【コミカライズ企画進行中】ヒロインのシスコンお兄様は、悪役令嬢を溺愛してはいけません!

あきのみどり

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58 “グステル・メントライン”

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 庭園を若い男女が共に歩いている。
 青年はすらりと背が高くさわやかな風貌。長い金の髪を後ろで束ね、人の良さそうな瞳は空色。
 手に日傘を持ち、隣を歩く娘の頭上にそれを傾ける。
 そんな青年に、小柄な娘はヘーゼルの瞳で微笑んで。白いワンピースドレスの裾を揺らしながら、ゆっくりゆっくりと、美しく剪定された薔薇の道を歩いていく。
 そんな彼女を、傍らの青年はとても心配そうに見つめる。
 娘は歩く歩調もゆっくりで、青年を見上げる顔もどこか生命力が希薄。体つきもほっそりとしていて、少しでも強い風が吹けば、そのまま飛んでいってしまいそうなほどに弱々しかった。
 そんな彼女を気遣って、青年、王太子エリアスは不安気に尋ねる。

「大丈夫ですか? グステル、今日は少し風が冷たいです。屋敷に戻ったほうが良くありませんか?」

 エリアスにそう聞かれると、娘は青白い顔を上げて薄く微笑みを浮かべる。

「お気遣いありがとうございます。でも……せっかく殿下が来てくださったのですからご一緒したいのです。それに、一人では庭に出るのも不安で……」

 そう言って怖々と庭を見て、そばにさりげなく寄り添われると、王太子も弱い。
 彼女、“グステル・メントライン”は、幼い頃に悪党に誘拐され、永く家族のもとに帰ることのできなかった令嬢だ。
 今でもその時のつらい思いが彼女を蝕んでいるらしく、一人では怖くて外出もままならぬという。
 そんな彼女に怯えたような目で頼りにされると、心根の優しい王太子はどうしても彼女を放ってはおけなかった。

 そもそも彼女と王太子との出会いは、彼が視察先の修道院で彼女を発見したことにはじまる。
 神の場で過ごしていた彼女の楚々とした美しさと、薄幸さから感じられるか弱さは、彼が今まで見てきた令嬢たちとはまるで違った。
 つい心惹かれ、結局彼は、この日も彼女の叔母グリゼルダに請われるまま、午後の数時間を彼女に付き添った。
 グステルはしきりに恐縮して困ったように両方の眉尻を下げていたが、そんな奥ゆかしいところも彼には好ましい。
 エリアスは、次第に彼女に惹かれ、そんな自身を隠さなかった。

 窓の外の階下で手を振る青年を見送って。そんな彼に手をふり返しながら“グステル・メントライン”は薄く微笑む。
 屋敷の表まで見送りに出ようとする彼女に、王太子は『疲れてしまう』『構わない』と言って彼女の見送りを辞退した。
 遠ざかっていった馬車を見つめながら、彼女はぽつりとつぶやく。

「……さてと……明日はどうやって引き留めてやろうかな?」

 やや砕けた口調で言って。“グステル・メントライン”はフッと笑みを浮かべる。
 その表情からは、気弱な令嬢の顔は去り、瞳にはどこか狡猾な色が浮かぶ。
 そして彼女は疲れた様子ですぐそばにあった椅子にどっかりと腰を落とし、身を折って自分の足首を手でさする。足首には手当てが施されていた。
 その足首を煩わしそうに見て、彼女は唇を尖らせる。

「ああ痛かった……まったく毎度苦労するったら」

 ブツクサ言いながら大袈裟に息を吐き、椅子の背もたれに寄りかかる。

 ──今日は、このあとハンナバルト家へ行くといった王太子を、わざと庭で足を捻って引き留めた。
 大きな瞳を潤ませて、健気に苦痛に耐えるふりをしてみせると、大抵の男は彼女を放って置けない。
 はじめは命じられるままに王太子の気を引いてきたが、最近ではそんなことにも慣れてきて、だいぶ板について来た。……というか、そんな行為がだんだん楽しくなっていた。
 もとはただの田舎娘であった自分が、王太子などという、普通ならその影すらも見かけることもなかったであろう高貴な男を手玉に取り、しかも、今まで彼が入れ上げていた令嬢を蔑ろにさせている。
 その令嬢が今、どんなに悔しがっているかと想像すると……愉快で愉快でたまらない。
 “グステル・メントライン”はニッコリ笑う。

「“薄幸の令嬢”ってほんと楽しい。贅沢もし放題だし」

 そうケラケラ笑う彼女の声は、足が痛いと嘆くわりに弾んでいる。

 彼女の本当の名前はエルシャ。家名はない。
 メントライン家とは遠い遠い親類にあたる家の娘だが、生家は貴族ではないし、裕福でもない。
 ただ、いなくなった令嬢の身代わりを探していたある人物の目に留まり、彼女は公爵令嬢グステル・メントラインとして生きることになった。
 選ばれた決め手は、この消えた令嬢に似た色彩の髪と瞳。
 本当の令嬢は、髪はワインレッドではなくもっと明るい赤。瞳は暗い色だったらしいが、その辺りは成長とともに変化したということにした。
 そもそも、何年も昔に消えた少女の目の色なんて、誰もはっきりとは覚えていない。
 要は、メントライン家が、エルシャを“グステル”だと言えば、それでいいのである。
 礼儀作法ができていなくても、『幼い頃に誘拐され貴族社会から離れていたから』といえば納得されたし、昔の知り合いと多少話が合わなくても、怯えた顔で『ひどい暮らしで記憶が曖昧で……』とでもいえば、大抵のことは追求されなかった。
 それどころか、皆彼女に同情を寄せてくれる。
 はじめこそ、『本物の令嬢が現れたらどうしよう』と恐ろしさも感じていたエルシャではあったが……。今ではすっかりこの暮らしに慣れて、もうここを離れるなんてことは考えがたかった。
 きっと、幼い頃に消えたという本物の令嬢は、どこかで人知れず命を落としているのだろう。だから大丈夫。この企みはバレやしない。

 そうたかを括る彼女が、ここで与えられた役目は、“公爵令嬢グステル・メントライン”として生き、王太子妃となり、いずれは王妃となること。
 それはこのメントライン家の長の野望であったらしい。
 そのためには、もちろんエルシャはまず、王太子に見染められなければならない。

 ……そう思い巡らせて──エルシャはふっと余裕をのぞかせる。

「──ま、それも時間の問題よね」

 自分を見つめる王太子の瞳は、確実に日毎熱を帯びている。
 当たり前だ。あの男を射止めるために、エルシャは散々楚々とした動きを練習させられたし、か弱く可憐に見えるよう化粧も工夫している。
 まあ幸い彼女は生まれつき骨格が細く、いくら食べても太らない体質。生家も裕福ではなかったから、そもそも発育もいいとはいえない。
 だが、今思えば、そうでよかったとエルシャはそばのテーブルに置いてあった王太子の土産の菓子を指でつまみ口に放る。食用に栽培された花の砂糖漬けは甘く、気品高い味がする気がして彼女はご満悦。
 
「おかげで私が選ばれて、こうして不自由ない暮らしができるんだもの。私を売った両親には感謝しなきゃ」

 そう鼻歌まじりに菓子を次々平らげる娘は、とてもか弱いご令嬢には見えない。
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