まりない話でも、それが間違いであったと言ってもらいたい。
そう世の中広いのだから、自分の他にも“グステル”という名を両親に与えられた娘はいるはずだ。
しかしそうであって欲しいと強く願うような、恐るような彼女の眼差しを正面から向けられたヴィムは困惑の目。
この娘は、どうしてこんなに慌てているのだろうと、疑問に思っているような表情で。
ヴィムからすると、グステルは単なるぬいぐるみ屋の店主にすぎない。自分が口にした話題には関係ないはずの娘が、どうしてこうも慌てているのだろうと、理由が分からなかった。
困った彼は、主人ヘルムートにチラチラ視線を送りながらグステルに答える。
「い、いえ、雌鳥って……そんなこと大きな声で言ったらまずいですよ……。僕が言ったのは、グステル・メントライン嬢……メントライン家の御令嬢です。その方が、今、王太子殿下ととても親しくしておいでで」
ヴィムは、まさか目の前で蒼白になっている娘が、その名を正当に与えられた者なのだとは思いもしない。
途端、グステルは目を瞠って。その思考は停止した。
「…………は……?」
思わずこぼれた声が震える。ありえないことであった。
自分はここにいるというのに、それがなぜ王太子と親しくなんかできるんだ。そうなるのが嫌で、そこから沸き起こる騒動が嫌で、彼女は実家を飛び出した。そんなことが、あるわけがない。
「ぁ……ちょ、ちょっと待ってください……なんだか混乱してきました……」
思わず足がふらついてよろめくと、ヘルムートが慌ててグステルを支えてくれる。肩に添えられた大きな手のひらは温かかった。が、今のグステルには彼の接近にドキドキしている余裕なんぞなかった。
「え……? これはいったいどういう不思議現象……ドッペルゲンガー……とかそんな心霊現象的な……? ──は⁉︎ それとももしや……実は私はグステル・メントラインなどではなかった⁉︎」
言った途端、グステルの目の前にいるヴィムが(え?)と変な顔をしたが、彼女は頭を抱えることに忙しい。どうやら混乱のあまり、考えているつもりのことが……あんなに隠し通そうとしてきた事実を全部口に出てしまっている。
「私が家出したあと、お母様が頑張ってもう一人娘を産んで……その子に“グステル”と名付け直した……? え……なら、私……悪役令嬢じゃなかったとか……そういうこと⁉︎ え、いやまさか……だって年齢が……物語の中でもそんな話はなかったし……」
考えても思考はかき混ぜられるばかりで、絡まり切った毛糸玉のようにぐちゃぐちゃだ。
困り果ててしまい、グステルはつい自分を支えてくれているヘルムートの瞳を見上げる。当惑した視線を向けられた男は、重苦しい表情で彼女を見つめ返した。
彼は一瞬ヴィムを咎めるような目で見て。それから、彼女にひとまず座るよう勧め、そばの椅子まで導いた。
グステルが戸惑いつつもそれに従うと、青年はその前に片膝を突き、グステルの手をそっと握る。
そんな主人の恭しい様子には、店の扉前に立つヴィムが密かに瞳をまるくしている。
「……その件を、お伝えすべきか、ずっと迷っておりました」
静かに切り出されると、グステルの目に疑問が浮かぶ。
「……どういう、ことですか……?」
青年の口調には、慎重に言葉を選んでいる節がある。聞いていると、とても胸がざわめいた。
──自分が何か大きな間違いを犯したことを、ずっとずっとあとになって知らされるような……そんな悪い予感に心が落ち着かない。
不安をにじませるグステルの視線に、ヘルムートは案じるように一呼吸。言葉の間にためらいを置く。
彼も、ずっと迷っていた。
幼い頃に重大な決断をし、家を飛び出した彼女に、果たしてその女のことを知らせていいものか。
彼女は今、貴族の世界を離れ、この町で慎ましくそしてたくましく生きている。
その姿は、幼い日に感じた彼女の溌剌としたエネルギーがそのままで。ヘルムートはこの再会が本当に嬉しかったのだ。
そんな彼女には、きっともうメントライン家など必要ではない。
もう、メントライン家や王太子の事情など、知らせぬほうがいいのではないか。
彼らのもたらす情報は、彼女の暮らしを邪魔してしまうことになるのではないか。
感じていた懸念を思うと、胸がひどく痛み、ヘルムートは悲しげな顔をした。
(……そして自分も……彼女に近付かぬほうが、彼女の望む平穏のためには良かったのかもしれない……)
だが、どうしてもそばにいたくて彼は今日々ここに通っている。
──けれども。
こうなってしまっては。この、恐れながらも真実を求める瞳を見てしまっては。彼はもうそれを彼女に明かさないわけにはいかなかった。
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